銀河忌 ― 2023年09月21日 18時13分52秒
先日も書いた通り、今日9月21日は宮澤賢治の命日です。
そして、今年は彼が亡くなってから90年目の節目の年です。
思うに1933年の世相と2023年のそれは、不思議とよく似ています。
どちらも重苦しい不景気が世を覆い、貧しい者は飢えに泣き、排外的で好戦的な世論が活気づく一方、学問は世情に膝を屈し、マスコミの筆鋒はきわめて鈍いです。
くしくも前年の1932年には犬養首相が、そして2022年には安倍首相が暗殺されました。両者の背景は大いに異なりますけれど、一国の宰相が公然と凶弾に斃れるというのは、まことに不穏な話で、このままいくと1936年の「226事件」に続き、2026年に新たなクーデターが起こっても、私は決して驚きません。
【付記: すみません、安倍氏は「元首相」であり、「元宰相」でしたね。訂正します。】
もし賢治が今の世を見たら、何を思うでしょう?
顔をしかめるか、苦笑いするか、それとも静かに慰めの言葉をかけてくれるか?
いずれにしても、彼は「人の本当の幸せ」を追い求める物語を再び綴り始め、それを止めることは決してないでしょう。
(賢治が愛読した島地大等著『漢和対照 妙法蓮華經』より「見宝塔品(けんほうとうほん)」の冒頭)
★
今年は賢治の霊前にぜひ何かお供えを…と思って、新たに見つけた品があるので、それが届いたらまた記事にしようと思います。
コメント
_ S.U ― 2023年09月22日 05時45分40秒
_ 玉青 ― 2023年09月22日 19時24分24秒
誰もが宮沢賢治その人になれるわけではありませんが、各人の心のどこか隅っこでいいので、一人の賢治が住まってくれたらなあ…と思います。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
を噛みしめたいと思います。
このことばの背景に宗教的なもの、政治的なことなど大舞台を探る人が多いかもしれませんが、私は、これは、彼の教育者と農業と応用科学の実践に裏打ちされたものと考えてみたいです。これらの仕事は、金儲けでもありますが、自分さえ儲ければ得心がいくものではなく、本質的に人々を幸せにしなければ完結しないでしょう。してみれば、上記の職業だけが聖職ということはありえないので、どのような仕事でもそうであるはずで、政治経済体制や宗教の思想を問うまでもなく、仕事をして報酬を得るという単純なことだけ考えても、少なくともとっかかりとして、そういうことになるのではないかと思います。銀河忌を偲びながらささやかな発見をした気分です。