竜と天文学と絵本のはなし2024年01月21日 14時19分12秒

今日は地雨が静かに降り続いていて、心を落ち着けるには良い日です。
熱いコーヒーを淹れ、本棚から肩のこらない本を持ってきて、ときおり窓越しに灰色の空を見上げながら目の前の活字を追う…というのは、本当にぜいたくな時間の使い方で、人間やっぱりこういう場面が必要だなあと思います。

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毎年、年の初めには干支にちなんだ話題を書くことが多いですが、今年は地震ですべて吹き飛んでしまいました。でも、今読んでいる絵本にひどく立派な竜が出てきたので、載せておきます。


これは西洋のドラゴンではなくて、本物の竜で、冒頭の天文学の歴史を説く章に登場します。中国の伝説的王朝「夏」の第4代皇帝・中康の治世に、お抱え天文学者が日食予報をさぼったために誅殺された…というエピソードに続けて、当時の人々は竜が太陽を食べてしまうため日食が生じると考えたこと、そのため日食になると、大声を上げて銅鑼や太鼓を打ち鳴らし、竜を必死で追っぱらったことが紹介されています。

これは古人を嗤うための滑稽なエピソードとして紹介されているわけではありません。古代にあっては天文学が公共の知ではなく。魔術師や為政者の独占物だったこと、そして日食の予報とそのメカニズムの解明は、まったく別次元の問題であることを作者は言いたいのです。…というわけで、これはかなりまじめな本です。

(オーラリーの表紙がカッコいい)

■Roy A. Gallant(文)、Lowell Hess(絵)
 Exploring the Universe.
 Garden City Books(NY)、1956.62p.

作者のギャラントは画家のヘスとコンビを組んで、これ以外にも当時「Exploring」シリーズというのをたくさん出して好評を博しました。これもその1冊です。


竜の絵だけだと「え?」と思われるかもしれませんが、これは1956年当時の天文学の知識を、美しい挿絵とともに綴った、なかなか魅力的な科学絵本です。




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私は子供のころから科学絵本が好きで、よく手にします。
理解力が進歩してないということもありますが、それ以上に紙面に吹く科学の風に惹かれるからで、その風はたいてい良い香りがするものです。

もちろん、絵本の中にも駄作はあります。単なるハサミと糊の仕事であったり、読者である子供よりも、金主である親におもねっていたり…。でも、まじめな作り手だったら、相手が子供だからこそごまかしがきかないし、下手なことは書けないぞと、真剣にならざるをえないので、それが科学という学問の純粋さと呼応して、そこに良い香りが漂うのでしょう。

この68歳になる本にも、そうした良い香りを感じました。
本書の冒頭は、2人の天文学者の仮想対話から始まります。

「明日も太陽はのぼるかな?」「いや、明日はのぼらないと思うね。のぼるって言うなら、君はそれを証明することができるかい?」「もちろんさ。天文年鑑を見ると、明日の日の出は午前7時12分と書いてある。」「それは。その本を書いた人間がそう考えただけだろ?それは証明じゃないよ。ぼくはその証明が知りたいんだ。」

本に書いてあるから、偉い人が言ったから正しいことにはならない、現に「昔の偉い人」は珍妙なこともたくさん言っているよ…と、作者はそこから天文学の歴史を語り始めます。こういうことは、もちろん科学論文に書かれることはないし、大人向けの本でもあまり正面切って説かれることはありませんが、でも科学を語る上ではこの上なく重要なことです。

そういう当たり前のことに気づかせてくれるのも、科学絵本の魅力と思います。
(まあ科学絵本に限らず、良い絵本とはそういうものかもしれません。)

竜と蛇とドラゴンと日食のはなし2024年01月22日 18時42分18秒

昨日書いたことに触発されて、思いついたことを書きます。
昔の中国人は竜が太陽をかじると日食になると考えた…という話のおまけ。

日食というのは、当然のことながら、天球をぐるっと一周する太陽の通り道黄道)と月の通り道白道)が交わるところで生じます(太陽と月がピタッと重なれば皆既食や金環食だし、微妙にずれれば部分食になります。もちろん軌道が交わったからといって、そこに本物の天体がなければどうしようもないので、日食というのはやっぱりレアな現象です)。

黄道と白道は、いずれも天球上の大円ですから、両者は必ず2箇所で交わります。

(角度にして5度ずれて交わる黄道と白道。両者の交点が昇交点(Ascending node)と降交点(Descending node)。ウィキペディアより)

上図のように、これを現代では「昇交点」「降交点」と呼び、また古代インドの人はそこに日食を引き起こす魔物が住んでいると考え、「ラーフ」「ケートゥ」とネーミングしました。この名は漢訳仏典とともに日本にも伝わり、それぞれ「羅睺(らごう)」「計都(けいと)」と呼ばれます。インドのラーフとケートゥはもともと蛇身の神らしく、それを引き継いでいるのか、日本の羅睺と計都も頭部に蛇が生えた姿で描かれます。

(羅睺と計都。同上)

一方、西洋の占星術では、古くから昇交点と降交点をドラゴンヘッドドラゴンテールと呼ぶと聞きます。


…となると、日食をめぐる中国の竜と、インドの蛇と、西洋のドラゴンとの間に、何かつながりがあるのかどうかが気になります。つながりがないとするのは、かえって不自然な気がするんですが、この間の事情にうといので、いまだ真相は不明のままです。詳しい方のご教示をいただければと思います。


ドラゴンヘッドとドラゴンテール2024年01月24日 05時05分29秒

さらに前回のおまけで話を続けます。
数年前に、アメリカの人からこんなハットピン(ラペルピン)を買いました。

(ピンを含む全長は約8cm)

口を開けて、今まさにアメシストの珠を呑まんとするドラゴン。

(照明の加減で色が鈍いですが、実際にはもうちょっと真鍮光沢があります)

これを買った当時、ドラゴンヘッドとドラゴンテールの話は聞いたことがあるような無いような、あやふやな状態でしたけれど、それでも直感的に「これって何か日食と関係あるモチーフかな?」と思った記憶があります(だからこそ買う気になったわけです)。

今あらためて見ると、アメシストの対蹠点にドラゴンの丸まった尻尾が造形されているのも意味ありげだし、仮にそれが作り手の意図を超えた、私の過剰解釈だとしても、もっともらしい顔つきでそんなふうに説明すれば、たぶん大抵の人は「へえ」とか「ふーん」とか言ってくれるでしょう。

(裏面にもメーカー名や刻印は特にありません)

ここは言ったもん勝ちで、以後、そういう説で押し通すことにします。
そうなれば、この小さなハットピンの向こうには、突如日食とドラゴンをめぐる壮大な歴史と天空のドラマが渦巻くことになるし、私が話を盛らずとも、それは元から渦巻いていた可能性だってもちろんあるわけです。


【付記】

竜(ドラゴン)と日食の件。昨日の記事の末尾で、「識者のご教示を…」とお願いしたら、早速S.Uさんからご教示をいただきました。そして、S.Uさんが引用された、m-toroia氏による下記サイトが、まさにこの問題を論じ切っていたので、関心のある方はぜひご一読ください。


私自身、まだすべてを読み切れてませんが、時代を超え、地域を超えて垣間見られる「天空の竜」の諸相が、豊富な資料に基づき論じられています。

龍を思う2024年01月28日 08時02分54秒


(龍紋の入った古写経)

中国古代の龍の本を読んでいました(こちらのコメントで言及した本です)。

込み入った話に頭を悩ませつつ、最終的に分かったことは「龍については分からないことだらけだ」という事実です。西方のドラゴンやインドのナーガと切り離して(切り離せるかどうかは分かりませんが)、中国の龍だけに目を向けても、その正体は謎が多いです。

龍は先史時代の遺物にも登場するので、人間との付き合いはおそろしく長いです。その資料(画像や文献)が増えてくるのは、ようやく紀元前2000年以降で、よりはっきりするのは紀元前500年以降のことですから(おおむね殷代・周代にあたります)、今の我々からすれば、それでも十分に古い時代のことですけれど、龍の出現自体は、そこからさらに2000年も3000年もさかのぼるわけで、その間のことはすべて想像で埋めるほかありません。

…というと、学者に与えられた仕事は、今では失われた龍の古伝承を、比較神話学やら何やらを援用して、何とか再構成することと感じられるかもしれませんが、そもそもそんな体系立った古伝承があったのかどうか? 思うに昔の人にとっても龍はあいまいで多義的な存在だったんじゃないでしょうか。そのルーツ・姿形・基本的性格を探るべく、仮にタイムマシンで先史時代に飛んで昔の人にインタビューしても、たぶん人によって言うことは違うんじゃないかという気がします。

太古の豊饒な「龍観念」は歴史の中で滅失し、今はその上澄みだけが辛うじて残っている…というわけでは決してなく、むしろ龍という存在は時代とともに洗練され、その神話体系も整えられて現在に至っている…と考えた方が自然です。

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しかし、そんな中でも龍は水界と天界をその住まいとし、その間を飛行して往還する存在であり、神霊の気を帯びた異獣である…という点は動きません。(龍は水性であるのに対し、ドラゴンは火性であるというのが、両者の最大の違いかもしれませんね。)

その背後には、農耕と天体の結びつきに関する知識があって、古代エジプトではシリウスがナイル河氾濫の目安となったように、古代中国ではさそり座のアンタレスが農事の目安であり、西方の人がサソリと見たその曲がりくねった星の配置に龍の姿を重ねた…というのは、これも結局推測に過ぎないとはいえ、非常に説得力のある説だと感じます。

そんなわけで、四方神のうち青龍は、今のさそり座に当たる「房宿」「心宿」「尾宿」を中心とする東方七宿を統べて、春を支配する存在となったわけです。

(…と青龍を登場させたところで、龍の話題をもう少し続けます)

青龍を招く2024年01月29日 20時27分03秒

思い付きで記事を書き継いでいるので、まとまりがなくなりましたが、今年の正月には干支にちなんで、どこから見ても龍という品を登場させようというのが、昨年末からの構想でした。

(元記事はこちら

上の品は中国の渾天儀のミニチュア模型で、その四隅に立っているのが、私の部屋でいちばん龍らしい龍です。


もちろんこれだけでも十分なのですが、上の元記事を書いてから月日が経つうちに、この渾天儀もパワーアップし、今や新たな龍がそこに加わっています。


それがこの青銅の青龍。


渾天儀というのは、いわば「この世界全体」を表現しているものですから、世界を守護する霊獣をその四方に配置したら、さらに世界は全きものになるだろうと思ったのです。


霊獣とはいうまでもなく「東方・青龍、南方・朱雀、西方・白虎、北方・玄武」四方神です。


この渾天儀をゆったり置けるだけのスペースが部屋にあれば、四方神もこの世界を守る守り甲斐があろうというものですが、残念ながら今は下の写真のように、ゴチャゴチャとその足元に押し込められています。


とはいえ、本場・中国の渾天儀だって、これだけの備えはしてませんから、私の部屋の隅っこに在る「世界」は、その全一性において無比のものだと自負しています。(もちろん真面目に受け止めてはいけません。)