転居のお知らせ2026年09月02日 20時19分23秒



とりあえず新居が決まりました。引っ越し先は「はてなブログ」です。
トップページは以下のとおりです。

まだ荷ほどきの途中で、画像のインポートが不完全だったり、体裁にもあちこち不備が目立ちますが、取り急ぎお知らせします。

なお、当面は片付け仕事に注力するため、コメント欄は閉じておきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

謹告2026年09月01日 21時41分34秒

前回の記事を投稿しようとしてログイン画面に入ったら、次のようなアナウンスが表示されていました。


アサブロにこれまでなかった、ブログのエクスポートサービスがついに始まったのです。しかし一連の流れを考えれば、これこそ「終わりの始まり」に相違なく、いよいよアサブロも店じまい、このエクスポートサービスは、退去を強いられる店子たちに対する、大家としてのせめてもの心遣いではないかと思います。

そんなわけで、さっそくエクスポートを申請しました。
アサブロに記事を投稿するのも、いったんこれで終了とします。

これから引っ越し先を見つけて、新居に落ち着いたら、改めてブログを再開することにしますが、再開の告知を今ご覧いただいているアサブロ上でできるかどうか分からないので、ツイッター(X)のアカウントもご確認いただければ幸いです。


それでは遠からず新しい街角でお目にかかりましょう。

閑語…世界はうつろう2026年09月01日 21時37分17秒



暦は9月。

残暑は相変わらずですが、夏の名残のツクツクボウシの声も間遠になってきました。
それと入れ替わりに、昨日は浴室の窓越しにリーリーという良い声が聞こえてきて、しみじみ秋を感じました。コオロギの代表種、ツヅレサセコオロギの鳴き声です。

地球規模の気候変動が進む中でも、時期がくれば自ずと虫は鳴き、花は開く。
その事実に心を慰められます。とはいえ、それもいつまで続くか分かりませんし、環境が変われば生物相も変わる方が、むしろ自然だという気もします。

「自ずから然り」と書いて「自然」。
決して長くはない残りの人生を通じて、私は自然界の不易と流行を見つめていくことになるのでしょう。

   ★

ときに、「人は2度死ぬ。1度目は生物学的に死んだ時、2度目はその人を記憶している人がすべてこの世からいなくなった時」という話を聞きます。「あいつは俺の心の中でずっと生きている!」みたいなセリフを聞くと、「じゃあ、君が死んだら、“あいつ”はどうなるの?」という疑問が浮かびますが、この説はその疑問に答えるものでしょう。

この「天文古玩」が徐々に閲覧困難な「死に体」になりつつあることは、これまで何回か書きました。しかしそればかりではなく、「天文古玩」のかすかな記憶の痕跡すらも、今ネット空間から消えつつあることに気づきました。

AIの説明によれば、Googleの検索システムは既登録のページを定期的に巡回し、リンクが切れているものは検索結果に表示されない仕組みになっており、「天文古玩」のように過去の記事がすぐに開けないと、それだけでバッサリやられてしまうのだそうです。

そんなわけで、現在、過去記事の検索はまったく機能しておらず、キーワードはもちろん、記事のタイトルを、そっくりそのまま入れても、まるで反応がありません。Googleによって「透明な存在」にされることの悲しみもあるし、何よりも過去記事を参照できないのはひどく不便です。

まあ、ただでさえAIの普及によってネットのリソースが逼迫している昨今、情報の剪定作業の意義も理解はできます。それにしたって、21世紀の第2四半期になって、文字データ主体の素朴なブログの過去記事さえ、碌に検索できない世界が訪れようとは、ちょっと予想していませんでした。

「見えぬけれどもあるんだよ」と、ここで今一度繰り返さなければなりません。

   ★

…という、いささか後ろ向きの記事を投稿しようとして、大変な事実が明らかになりました。

(この項つづく)

爽やかな天文教科書2026年08月30日 15時45分33秒

昼のお星は眼に見えぬ。 
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

金子みすゞの詩のように、たとえリンクが開かなくても、このブログは確かに存在するのです。そう、見えぬけれどもあるんだよ。…と、ことさら書かないといけないのが苦しいですが、しかしこれは確かな真実です。

   ★

さて本題。

そういえば…なのですが、6月末にある天文古書について記事を書きました。
これまたリンクが開かない可能性もありますが、一応張っておくと以下の記事です。

内容は、19世紀後半の天文教科書の挿絵にほれ込み、夢中で探した結果、ついに1冊手に入れたこと、その実物が届いたら改めて紹介したい…というものでした。

その後、モノの方は間をおかず届いたのですが、いろいろあって記事にするのを怠っていました。しかし、この本は「Vintage Astronomy Books」(天文古書マニアが集うFacebook上の公開グループ)でも未登場のマイナーな本なので、ここに紹介する価値は十分あります。

これが問題の本です。


■E. -H. B.(編著)
 Atlas Scolaire de Cosmographie
 Eugène Belin、1880. 
 
タイトルは『学校用宇宙誌アトラス』、あるいは『学校用天文図集』とでも訳すのでしょう。

ここでいう「学校用」とは、「高等初等教育(Enseignement primaire supérieur)」向けの意。最初、「え、高等初等教育って何?ふつうに中等教育でいいんじゃない?」と思ったんですが、AIに聞いてみると、これは上級学校の前段階である「中等教育(リセやコレージュ)」とは別の、実学を主体とした実業学校を指す語だそうです。


著者はイニシャルのみで本名は不明。説明によれば「医学博士、郡視学官、『初等地学アトラス』の著者」という経歴の人です。当時のフランスでは、公的立場の人が本業以外の余技として教科書を執筆する際は、イニシャルのみにとどめるのが、いわばお約束だった由(これまたAIが教えてくれました)。ちなみにこの場合、姓が「B.」で、「E.-H.」はEmmanuel-Henriのような複合名を意味します。

この本は、「第1部 一般天文誌(Cosmographie Générale)」、「第2部 惑星誌(Planétographie)」、「第3部 天文地理学(Géographie Astronomique)」の3部構成で、各パートが20枚ずつ、計60枚もの挿図を含み、そのすべてが石販カラー刷りという、なかなか豪華なつくりです。私がほれ込んだのも、まさにその点でした。


巻頭を飾るのは、古代の世界地図。自然科学の教科書でも歴史から説き起こすのが、いかにもフランスっぽい感じです。



それに続く図たち。上は遠ざかる船と地球が円い証拠、下は地平線Hと天頂Zおよびその中間にある天体Pの位置関係。


何せ60枚もあるので、そのすべてを挙げるわけにもいきませんが、私の心を捉えたのは、それらの配色の中心をなす、美しい浅葱(あさぎ)色です。本来、夜空は黒や濃紺であるべきですが、このフランスの教科書では、それを爽やかに晴れた朝の空のような色合いで表現しています。何とも涼やかです。




本が届いてから気づきましたが、本書はフランス国立図書館のデジタル公開ページ「Gallica」に既掲載でした【LINK】。ですから見るだけなら、全ての図をいつでも見ることができます。ただ、石版の微妙な表情を楽しもうと思ったら、実物を手にするしかありませんから、これはやはり購入するのが正解です。


最後の挿絵。こうして船で始まり、船で終わるのも素敵です。

   ★

もう一つリアルな古書ならではの楽しみとして、こんな「余禄」もありました。


以前の持ち主がはさみ込んだアポロ計画の切り抜き。
歴代のアポロ宇宙船が持ち帰った月の石は、合計300キロ余りになることを伝える1975年頃の新聞記事です。本が出版されてから既に100年近くが経っていますが、この本は依然として星好きの人の座右に置かれていたのでしょう。

それからさらに50年が経って、この本は日本の私の元にやってきました。
思えば不思議なめぐり合わせです。

さらに月をまとう2026年08月25日 21時17分19秒

前回の品はバックルでしたが、そこから連想した品があります。
これまた月をまとうための品ですが、その雰囲気は驚くほど違います。


月に柳の扇子をデザインした帯留(おびどめ)。
月を扇子に描き、さらにその扇子を木に彫って帯留をこしらえるという、考えてみればずいぶん凝った品です。材は根付でも使われる柘植(つげ)でしょう。

ここで柳と月の組み合わせは、日本の文芸的伝統を汲んだもので、そのことは一枚の絵葉書を手掛りに、以前も触れたことがあります。

■柳に月

例によって過去記事のリンクが開けないことも多いので、以下に関連部分を引用しておきます。

 「〔…〕読み下せば「青柳の 額の櫛や 三日の月」という句になります。作者は芭蕉門の俳人、宝井其角(たからいきかく、1661-1707)。
 青柳の細い葉は、古来、佳人の美しい眉の形容です。
 室町末期の連歌師、荒木田守武(あらきだもりたけ、1473-1549)は、「青柳の 眉かく岸の 額かな」と詠み、柳の揺れる岸辺に女性の白いひたいを連想しました。其角はさらに三日月の櫛をそこに挿したわけです。」


柳に月の艶な風情、そして扇は末広の縁起物であり、そこに取り合わせた菊水もまた延命長寿の縁起物。要は粋でめでたい品を、身ごしらえの仕上げにチョイとあしらおうという風流心のあらわれなのでしょう。

(裏側から見たところ)

帯留は本来、帯紐の長さを調節し、固定するための実用の具で、その意味ではバックルに近い存在だったのですが、明治中期以降、帯紐に通すだけの純粋な装身具となり、徐々に豪華な品が好まれるようになったものらしいです。その意味では、和装の歴史の中では新参者ですが、血は争えぬもので、そこには依然として和の趣向があふれています。


それにしても、同じく月を題材にして、しかもベルトと帯という類似の品を飾るアクセサリーなのに、両者がたたえる風情のなんと異なることか。
三笠の山に出し月かも、日本で見上げる月も、異国で見上げる月も、月に違いはないはずですが、見上げる人間の側の違いは、やはり無視できません。

月星をまとう2026年08月23日 11時24分40秒

相変わらず暑いですね。

さっき気になって調べたら、CO2増加に伴う地球温暖化とは別に、近年は地上に到達する太陽熱エネルギー(全天日射量)そのものも増えているんだそうです。

気象庁のデータ【LINK】を参照すると、東京の7月観測値(単位はMJ(メガジュール)/㎡)は。1960年代(1961~69年)は平均で12.4でした。それが2020年代(2020~26年)になると、平均17.6と目に見えて増加しています。まったく暑いはずです。

太陽と地球の位置関係は変わらないのに、入射エネルギーの量がこれほど異なるのは、皮肉なことに環境対策が進んだおかげで空気の透明度が上がり、さらに大気中の微粒子が減ったせいで雲が形成されにくくなったことが影響しているそうです。

…ということは、空気がきれいだった産業革命以前は、総じてものすごく暑かったはずですが、そうでもないのは、気候の変化には、長短さまざまな太陽の活動周期も影響するからで、そこに人為的影響も加わるとなると、暑熱の変化というのは、なかなか一筋縄ではいきません。

   ★

せめて気分だけでも涼しく過ごしたいと思って、こんな品を手にしました。


月と星をモチーフにした装身具です。


装身具といっても種類は多いですが、これはベルトのバックル。

(裏側から見たところ)

金具にベルトを固定した後、左右から爪と環で留める仕組みです。


アメリカの売り手はアールヌーボーと表現していましたが、それよりも下って、1920年代、アールデコ期に入ってからのものかもしれません。


このバックルは女性のためのものでしょうから、私がこれを身に着けるわけにもいきませんが、月と星を身に着けるというのは、いかにも涼しげな趣向ですし、アメシストとエメラルドを模したガラス玉の輝きも涼を添えて、手に取って眺めるだけでも愉しいものです。

「太古の遺物」の遺物2026年08月16日 11時29分57秒

今もあるかもしれませんが、昔の小学校には「社会科資料室」というのがあった気がします。「社会科準備室」という名称だったかもしれません。掛図やら大きな地球儀やら、古ぼけた年表やらがしまってある部屋で、いわば理科準備室の社会科版です。

昨日の記事から、そのことを思い出しました。
私の小学校にも、旧校舎にたしかそんな部屋がありました。戦前から建ってる学校だと、それ自体が歴史資料化したような教材類が堆積して、埃臭い中にも一種の趣が漂い、子ども時代の私はそういう空気がひどく好きでした。

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そこには、たしかこんな品もありました。


「日本太古遺物模型」という、読んで字のごとくの品です。
木製ケースの高さは80cmあるので、結構大きなものです。


ラベルには「東京 地図教材株式会社 製作」とありますが、今では存在しない会社らしく、詳細は不明。全体の雰囲気からすると、1950~60年代の品と思います。


石器時代の石器・骨器から、青銅器・鉄器時代の武器・祭器・玉器に至るまで、年代ごとに標本然と配列されています。小さいものは実物大、銅剣・銅矛などの大物は1/2~1/3のスケールモデルで、まだレジンモデルのない時代ですから、素材は粘土や紙粘土(紙塑)で、そこに彩色を施したのでしょう。どれもなかなか真に迫っています。

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歴史学の進展によって、先史時代や古代史の理解にも変化が生じ、教科書の記述もずいぶん書き換わったと思います。当然、こういう古ぼけた資料類も、その価値を大いに減じたわけですが。埃臭い資料室の空気を好むという趣味嗜好は、それとは別の次元で成り立っているので、依然として私にとっては魅力的な存在です。(これは個人的ノスタルジーの発露に過ぎないので、どこまで他の方の共感を得られるかは分かりませんが、でも共感が得られたら嬉しいです。)

いつか昔の木造校舎のような家を建てたら、これを部屋に飾ろうと思って購入したのですが、自分の人生もすでに「巻き」が来てますから、それは脳内計画だけで終わりそうです。こんな風に、私の場合、脳内計画だけで終わったことがあまりにも多くて、別に後悔はしていませんが、残念には思います。

夏こそ地史研究、「いざ掘らん」2026年08月15日 11時00分14秒

夏休み。自由研究の季節です。
自由研究の好伴侶となる本を見つけました。


■富士川 滋(著)
 『地史研究 採集鑑定便覧』
 昭和2年(1927)、厚生閣

ほぼ100年前に出た地質趣味のガイドブック。
ここで仮に「地質趣味」と書きましたが、この本の中身を一言で表現するのは難しいです。今だと、それに相当する語彙や概念がないからです。


外箱にはハンマーをふるう少年の絵の下に、岩石・鉱物から土器・石器・骨器に至るまで、本書の取り扱うテーマが列挙されています。

「凡例」に曰く、

 「本書は中等学校の生徒諸君、高等学校の学生諸君、小学校並に中等学校の教員諸氏で、地理科、歴史科、鉱物科、地質科等の研究をせられる方々の為に、其の参考手引として編んだもので、殊に小学校、中学校の先生方で、其の郷土地誌研究を企てられる時には、最もよい伴侶であらうと思ふ。」(太字は原文のまま)

今では異なるカテゴリーとされる対象が――いや、当時にあっても、それは異なる学問領域と見なされたはずですが――「郷土地誌研究」という題目のもと、著者・富士川の中では統一的に考えられていたことを知ります。

   ★

柳田國男によって、明治末年から「郷土研究」ということが唱えられ、それが昭和以降、日本的民俗学へと発展していきますが、地方の好学家にとって、自らの住む身近な町や村こそが興味深い研究対象と意味づけられたことは、まさにコペルニクス的転回。その結果、全国津々浦々で郷土研究に向けられた知的エネルギーの総量は、おそるべき量に達したはずです。野尻抱影による星の民俗語彙収集も、もちろんその流れの中で行われた仕事です。

本書もそのバリエーションで、富士川は博物学と地理学、そして歴史・考古学にまたがるものとして、「郷土地誌研究」を提唱したのでしょう。

   ★

(目次冒頭)

上述のとおり、本書の内容は多分野にまたがり、それぞれがかなり詳細です。
地質巡検の用具と心得に始まり、地質調査の方法、地形図の作図法、岩石鉱物標本の採集と鑑定、石器時代の遺跡と発掘…等々に説き及び、さらに古生物分類表や、鉱物産地一覧、石器時代遺跡遺跡一覧など関係資料も非常に充実しています。

とは言っても、何せ100年前の本ですから、これを直接参考にして研究するわけにもいかないでしょうが、その旺盛な好奇心と創意工夫には大いに励まされます。

(高価な鉱物顕微鏡がなくても、身近な生物顕微鏡ひとつで十分面白い研究ができると説く章)


そして、ここに漂う博物趣味の香気と風趣。
まあ私の場合、何事も香気から入り、風趣で終わるのが弱点ですが、夏の午後に本書を開けば、心はただちに野山に飛び、古い理科室で研究に夢中になっている自分の姿が、まざまざと浮かぶのです。

(レタリングが洒落ています)

なお、著者・富士川滋については、残念ながら生没年も。詳細な伝も未詳。

国会図書館デジタルコレクションに当ると、1920年(大正9)の雑誌に「小学訓導」、すなわち小学校の先生として、その名が見えます。その後、文部省の中等教員検定試験(地理科)に合格し、本書出版当時は、東京府立第一商業学校(現・都立第一商業高校)の地理学科主任を務め、また地質鉱物学科をも兼担していたことが、本書の序文から読み取れます。

月の霊廟2026年08月11日 15時52分02秒

8月6日、9日、15日。
日めくりを見ながら、さまざまな思いが胸に去来する時期です。


季節柄、天文古玩的にこんな絵葉書を手にしました。
月と星に照らされた大鳥居。



「(大東京夜の美観)星輝〔せいき〕澄む夜の靖国神社と大鳥居」と題された1枚です。戦前、まだ世の中が戦争一色になる前に出たものと思います。

   ★

国家として戦死者を追悼する施設は、世界中にあるでしょう。
また聖戦に斃れた者は天国に召されるとする観念も、古今東西あったと思います。
しかし「戦死者イコール神」であり、他ならぬ戦死者が祭神だという極端な教義の施設は、至極珍しいんじゃないでしょうか。まあ、仏教も日本化すると「人は死ねば皆ホトケだ」という簡便なことになるし、戦死者はみな神様だ…というのも、やっぱり同じ伝なのかもしれません。

人間と神様・仏様の境界がごく薄いというのは、考えようによっては、ひどく民主的ですが、ただ、靖国神社の場合は、「国を靖んじる神社」という名が示すように、「国家あっての神様」であり、神様すらも国家に奉仕する存在だ…という点において、やはり民主とは相いれない存在と言わざるを得ません。

   ★


月明かりの参道をゆく参拝者。母子連れでしょうか。
これは絵葉書ですが、現実にもあり得た光景と思います。

亡夫・亡父に手を合わせるとき、果たして彼らは何を思ったか。
当時のポリティカル・コレクトネスに照らして、口にできなかった思いも含めて、一言では尽くせない、複雑な思いが渦巻いたのは確かでしょう。

靖国は日本が軍事強国を目指す過程で生み出された、兵士を死地に駆り立てるための精神装置だったと私は思いますが、国家はそもそも国民のためにあるのであって、決してその逆ではない、ということは何度でも繰り返し述べたいと思います。

ある大望遠鏡の問わず語り2026年08月08日 10時41分16秒

アドラー・プラネタリウムのステレオ写真といっしょに、こんな品も手にしました。


何かがグルングルン回っています。最初見たとき、古典的錯視図形である「フレイザー錯視」を連想しました。どう見ても渦巻模様なのに、実は同心円というやつです。

(フレイザー錯視の例。ウィキペディア当該項より)

冒頭の写真は本当の渦巻き状で、同心円ではありません。でも、その存在の奇妙さは錯視図形さながらで、しかも「見る」ことに深く関わるモノである点も同様です。


「メルボルン望遠鏡を覗き見したところ」

メルボルン望遠鏡は、「グレート・メルボルン望遠鏡」とも呼ばれます。
これはその巨大な筒先を覗き込んで写した一枚で、鏡筒は風の影響を避けるため、かご状になっています。生れはアイルランドのトーマス・グラブの工場で、その後、オーストラリアに運ばれ、1868年にメルボルン天文台に据え付けられました。ちょうど日本が明治維新を迎えた年のことです。

(1880年撮影。英語版wikipedia「Great Melbourne Telescope」の項より)

フレッド・ワトソン著『望遠鏡400年物語』(長沢工・永山淳子訳、地人書簡、2009)は、この望遠鏡に特に1章を設け、「第13章 悲嘆の種―南天大望遠鏡」の章題を付しています。原著ではずばり「Heartbreaker」。当時、南半球最大を誇ったこの大望遠鏡は、とかく人々の心を曇らせ、傷心をもたらす存在でした。その産みの苦しみに比べて、成果があまりにも乏しかったからです。


鏡筒の底で光り輝く主鏡。

この主鏡は、当時主流となりつつあった「ガラス鏡」ではなく、旧来の「金属鏡」です。これがそもそもの悲劇の始まりでした。絶えざる再研磨が必要な金属鏡は、メンテナンスコストが膨大で、もはや時代が求める水準に達しなかったからです。

そして、撮影者の顔がぽっかり抜けていることが、この写真をいくぶん謎めいたものにしていますが、この穴も悲劇と関係しています。

主鏡中央部に穴が開いているのは、この望遠鏡の光学系が、当時一般的だった「ニュートン式」ではなく、「カセグレン式」だからです。それによって、ニュートン式の大望遠鏡では避け難い、高所での観測作業にともなう危険性を大幅に減らしてくれましたが、一方で長焦点化という問題をもたらしました。カセグレン式は今でも現役ですが、何せメルボルン望遠鏡の場合、その焦点距離は50.6メートル(166フィート)という途方もないものでしたから、そこで得られる暗い星像は、当時急速に進歩していた天体写真の撮影にも、分光観測にも役立たなかったのです。

要は「無用の長物」…と言っては望遠鏡がかわいそうですが、そこには「時代に遅れた者の悲劇」が色濃く漂っていました。

この望遠鏡は、その後、キャンベラ郊外のストロムロ山天文台に、ほとんど捨て値で売却された後、1959年に金属鏡からガラス鏡に換装されたことで、ようやく息を吹き返しました。しかしそれも永続きせず、2003年に襲ったキャンベラ大火で無残に焼け落ち、現在はボランティアによる修復作業が進められているとのことです。

 「金属鏡の望遠鏡は、最後に前章で登場したほとんどすべての人々を巻き込んだ一つの事業で、ほろ苦さを味わう典型的な例を演出した。その事業は、〔…中略…〕その立ち上げのときから論争と非難があり、そして結局私たちの時代にまで続く、異常にもつれ合い、盛り上がったドラマを生むことになった。」 (ワトソン前掲書、p.241)

フレイザー錯視のようなステレオ写真の向こうに、望遠鏡がたどった「異常にもつれ合」ったドラマを思わないわけにはいきません。


ちなみに例の「顔のない写真師」には、やっぱり顔があって、向かって左の写真を拡大すると、こんな顔の人です。