星の掛図2006年02月09日 06時56分13秒


『銀河鉄道の夜』の冒頭には、星座の掛図が登場しました。

掛図というのもまた懐かしく、小学校時代の甘い情調を帯びた存在で、大いに愛すべきアイテムです。

賢治が執筆にあたって念頭に置いたのではないかという、古い明治の星座掛図が東北の某資料館に保存されているらしく、私はそれを何かの本で見た記憶があるのですが、何の本だったか今ちょっと思い出せません。

写真は、1950~60年代ぐらいのもの。日食と月食の説明図です。

もとはスウェーデンで出版されたものですが、説明文はスウェーデン語のほか英独仏伊語が併記され、なかなかにぎやかです。

スウェーデンの版元からシカゴの輸入代理店、北米のどこかの小学校、カナダのアンティーク業者を経て日本の私まで…。数十年かけて西回りに地球をざっと3分の2周したという古強者。

青緑の空を背景にした、球・直線・矢印の図式的表現が、いかにも「理科室」の雰囲気です。かつての先生の声、それを聞く生徒たちの表情を想像すると、心温まる感じがします。

オックスフォード自然史博物館2006年02月11日 07時06分12秒

昨日の科学史博物館に続き、今日は自然史博物館です。

オックスフォード自然史博物館
http://www.oum.ox.ac.uk/

同館バーチャルツアー
http://www.chem.ox.ac.uk/oxfordtour/universitymuseum/


こちらもいいですね。理科室好きにはこたえられない空間です。

バーチャルツアーで見る限り、科学史博物館のほうは、ひっそりとした、スノッブな雰囲気でしたが、こちらは親子連れでにぎわい、全体にファミリー感覚がただよっています。(できることなら、私もお弁当を持って、子どもと一緒に出かけたい。)展示もかなり子どもの目線を意識した構成です。

かつて(19世紀)、博物学(natural history)は、天文学に較べてはるかに大衆的な学問であったということと、上のことはたぶん関係があるのでしょう。

スミスの図解天文学(4)2006年02月12日 08時43分52秒

同書より、黄道帯(zodiac)に関する章。

右側のページには、こんな具合で一問一答が続きます。


問:黄道帯とは何ですか?
答:天空中で16度、すなわち黄道の上下8度ずつの広がりを持った円環状の帯です。
問:黄道帯はどのように分割されますか?
答:12等分され、それぞれ記号や星座の名前がついています。
問:各々の記号はどのように分割されるのですか?
答:それぞれ30度に分割され、そして1度は60分に、1分は60秒に分割されるのです。
問:黄道帯の中心にある大円は何ですか?
答:黄道、すなわち地球の軌道です。<以下略>

.................................................

非常にグラフィカルな図。
何となく曼荼羅のようにも見えます。

スミスの図解天文学(5)2006年02月13日 06時17分08秒

同書より「4月18日から7月21日までの空」の図です。

牛飼い座、ヘルクレス座、こと座、白鳥座…etc、おなじみの星座が白く点描されています。

それにしても、この黒さはどうでしょう。

その異様なまでに黒い図版こそ、この本の大きな特徴でしょう。
各図とも、触れば指が黒くなりそうなほど、濃くインクが乗っています。
それも、ツルンとした黒さではなく、和墨のようなマットな黒さです。

時代的に、当然機械製版ではなく、伝統的な版画の技法で版を起こしています。心に沁みるような深い闇。そして手わざの温もり。

その質感において、現代の本とは全く異質の世界がここにはあります。

まぼろしの理科室倶楽部2006年02月14日 06時11分03秒


昔、「理科室倶楽部」という名のサイトを作ろうと思ったとき、タイトルページ用に撮った写真。

机の上に、適当にモノを並べただけのヤッツケ仕事。
全く無意味な取り合わせですが、まあ、”雰囲気”です。
こうした雰囲気にピンと来る人こそ「わが同志!」なのです。

ここに写っているアイテムのうち、雪のペーパーウェイトについては、すでに別項で書きました。他のモノについても、おいおい取り上げていければと思います。

で、肝心のサイトの方は結局陽の目を見ずに終わりましたが、その転生した姿がこのブログなのです。

水沢緯度観測所2006年02月15日 06時27分09秒

水沢緯度観測所・旧本館(同観測所提供、しんぶん赤旗掲載)

天文界の大先達K先生より、1枚の新聞記事の切抜きをいただきました。

宮沢賢治研究で知られる理学博士、斎藤文一氏による「水沢緯度観測所と宮沢賢治」と題する記事です。賢治は、1899年に設置されたこの観測所をしばしば訪れ、それが彼の宇宙観の形成に大きな影響を及ぼしたことが書かれています。

他の情報も参照すると、写真の旧本館は、1921年に完成したドイツ風木造建築で、老朽化のため、いったんは取り壊しが決まったものの、去年暮れに急きょ水沢市が譲り受け、保存・公開することになったそうです。

瓦屋根に白い下見張り、縦長の窓。昔の役場や学校によくある様式で、とても懐かしい感じがします。きっと、内部もいい感じに時代がついて、レトロ・アカデミックな良い雰囲気だろうと思うんですが、不思議なことにネットで検索しても全く情報がありません。マニアックな賢治ファンであれば、当然、訪問・紹介しててもおかしくないのですが…。

情報の乏しさが、遠いイーハトーヴに立つ天文台への憧れをいっそう掻き立てます。

水沢市のHPにも、同観測所(現国立天文台水沢観測センター)の紹介と、旧館外観の小さな写真が載っています。
http://www.city.mizusawa.iwate.jp/htm/roman/mr04301.html

シラキューズ大学天文台(ニューヨーク州)2006年02月16日 05時45分12秒


20世紀の科学崇拝を象徴するジャイアント天文台もいいのですが、ヒューマンスケールな天文台もいいですね。こちらはフープ博士(たむらしげる氏の作品に出てくるキャラクター)がひょっこり出てきそうな天文台です。

上の絵葉書は私のお気に入りの1枚(年代は1910年ころ)。
ゴシック様式の大建築の傍らに、ちょこなんと立つ天文ドーム。
ハリーポッターの舞台、ホグワーツ魔法学校のようにも見えます。

こんな所にこもって星空を見上げたら…。
考えるとワクワクします。

(ちなみにこの天文台、今は単なる事務室に転用されているそうです。現実はそんなものですね。)

シラキューズ大学天文台(2)2006年02月17日 05時33分09秒


問題の天文台のアップ。
固有名詞としては「ホールデン天文台」という名称がついています。

いわゆる、undivided-back タイプといわれる絵葉書です。
今の絵葉書は、裏面に住所欄と通信欄が区画されていますが、まだその区画がなかった時代のもので、1901~1907年にかけて作られました。(昨日のものは、divided-back タイプで、ちょっと時代が下がります。)

当時はヨーロッパのメーカーが幅を利かせた時代で、米国で売られた絵葉書の大半がヨーロッパ製だったといわれます。これもドイツ製。

左手は子午儀室、右手は赤道儀式機材を収めたドーム(たぶん)。

重厚な石積みの外観です。天文台の意匠にも流行があるのか、古い絵葉書によく似た外観のものをいくつか見かけます。

絵葉書の時代区分(1)2006年02月18日 10時58分23秒


(上・1898年ウィーン、下・1905年ベルギーの消印の押された絵葉書)

 昨日、undivided-back、divided-back の話が出たので、コレクションの参考として、絵葉書の時代区分について簡単にまとめておきたいと思います。
(とは言え、以下はすべて、Lisa's Postcard Page の受け売りです。各々の具体例についても、同ページで見ることができます。なお、用語については、絵葉書趣味の世界ではすでに定訳があるのかもしれませんが、今仮に宛てておきました。)

(1)草創期(Pioneer Era)…1898年以前

 絵葉書の始まりといえば、これまで1893年のシカゴ博覧会で売りに出されたものと考えられてきました(官製はがきに絵柄を刷り込んだものと、切手を貼って使う私製カードの2種類がありました)。しかし、その後の研究によって、今では1848年12月の消印を持つ絵葉書も見つかっています(これが現在知られている最古の絵葉書です)。

 1898年(次項参照)以前の絵葉書の特徴は、①裏面区画(住所欄と通信欄を区切る縦線)のないこと、②住所や宛名を書くための罫線が印刷されていること、です。

 この時代は、官製はがきのみが「POSTCARD」の語を使うことができたので、私製はがきには「Souvenir Card」「Correspondence Card」「Mail Card」などの文字が印刷されていました。


(2)私製郵便カードの時代(Private Mailing Card Era)
  …1898年~1901年12月24日まで


 1898年5月19日、法律で「Private Mailing Card」の文字を入れた絵葉書の販売が認められました。略してPMCと呼びます。この時代、草創期の絵葉書の多くがPMCとして再版されました。この時代の絵葉書も裏面区画がありません。この間、1900年ごろに「写真(Real Photo, 略してRP)絵葉書」の製造も始まりました。


(3)裏面区画のない「郵便葉書」の時代(Undivided Back "Postcard" Era)
  …1901年12月24日~1907年3月1日まで


 「POST CARD」あるいは「POSTCARD」の語の使用が官許されたのが1901年12月24日です。しかし裏面には依然として通信文を書くことは禁止されていました。(したがって、この時代の絵葉書は表面に文字が書かれていても、コレクションの価値を損なうことはないとされています。)

 この時代、ヨーロッパの版元がアメリカに現地事務所を開設し、大量の絵葉書を輸入販売していました。米国内で売られる絵葉書の実に75%以上がヨーロッパ製だったと言われます。

 そして、この時期の末には、絵葉書蒐集が非常にポピュラーな趣味となっていました。

(この項続く)