絵葉書の時代区分(2) ― 2006年02月19日 08時19分13秒
(4)裏面区画のある時代(Divided Back Era)<別名、黄金時代>
…1907年3月1日~1915年まで
裏面に通信文を書くことが許可されたのは、1907年3月1日のことでした。(これ以降は表面に手書き文字の入った絵葉書は価値が低いと見なされています。)
この時期、全国民が絵葉書趣味に夢中になっていました。何百万枚という絵葉書が(主にドイツで)印刷され輸入されましたが、その絶頂期にあって第1次大戦が絵葉書趣味にとつぜん終止符を打ちました。ドイツからの輸入がストップしたからです。また電話の普及によって、伝達手段としての絵葉書の地位も低下しました。
(5)ホワイト・ボーダー時代(White Border Era)…1915年~1930年まで
第1次大戦後も、ドイツのメーカーが復活することはありませんでした。高額な関税のため、他のヨーロッパのメーカーも米国市場から撤退していきました。
この時期の絵葉書は、インク節約のため、四辺の隅に白枠が残されています。戦後の物価高騰、熟練工の減少は絵葉書の質の低下を招き、大衆の絵葉書趣味も急速に薄れていきました。業者の多くが廃業しました。(ただし、この時期の絵葉書すべてが粗悪というわけではありません。フランスとベルギーで当時作られた手彩色絵葉書は、まさに芸術です。)
その一方で、RPは大成功を収めました。回転ドラム式印刷機の登場により、1枚のネガから何千枚もの絵葉書が刷られ、道の傍らで売られるようになったのです。
(6)リネン時代(Linen Era)…1930年~1945年(あるいは1960年?)まで
印刷技術の進歩により、布目紙にカラー印刷した絵葉書の製造が可能になりました。その新しい質感は低廉な製造コストと明るい色調と相まって、手軽な広告手段としてもてはやされました。リネン絵葉書は、カラー写真絵葉書の誕生により、1939年頃姿を消しましたが、南部を中心に一部では1950年代末まで作られ続けました。
また、この時期には白黒のRPがますます生産効率を高め、大量生産が続けられました。
(7)カラー写真時代(Photochrome Era)…1939年~現在
カラー写真絵葉書は、1939年にユニオン石油が自社のガソリンスタンドで売り出してから急速に普及しました。これにより、従来のリネン絵葉書メーカーや、白黒RP絵葉書メーカーは、この新分野に転業するか、廃業を余儀なくされたのです。
日本ハーシェル協会 ― 2006年02月20日 06時22分00秒
(ウィリアム・ハーシェルの使った40フィート望遠鏡 =模型= )
■日本ハーシェル協会■
http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/
ここは私自身が管理を任されているサイトなので、まったくの手前味噌なんですが(汗;)、しかしこれは是非ともご紹介せねばなりません。
日本でクラシックな天文趣味を堪能できる場は、ごく限られていると思いますが、ここは遠慮会釈なしにそれを語ることのできる場なのです。
もちろんメインはハーシェルですが、彼に限らず、ビクトリア時代前後の天文思潮について広く、浅く、ときに深く、縦横に語る場でありたいと思います(英国だけではありません。日本を含め、同時代の天文学すべてが潜在的なテーマです)。
王立天文学会、ロス伯爵、ナスミス、ラッセル、ウィリアム・ヘンリー・スミス提督、トーマス・ウェッブ、ロバート・ボール、そして現代のパトリック・ムーア卿…。こうした名前にピッと反応してしまう人は、ぜひお立ち寄りください。ご入会も大歓迎です。
★ ★ ★
以下、同サイト・トップページの口上より。
「1984年に東京で設立された日本ハーシェル協会は、天王星の発見者として知られる18-19世紀イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェルとその一族の業績を明らかにすることを通じて、天文学に関心を持つ人々の交流を図る団体です。
ウィリアム・ハーシェルは音楽家から転身し、天王星の発見や星雲・星団の観測など天文学分野での業績を上げました。ウィリアムの息子ジョン・ハーシェルは南アフリカのケープタウンに渡り、北半球からは観測できない南天の天体の記録を残しました。また、ウィリアムの妹カロライン・ハーシェルは女性天文学者の先駆けとして知られています。
興味の尽きないハーシェルの世界を、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい。」
『星界の絵地図』(1) ― 2006年02月21日 05時45分59秒
エドムント・ヴァイス 『星界の絵地図』(1892)
Edmund Weiss
Bilderatlas der Sternenwelt. Eine Astronomie fur jedermann.
Esslingen bei Stutugart, J.F.Schreiber, 1892
52pp, small folio
最初この本を見たとき、一瞬呆然として、続けて胸がぎゅっとなりました。
この表紙には言葉がありません。
星を愛する少年の夢をいっぱいに詰め込んだ、まさに「天文少年御用達」という感じがします。当時これを「枕頭の書」にした少年も多かったことでしょう。
内容的にも、39枚もの多色石版画を収めた中々贅沢な作り。
中身の方は、また少しずつご紹介していきます。
(少年、少年とごめんなさい。少女でもいいのですが、でもやはりイメージ的には少年か…)
詩人の島 ― 2006年02月22日 04時27分43秒
焼酎メーカー二階堂のCMが一部で人気だそうですね。
愛好者のクラブまであるらしい。…と書くそばから、私もこのたび会員に加えていただきました。
昨日も見ました。(CMを見るには「伊東家の食卓」を見なければなりません。)
今流れているのは「砂丘の図書館」編。砂浜で半ズボンの男の子が一心に本を朗読している作品です。これはこれで良いのですが、2004年に放映された「詩人の島」編はまたいちだんと良かったです。
孤独な明かりを点す灯台、その中に秘められた鉱物学者風の部屋。
あの埃をかぶった部屋のセットには、「ヤラレタ!」という思いがしました。ディテールへのこだわりはさすがプロですね。
上の写真は二階堂さんのサイトから一寸拝借したもの。
サムネイル的な画像をむりやり大きくしたら、夢の中の光景のような、うるんだ絵になりました。
なお、天文関係では「天文詩人」編という作品が既に1995年に作られています。
いずれも鉱石や宇宙と「詩人」を結びつける辺りに、宮澤賢治の影響を色濃く感じます。
『星界の絵地図』(2) ― 2006年02月23日 06時04分17秒
皆既日食の図。
ラインの古城を前景にして、ぽっかりと浮かぶ黒い太陽、そして神秘の輝きを見せるコロナ。
叙情的な。あまりに叙情的な…。
あるいは、ドイツ・ロマン派の余光をここに見るべきでしょうか。
ドイツの本は、石版画の色調も英仏と違って、ダミ色の、ちょっと濁った感じの色が特徴のように感じられます。そこにドイツの天文少年のほの暗い精神性を感じる、といえば穿ちすぎかもしれませんが。
ラインの古城を前景にして、ぽっかりと浮かぶ黒い太陽、そして神秘の輝きを見せるコロナ。
叙情的な。あまりに叙情的な…。
あるいは、ドイツ・ロマン派の余光をここに見るべきでしょうか。
ドイツの本は、石版画の色調も英仏と違って、ダミ色の、ちょっと濁った感じの色が特徴のように感じられます。そこにドイツの天文少年のほの暗い精神性を感じる、といえば穿ちすぎかもしれませんが。
『星界の絵地図』(3) ― 2006年02月24日 05時56分35秒
昨日の日食と対になる、こちらは月食の図です。
凍てつく冬の晩。村は一面の銀世界。上空はキリリと澄み渡り、星たちが明滅しています。
中天には、いまや皆既を迎えた赤銅色の月が懸かり、それを見上げて楽しそうに語らう親子の姿が見えます。
多色石版画による、空の深緑のグラデーションと、窓ごしのオレンジ色の灯影の対照が美しい。
こちらも全体に茶色味のまさった、渋い色調の画面です。
凍てつく冬の晩。村は一面の銀世界。上空はキリリと澄み渡り、星たちが明滅しています。
中天には、いまや皆既を迎えた赤銅色の月が懸かり、それを見上げて楽しそうに語らう親子の姿が見えます。
多色石版画による、空の深緑のグラデーションと、窓ごしのオレンジ色の灯影の対照が美しい。
こちらも全体に茶色味のまさった、渋い色調の画面です。
ホグワーツ続報(セントポール中央高校、ミネソタ州) ― 2006年02月25日 08時38分08秒
以前「まるでホグワーツ魔法学校のよう」と言って、シラキューズ大学の絵葉書を紹介しましたが、ホグワーツの天文台は、小説の中では塔の上にあるそうなので、こちらの方がイメージに近いかも。この絵葉書には1907年の消印があります。
★『ハリーポッターと不死鳥の騎士団』(下)464-465頁★
「…『天文学』の塔のてっぺんに着いたのは11時だった。星を見るのには打ってつけの、雲のない静かな夜だ。校庭が銀色の月光を浴び、夜気が少し肌寒かった。生徒はそれぞれに望遠鏡を設置し、マーチバンクス教授の合図で、配布されていた星座図に書き入れはじめた。…」
(引用箇所は、ウチの子どもたちが探して教えてくれました。)
惜しむらくは、一寸外観がのっぺりした印象。もう少し中世風の古怪な味わいがあると尚良かったですね。
理科室追想 ― 2006年02月26日 08時31分38秒
『木造校舎の思い出-芹澤明子写真集(関東編)』、情報センター出版局(1996)より
理科室の空気を偏愛する人は多いでしょう。特に戦前に建ったような学校だと、戸棚もスチールなんぞでなく、木製の重厚な棚で、用途の知れぬ機器が使われることもなく埃をかぶって並んでいたりして、秘密めいた気配が濃厚に漂っています。
子供時代、小学校の理科室はまさに一個の王国でした。試験管、フラスコ、アルコールランプ、天秤ばかり、滑車、色とりどりの試薬、鉱物標本、地層の断面模型、貝の化石、飼育箱、解剖顕微鏡、水草のゆらぐ水槽、グロテスクな液浸標本、愛らしい人体模型に骨格標本。
思えば、何とすばらしい空間であったことでしょう。懐かしの木造校舎、といった写真集を開くと、真っ先に理科室に目が行きます。
それにしても、人はなぜ理科室に惹かれるのでしょうか?
理由はひとつではないかもしれません。しかし、私のことを考えると、そうした教具の向こうに仄見えるもの、言ってみれば、この世界の秘奥に激しくあこがれていたからなのだと思います。もちろん、今にして思えばそれは幻想で、理科教材の向こうに直ちに秘奥がある訳はないのですが、でも、何かを機縁に、ふとそうしたものの存在を感じ、慄くという感覚は大事にしたいと思います。
(唐突ですが、画家の谷内六郎さんはそうした感覚に親和性があったようで、谷内さんの絵を見ると、懐かしいような、恐ろしいような、やっぱり秘密めいた感じを強く受けます。)
「天界」2006年3月号 ― 2006年02月27日 21時01分04秒
一昨日、「天界」(東亜天文学会の機関誌)の最新号が届きました。
今号は、広い意味での天文学史に関する記事が多く、たいへん読み応えがありました。
内容の一部をあげれば…
★「『ラランデ暦書の仏原書のタイトルと冊数』を拝読して」<高橋健一>
2005年9月号に載った横塚啓之氏の論文へのコメント。ラランデ暦書は、江戸時代に翻訳され、近世天文学の発展に大きな影響を及ぼした書。その原著に関する書誌学的話題。
★「戸田茂睡著『御当代記』に記された天文現象について」<江川文治>
今から300年ちょっと前、延宝から元禄年間に書かれた、戸田茂睡(とだもすい)の雑録・「御当代記(ごとうだいき)」に録された彗星・日食等の天文現象に関する考証。
★「『我が国におけるケプラーの第三法則の受容』を読んで」<佐久間幸太郎>
2005年6,7月号に載った上原貞治氏の論文へのコメント。近世天文学の巨星・麻田剛立がケプラーの第三法則を独立再発見したのかどうか、という争点をちょっと別の視点から見てのコメントです。
★「探していた『星座行脚』」<小川誠治>
天文趣味の啓発に大いに力のあった故・小森幸正氏の戦前の著作にまつわる随想。
★「佐伯恒夫氏と私」<佐藤明達>
1996年に80歳で没した佐伯恒夫氏(元・大阪市立電気科学館天文主任)に親しく接してこられた佐藤氏の回想記。1950、60年代の天文界の一断章です。
むむ!…しぶい取り合わせ。
こういうラインナップを見ると、天文趣味の世界は「月刊天文ガイド」に尽きるものではないな、と改めて思います。
(もちろん「天ガ」には「天ガ」の意義があるので、どっちがどうということではありませんが。)
『星界の絵地図』(4)…“ひげ文字” ― 2006年02月28日 06時22分39秒
さて、挿絵にいい加減なコメントを付けるだけではなしに、ここらで肝心の本文についても是非触れたいところですが、問題は「言葉」です。
当然中身は全てドイツ語なので、私にとってはフランス語以上に●●なのです。しかも文字が例の「ひげ文字(花文字、亀甲文字)」なので、見た目はいかにも「獨逸」という感じの重厚な雰囲気で、タイポグラフィカルな面白みはありますが、しかし…。
ひげ文字は第2次大戦頃まで使われ、ひげ文字の廃止をヒットラーの数少ない「功績」に挙げる人もいるぐらいで、やっぱりドイツ人自身にとっても難解だったのでしょう。
当面、努力と慣れが必要です。
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