「ビビビ」マーク・ヘッドフォン2009年06月15日 20時08分16秒

シガレットをくわえたクシー君が耳に当てていそうな、
エヴェレット社のヘッドフォン。
これまたベークライトの質感が懐かしい。

  ★ ∞ ★

クシー君は鉱石ラジオだけでなく、
新式のゲルマニウムラヂオも持っていて、

  「そのイヤホーンを耳に
   プラグをお尻にさし込んで
   望遠鏡を覗けば
   遥かなカニ星雲の
   ラヂオ放送が聴ける!」

  (『クシー君の発明』-「ガロ」1975年4月号掲載-より)

カニ星雲の放送が…2009年06月15日 20時10分09秒

クシー君、聞こえますか?

ブログの写真2009年06月17日 20時50分19秒


この「天文古玩」も開設以来だいぶ月日が経ちました。
この間、文章は相変わらずですが、画像はかなり変遷を遂げている気がします。

上の本は、たまたま調べ事があって引っぱり出してきたのを、サンプルとして撮ったものです(ちょっとピントが甘くなりました)。
この『The Midnight Sky』という本は、私のお気に入りで、これまで何度か登場しています。以前、同じ本の表紙を撮ったのが以下の記事↓
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/11/19/960695

以前は、正面からフラッシュをたき、さらに画像をいじって変に色づけしているので、今見ると非常に見苦しいです。表紙を飾る月面の空押し模様(blind stamp)も、何が何だか分からないので、単に情報を伝達するという目的からいっても失格です。

最近は、「斜め構図+自然光(できれば)」が定番で、これも何とかの1つ覚えのように、そればっかりだと一寸飽きが来ますが、少なくとも前よりは本の表情が伝わるように思います。

限られたスペースで何かを伝達するのに、画像がいかに重要かは言うまでもありません。今後もせいぜい気を配りたいと思います。が、あんまり神経質になると、それもまた苦痛なので、その辺のバランスが難しいと感じています。

    ★

ところで、毎度撮影に使っているデジカメは前世紀末に買ったものです。
さすがに物理的にガタが来ているし、人前で取り出すのが恥ずかしいときもあるのですが(大抵ビデオと間違われます)、そうなるとかえって情が移ってしまい、なかなか買い替えに踏み切れません。これも一種の古玩趣味なんでしょうか。。。

しゅおおぁあああ!!!!!2009年06月19日 19時39分50秒

昨日・今日は出張で不在でした。
で、今帰宅して自ブログを見たら、例によって「しゅおおぁあああ!!!!! 」とか何とか、どうしようもないspamコメントがついていたわけですが、今日は本当に「しゅおおぁあああ!!!!! 」と言いたいような、あるモノが届いていました。
これについては、ちょっと気を落ち着けて明日記事にします。
(M * さん、ありがとうございました。)

デロール狂の詩(うた)2009年06月20日 14時37分29秒

ついにデロールに行ってきました。
残念ながら、行ったのは私ではなく、「私の本」ですが。

どういうことかと言うと、以前デロールの記事を書いたとき、待鳥さん(http://mllelou.blog10.fc2.com/)から「今度デロールに行く予定があります」とコメントをいただき、それならば…と、ちょっと妙なことを思いついたのです。

今森光彦氏の写真絵本『好奇心の部屋デロール』(福音館)をデロールに持ち込み、店員一同に日本のデロールマニアの存在を知らしめ、併せてメッセージを一筆したためてもらおう…という、何だか意味があるのかないのかよく分からない企画ですが、幸い待鳥さんの快諾が得られたので、わが愛蔵の1冊は地球を半周してデロールのドアをくぐり、またまた半周して無事私の手元に帰ってきました。
そういうわけで、世界に1冊しかない不思議な本が、今ここにこうしてあるのです。

ところで、肝心のメッセージですが、フランス語を達筆で書かれると、ちょっとお手上げです。書き手のお名前もまったく判読不能。読める方はご教示よろしくお願いします。

   ☆

ともあれ、待鳥さま、そして名前の読めないムッシュー、デロールにふさわしい怪企画にご協力いただきありがとうございました。この本を見るたびに、デロールをめぐるもろもろのイメージが、脳内万華鏡のように妖しく美しく光を放つことでしょう。(←やはり病気?)

メッセージ拡大2009年06月20日 14時40分46秒

(前の記事参照)

むう、何と書いてあるのでしょう。

想像するに、「日本の若い人たちが、この本に描かれたデロールの驚異の世界を、気に入ってくれたら幸いです。あなたの印象をぜひ肉声で彼らにお伝えください。デロールのスタッフ一同より友情をこめて。」…というような意味かな?と思いますが、全然違うかもしれません。

燃えるデ・ロール2009年06月21日 09時20分37秒

以下はブログの趣旨とは無縁の、まったくの余談。

以前、デロールが火事で焼けた!というニュースを聞いた時、「デロール」で検索したら「デ・ロール式焼却炉」というのがヒットして、およよと思いました。

↓のページは、デ・ロール式焼却炉の納入実績例。
http://www.hitachizosen.co.jp/kankyo/haikibutu/h1.htm

大阪市の焼却施設のデザイン感覚も訳が分かんないですが、台湾のイタリア宮殿風のデザインもすごい。なぜか煙突にはお馬がパカパカ。

賢治とサイダーと銀河鉄道2009年06月22日 20時56分06秒


うっとうしい天気が続きますね。
今日はスカッとした絵柄を載せます。

写真は2008年6月に販売されたe-センスCard。
「e-センスCard」とは、あまりセンスの良くないネーミングですが、要は企業と日本郵便がタイアップして発行した、絵入り官製葉書のことらしいです。

この葉書は、三ツ矢サイダー(昔の平野水)の125周年を記念して売り出されたもの。モチーフは、いずれもサイダー好きだった賢治と漱石で、デザインは(言わずもがなの)和田誠氏。「線が命」の和田氏ですが、そのクールで温かい線が、ここでは賢治のイメージによく合っているように思います。

心にまで黴が生えそうな気鬱な夜、降り注ぐ雨粒を星の光に見立てて、遥かな銀河鉄道を幻視するのも良いかもしれませんね。

   ★

さて、以下は余談メモ(なんだか余談が多いですね)。

「賢治の好物は天ぷらそばと三ツ矢サイダー」という話が人口に膾炙(?)していますが、今ネットを走り読みしたところでは、これは彼が稗貫農学校(途中から花巻農学校)の教師を勤めた、大正10年代のエピソードのようです。賢治自身が書き残したものはなくて、彼の親戚筋で、彼と親しかった歌人の関登久也(徳弥)氏の回想記がソースの模様。(氏は戦後、『賢治随聞』、『宮沢賢治物語』、『宮沢賢治素描』など一連の著作をものしており、その中に出てくる話のようです。)

賢治の理科教材絵図2009年06月25日 07時03分44秒


最近買った賢治本。

■宮澤賢治 科学の世界-教材絵図の研究
 高村毅一・宮城一男(編)
 筑摩書房、1984

これまでも文学アルバムの類で、賢治の手描きの理科教材を見たことはありましたが、その詳しい来歴は、この本で初めて知りました。

賢治は大正末年~昭和初年ころ、理想主義的な農村振興運動体である「羅須地人協会」を設立し、そこで独自の成人教育に取り組みました。そのとき自ら講義用に絵筆をとったのが、この絵図類です。

実弟の宮沢清六氏の解説によると、これらの絵図は、賢治の没後も実家の土蔵にそのまま置かれていたのですが、太平洋戦争の終結間際、昭和20年8月10日に危機が訪れます。この日、花巻は米軍の空襲を受け、宮沢家からも火の手が上がります。当時宮沢家に疎開していた高村光太郎らも手伝って、懸命に消火活動に当たったものの、焼夷弾の炎は衰えを知らず、清六氏も一時は炎に囲まれて逃げ場を失い、辛くも防空壕に逃れて命をつないだのでした。

清六氏が防空壕から這い出したときには、蔵を残して家屋は全焼。
蔵は火事の発生後すぐに、味噌で入り口や窓の隙間を目張りしておいたので、中のものは無事だったのですが、火事の余熱とは恐ろしいもので、鼠穴からわずかに空気が通じたせいで、空襲後3日目にして土蔵からも火が出て、結局内部は半焼してしまいました。

貴重な教材絵図も、丸められた状態のまま黒く焦げ、水が掛かり、長いこと広げることもままならぬ状態でしたが、地元の表具師・菊池武年氏の努力で丁寧な補修がなされ、今は全49図が宮沢賢治記念館に大切に保管されているとのことです。

賢治の理想、農村の現実、戦争の惨禍etc…多くのことをこれらの絵図に感じ取ることができますが、ここでは理科趣味的視点から、この絵図を見てみようと思います。

(この項つづく)

賢治の理科教材絵図(2)2009年06月27日 12時57分42秒


「雪の結晶と原子・分子」の図。
賢治が心をこめて描いた雪の結晶が愛らしいですね。ただ、全体構成からいうと、これは一連の絵図の中でも、かなり例外的な分野を扱っています。

これらの絵図は、描かれた目的からして当然ですが、広い意味での農学、つまり植物の構造や土壌についての説明図が大半を占めています。いわば純粋科学よりは応用科学的な内容で、「理科趣味」的感興はいささか薄いような気がします。

…と書きかけて、考えました。

そもそも、賢治にとって科学とは何であったのか?
少なくとも、それは私が玩弄するような「日常からの逃避」や「好事な慰み事」としての<理科‘室’趣味>とは恐ろしく遠いものに違いないと気付いて、その距離の大きさに今更ながら愕然としています。

賢治にとっては応用こそが科学、いや、彼には応用も純粋もなく、科学とは宇宙のコトワリそのものであって、当然のごとく日々の暮らしに直結するものだったでしょう。

例えば、農の基本である「土」。ひとくれの土には、地球が誕生して以来の生物・無生物の長い営みが凝縮されている…そのことへの驚嘆。それはセンチメンタルな観念の遊戯ではなく、一方には厳密な土質分析と詳細な肥料設計への挑戦があって、それらの総体が彼にとっての科学だったはずです。

ですから、賢治にとっての科学とは、消閑の具でも、しかつめらしいものでもなく、この上なく真摯で、しかも強く軽やかに身に添うものであり、これは彼の芸術観とも共通するものだろうと想像します。(何だか、我ながら月並みなことを、上滑り気味に書いている気がしますが、彼の場合、そこに常に実践が伴ったのは何と言ってもエラかった、と思います。)

  ★

ところで、ここに星や宇宙の説明図がないのは、いかにも残念。(気候との関係で、日照や太陽黒点の消長についての図はあります。)

原子・分子の説明があるならば、その対極に宇宙の構造を説く図があって、その間に生があり、死があり、絶え間ない物質とエネルギー循環がある…という風に講義が進んで欲しかったような気もします。

(この項つづく)