空白の大陸、南極(その2)2011年08月14日 10時35分13秒

南極探検の雄、白瀬矗(しらせのぶ;1861- 1946)のことを昨日チラと書きました。
その生年を見えると、今年は生誕150周年に当たるのですね。となると、南極探検は彼が50歳のときの壮挙であり、これまたびっくりです。当時の50歳は、今の70歳にも相当すると思いますが、そんな人が大英帝国の精鋭スコット隊の向こうを張って、想像を絶する酷寒の南極大陸に挑もうというのですから、当時の人は「口あんぐり」だったでしょう。

白瀬中尉のことは、ウィキペディア↓で読んだだけなので、詳しくは知りません。
しかし、その臨終について、「次女が間借りしていた魚料理の仕出屋の一室で死去。死因は栄養失調による餓死(または腸閉塞)」とあるのに言葉を失いました。氏は最初から暖衣飽食することは念頭になかったでしょうが、豪傑の最期としてはいかにも無念。

白瀬中尉といい、50歳を過ぎてから天文暦学を学び、全国測量の旅に出た伊能忠敬といい、そんな人々の生き方が気になる年齢に私もなってきました。

   ★

さて、南極地図の続編。

(↑斜めに射しているのブラインド越しの陽光)

上は昨日とほぼ同時期、1904年にドイツのライプツィヒで出版された地図です。
昨日の地図に比べてタテ・ヨコ倍の大型サイズですが、しかし大判だからといって、情報量はぜんぜん増えません。ブランクが空しく広がっているだけです。


 
海岸線がところどころ途切れがちに確定されていますが、あとは真っ白。


地図には、それまでの南極アプローチの記録が詳しく書き込まれています。
1950~60年代の月球儀が、米ソの人工天体の着陸・衝突地点を盛んに記載していたのを思い出します。当時の南極は、まさにミッドセンチュリー期の月に相当するような、遠く遥かな場所だったのでしょう。

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