空白の大陸、南極2011年08月13日 17時09分54秒

ファディマンさんの思いに共感したからといって、極地探検記を何十冊も買い込んで読みふける気力はありません。でも、その影響で南極の古い地図を買いました。


写真は1907年、ニューヨークの出版社から出た、元は百科事典の付図として刷られたもの。幅30センチの小ぶりな紙面に、当時の南極の情報が詰め込まれています。


オセアニア↑からも、南米からも、アフリカ↓からも、ウネウネと赤い線が南極に向けて伸びています。


言うまでもなく、過去の名だたる探検家たちの遠征ルートです。


人名にまじって“Challenger”、“Belgica”とあるのは船の名前。
前者は英国海軍の軍艦チャレンジャー号で、ネアズ艦長率いる世界一周海洋観測隊が乗り込み、その途中南極にも立ち寄りました。後者はベルギー人、ド・ジェルラシュを隊長とする多国籍探検隊の乗ったベルジカ号。若き日のアムンゼンもその一行に加わっていました。

多くの探検家たちが、南極を征服しようと意気盛んでしたが、南極大陸の形すら依然あいまいなまま、広大な空白がこの地球上に広がっていたことが、この地図を見るとよく分かります。今からほんの100年前まで、地球は人類にとってまだまだドデカイ存在だったわけです。


この1907年の時点で、南極点にいちばん迫っていたのはイギリスのスコット隊で、1902年12月29日、南緯82°17'の地点まで到達していました。

スコットはその後1912年1月17日、2回目の南極探検で、ついに南極点に立ちますが、南極点初到達の栄誉をノルウェーのアムンゼンに奪われ、失意のうちに氷原で帰らぬ人となりました。その積荷にあった植物化石が、100年近く経って一人のアメリカ人女性の心をはげしく打った…というのが、昨日の記事。

そういえば、今年は人類の南極点到達100周年なんですね。
身近なところでは、スコットが南極点に立った日の前日、1912年1月16日は、白瀬中尉が日本人として初めて南極大陸に上陸した日でもあるので、今年の暮れから正月にかけて、何か南極にちなむ企画がメディアを賑わすかもしれませんね。

コメント

_ S.U ― 2011年08月14日 10時22分52秒

 「南極大陸の発見」には諸説あるようですが、1820年頃というのが定説になっています。ところが、この地図にはその航程が載っていないようですね。
「南極探検の歴史の認識」にもまた歴史があるのでしょうか。

_ 玉青 ― 2011年08月14日 11時24分28秒

今日載せた大きな地図の方が、(地理的情報はさっぱりですが)お尋ねの点についてはさすがに情報が豊富で、1820年に南極を発見した3人のうち、ロシアのベリングスハウゼン、イギリスのブランスフィールドの接岸地点は載っていました。あとはアメリカのパーマーですが、虫眼鏡で良く見ても、どうも彼の名前だけは見つかりません。ただ、彼にちなむ「パーマー島」は載っています。

南極大陸はどうも発見前史が長く、込み入っているので、コロンブスのようにスッキリと行かないところがありますね。3人の名前が人口に膾炙していないのも、そして小さな地図では無視されてしまっているのも、その故でしょうか。

_ S.U ― 2011年08月14日 15時13分18秒

>南極大陸はどうも発見前史
歴史的には、伝承やらいろいろあって、「南極大陸」は「あって当然」の存在だったようですね。北半球の「北極海」があって当然で北極海の発見者があまり云々されないのと同様の感覚だったのかもしれません。今となってはよくわからない感覚です。

_ 玉青 ― 2011年08月15日 06時18分41秒

まあ、発見、発見と大騒ぎせずとも、
南極ぐらい軒先からでもひょいと分かりますからね。(笑)
http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/01/02/5619775

_ S.U ― 2011年08月17日 17時53分30秒

>南極ぐらい軒先からでも
 おぉ、軒先から キャプテン・クックと覇を競った(笑)我らが翁に乾杯!
   (未記入・再投稿 お許しを)

_ 玉青 ― 2011年08月17日 20時43分58秒

乾杯!!(^J^)

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