見よ、大空をゆく巨艦の雄姿!2012年03月20日 13時38分56秒

今日は春分。
1年かけて黄道を一周する太陽が、天の赤道にさしかかる日。この日、太陽は真東から出て真西に沈みます。赤道にいくと、真東から垂直に上った太陽が、そのまま天頂を横切って真西にストンと沈むという、なんだか妙にカラッとした日です。

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さて、昨日の国立科学博物館の話題で、「昭和5年(1930)当時は、飛行機が最先端の科学技術の象徴であり、科博の建物はそれをデザインした」という通説を問題にしました。

で、ふと思ったのは、「飛行機は本当に当時最先端の科学技術の象徴だったのかな?」ということです。調べてみると、これはたしかにそういう見方があっても不思議ではないと思いましたが、もう一つ気づいたのは、当時は飛行機以上に飛行船が威張っていたという事実。

科博の話題とは直接関係ありませんが、そのことをメモ書きしておきます。

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飛行船といえば、のんびりゆったり空の旅。空飛ぶクジラのような、その大らかなフォルムからして、ローテク&癒し系の乗り物というイメージがあるように思いますが、しかし、戦前の飛行船は、単に「大空の浪漫」ばかりでなく、「尖鋭的なサイエンス」のオーラを強く放つ存在でした。


上の図は、新光社が出していた「科学画報」大正14年(1925)1月号の表紙。
最新科学文明号」と銘打った特集号で、その表紙を飾る絵は「未来の都市のビヂネスクォーター」。

本文を読むと、「表紙に掲げたのは決して理想の都市と言ふ程ではない。僅か五十年か百年さきの未来の都市のビジネス・センターを描いたものである。やゝ長距離交通機関には民衆用の乗合飛行機と、富豪等が自家用のそれとが現在の自動車位に普及する。」…という未来予測を立てています。そして、それらの飛行機群と摩天楼を睥睨(へいげい)しつつ空を行くのが大型飛行船で、飛行船に未来の交通機関のイメージが投影されていることが分かります。


↑は、同じく大正14年に創刊された、「子供の科学」の記念すべき第1号所収の、豪華カラー折込図解「高さくらべ」。

この図の背後には、「歴史的建造物をはるかに見下ろす近代的なビルディングの威容こそ、物質文明の粋なり!」という意識があるのでしょう。そして、その上空に超巨大な飛行船を飛ばし、科学文明を賛美するという構図。


少し下って、「子供の科学」昭和6年(1931)1月号掲載の、「将来の都市の交通」という記事の冒頭より。右上のカットに注目すると、当時イメージされたモダン都市には、やはり飛行船が付き物のようです。

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上野の国立科学博物館の建物ができたのは、ちょうどこの時期です。
そして、その前年、昭和4年(1929)には、あのツェッペリン伯号が日本に飛来し、日本中が歓呼の声で迎えました。そのツェッペリンを称える声の中にも、当然「科学の勝利」というニュアンスが強くにじんでいましたが、とりあえずここで記事を割ります。

(この項つづく)

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