色分け熊、見つけた。2012年11月28日 21時10分34秒

「白黒熊」はまだ見つかりませんが、昨日Soraさんにコメント欄でお教えいただいたとおり(http://mononoke.asablo.jp/blog/2012/11/26/6643915#c6644870)、「色分け熊」は図鑑にしっかり載っていました。



これぞ75年前の図鑑に載った、いにしえの「パンダ」の絵姿です。

■小野田伊久馬・小野田勝造(著)、
 「内外動物原色大図鑑・第1巻(哺乳類編)」
 動物原色大図鑑刊行会、昭和12(1937)

当時は、ようやく欧米の2、3の動物園で飼育の試みが始まったばかりですから、日本人で本物のパンダを見た人は皆無に近かったはずです。当然、この図も写真か絵を元に、想像で補ったものでしょう。
なんだかプロポーションが変ですし(いかにも熊っぽい)、目も血走った感じで、パンダに「可愛らしさ」を感じ取っている様子が毫もないのは、興味深い点です。


そして、その説明文がまた一寸妙です。「昼間は潜み、夜出でて食を求める」。
パンダは純粋な夜行性ではないはずですし、竹や笹を好んで食べるという、その最も目立つ特徴が書かれていないのは、この頃はまだパンダの生態がよく分かっていなかった証拠ではないでしょうか。

   ★

名前の件に戻って、この「イロワケグマ」は、戦後にも用例があって、Soraさんが引用されたページ↓(by TURTLE MOON氏)によると、戦後も戦後、まさにパンダが上野に来た1972年に出た、学研の『新訂 学習カラー百科』に、パンダの別名として、この名が挙がっているそうです。

■Web雑記:時代を感じる! 我が人生初の愛読書
 (株)学習研究社『新訂 学習カラー百科(6 生物の世界)』
 http://www.webzakki.com/z100327.shtml
 (TURTLE MOON氏によって、前後3回にわたり書かれたこの記事は、昔の学習
 図鑑の珍なる側面を活写して抱腹必至。ぜひご一読を。)

当時を知る身として、「イロワケグマ」は一度も聞いたことがありません。たぶん、この学研の百科事典は、図鑑上の用例として下限に近いのではないでしょうか。
となると、今度はその初出が気になりますが、この点については引き続き探索を続けたいと思います。

なお、上記『内外動物原色大図鑑』は、イロワケグマ式に、外国産の動物にすべて和風の名を与えているわけではなくて、カンガルーやコアラはそのままですし、キリンは正確を期してか、わざわざ「ジラフ」としています。では、なぜパンダはイロワケグマになったのか。漢字の国、中国産の動物に横文字(っぽい名)は似合わないとでも思ったのでしょうか?

   ★

この項は、追加情報があればまた続けます。
また、戦前に出た最大の豪華図鑑、『内外原色動物大図鑑』(全13巻)と、その姉妹編である『内外原色植物大図鑑』(全12巻+索引1巻)については、また別項で取り上げたいと思います。




コメント

_ Sora ― 2012年11月29日 20時52分22秒

「内外原色動物大図鑑」の本物!! 凄いですね! webでダウンロード版が販売されていたのは見たのですが…。
それにしても昭和12年にパンダが紹介されていたのも凄い事ですね。ダヴィド神父がジャイアントパンダを発見したのは明治(で言えば)2年ですが、西洋で生きたパンダが初めて動物園で飼育されたのは発見からだいぶ後のまさに昭和12年。
(ルース・ハークネスが入手したパンダ「スーリン」がシカゴのブルックフィールド動物園で公開されたのが初)
小野田勝造氏がこのスーリンを実際にシカゴで見たのか、それとも大英博物館に飾られていたパンダの剥製を見たのか。それともルーズベルト兄弟が中国でパンダを射止めた際の手記「パンダを追って」を読んだのか。

余談ですが、日本書紀には斉明天皇四年十一月に「肅慎(みしあはせのくに)を討ちて、生羆(しくま)二つ・羆皮(しくまのかわ)七十枚献る」との記述があるそうです。
この肅慎(みしあはせのくに)が何処かと言うのが色々説はあるそうですが、一説には中国を差しており、中国の皇帝から生きているパンダが二頭、毛皮が70枚贈られた、と解釈している文献もあるようです。それが真実なら飛鳥時代に日本へ生きたパンダが運ばれた、と言う事になりますが…。

_ 玉青 ― 2012年12月01日 08時48分03秒

重ねてのご教示ありがとうございました。

>ダウンロード版が販売

やや、そんなものがあったとは!
そうと知っていれば、大枚はたく必要もなかったかもしれませんが、ここは現代の「紙徒」として、ペラペラ頁をめくることに専念したいと思います。

>実際にシカゴで見たのか…

上の絵と同じ構図の絵か写真が先行書にみつかれば、おそらく模写だろうと見当が付きますが、両小野田氏がパンダを実見したかどうかは、今のところ謎というほかないですね。(姉妹編の『植物図鑑』は、どうやら「ハサミとのり」の仕事だったらしいので、動物図鑑もひょっとして…という感じはします。)

明治の初めにその存在が報告され、多少のタイムラグはあったとしても、日本にもその情報はわりと早くから伝わっていたように思うのですが、まさに「知る人ぞ知る」存在だった時期が長かったのかもしれませんね。一般向けの本でパンダが紹介されたのは、パンダの飼育が始まったあたりまで下るというのは、ありそうなことです。(期待をもって開いた、大正2年発行の『内外普通動物誌(脊椎動物篇)』という本には未記載でした。)

>飛鳥時代に日本へ生きたパンダが運ばれた

うわあ、本当だったらものすごい話ですね!!
(本当だったら、という点にウエイトがかかりますが…^J^)

_ Sora ― 2012年12月01日 17時14分04秒

大英博物館(当時は大英博物館にあったのでしょう。今は自然史博物館にありますが)にあったと思われるジャイアントパンダの剥製写真を見つけました。
ttp://zigane.at.webry.info/200609/article_19.html

剥製と図版を比較すると足を出している位置とかが逆ではありますが、ネガ的に見れば似ている様な気もします。真相や如何に。

この剥製の実物、12年前に自分の目で見ている筈、なんですが、まるで覚えていないのは何故かしら…;;
ロンドン動物園のアイドルパンダだった「チチ」の剥製を見たのは覚えているんですが。

_ 玉青 ― 2012年12月01日 18時25分50秒

ありがとうございます。早速例のパンダを拝見しました。
学術史的には非常に貴重な剥製なのでしょうが、たしかに地味は地味ですね。
Soraさんの記憶にとどまらなかったのも分かるような気がします。
剥製は生きている時と同じように年を取るものなんですねえ(しみじみ)。
我が家にやってきた剥製はどうなるのか…(ぶつぶつ)。

_ S.U ― 2012年12月01日 18時57分37秒

 私が所持しているパンダが載っているもっとも古い動物図鑑『少年少女学習百科大事典』第11巻(学習研究社)を見てみました。(これは古書店で買った物で、初版の発行は1961年らしいですが、奥付けの紙が剥がれて何年版かはわかりません。私も現役小学生の時に同じ本を買ってもらいましたので1965年頃までは印刷されていたようです)

 そこでは、ジャイアントパンダは「ダイパンダ」になっていました。レッサーパンダは「ショウパンダ」です。

_ 玉青 ― 2012年12月02日 17時42分16秒

お調べいただき、ありがとうございました。

>ダイパンダ…ショウパンダ

分かりやすい。(笑)
考えてみると、英語由来の「ジャイアント」と「レッサー」って、対が取れてない気がするので、「大・小」の方がすっきりしていいかも。

私も気になって、1959年(昭和34)に出た、講談社の『世界の動物の図鑑』を見てみたのですが、そこには「クマのなかま」ではなく「アライグマのなかま」として、「レッサー=パンダ」、「ジャイアント=パンダ」の名が挙がっていました(分かち書きしてあるのが一寸珍しい)。後者の記述はそっけなく、「頭胴180cm。チベット東部産。えさ、タケ」だけです。

なお、同書巻末に付いている哺乳類の分類表では、「アライグマ科 〔…〕パンダ・小パンダ〔…〕」となっていて、ここにも小パンダが顔を出していました(この表は、本文を書いた人とは別の人が作成したのかもしれません)。

Soraさんからの情報も併せて、戦後もけっこう遅くまで日本語の名称が揺れていたことが分かったことは今回の大きな収穫です。近日中に一覧表にまとめ、諸人の参考に供したいと思います(というほど大げさなものでもありませんが・笑)。

_ (未記入) ― 2022年10月28日 20時05分04秒

1960年ごろの平凡社大百科事典にも色分け熊の挿絵が載ってましたあ。あんまり古い話だからどんな挿絵だったか思い出せないす。

_ 玉青 ― 2022年10月29日 08時22分33秒

ありがとうございます。そういえば、最近、パンダの話題を目にすることが増えましたね。ここは温故知新、いろわけぐまの時代にさかのぼって、日本人とパンダの関係を振り返るのも意義あることではないか…そんなことを思いました。

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