白黒熊はいたか?2012年11月26日 20時52分16秒

(昨日のつづき)

まず初めに述べておくと、こういう問題に関して真っ先に参照すべき、荒俣宏氏の『世界大博物図鑑』は、この件については情報なしです。和名はジャイアントパンダ、中国名は大熊猫と書かれているだけです。

   ★

「白黒熊」の名は、ネットで検索するとすぐに見つかりました。
それは『しろくろぐま』という絵本の題名に使われており、この本はまだパンダブームの余韻が残る1976年に講談社から出ていました。


(↑高橋宏幸著、『しろくろぐま』表紙。内容は未見。
近くの図書館が所蔵しているらしいので、今度見てこようと思います。)

国会図書館のデータベースによれば、「(あらすじ)中国のはるかおく地のヤンツー川のみなもとのあたりにすむロロ族の少年とパンダの物語。題名はパンダの中国名の一つ」という内容の本だそうです。

しかし、もしこの絵本が「白黒熊」のソースだとすれば(あり得ないことではないと思いますが)、それは本来の和名ではないし、格別古くもない―少なくとも「パンダ」よりさらに新しい―ことになります。

   ★

では範囲を中国まで広げて、「白黒熊」は中国名なのか?
たしかに、中国語版のウィキペディア(http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%93%E7%86%8A)には

「1869年,法国天主教伝教士 阿爾芒•載維徳 在四川宝興県鄧池溝 認識了熊猫後,給“熊猫”定名為“黒白熊”(1869年、フランス人宣教師アルマン・ダヴィドが、四川省宝興県鄧池溝においてパンダを発見し、「パンダ(熊猫)」を「黒白熊」と命名した)」

という記述があります(表記は日本の当用漢字に改めました。以下同じ)。

私には中国語が分からないので(上の訳は漢文式に読んだまでです)、上の記述のニュアンスが今一つ分からないのですが、ここに出てくる「黒白熊」は、ダヴィドがそういう中国名を考案したというよりは、彼がパンダに与えた学名「Ailuropoda melanoleuca(黒白の猫足獣の意)」を中国語で説明したものではないでしょうか。

中国語版ウィキはさらに続けて、

「古籍所記載的許多動物或神獣 可能指的是熊猫、比如:(古書に記された多くの動物や神獣はパンダを指している可能性がある。例えば…)食鉄獣、竹熊、白羆、花熊、華熊、花頭熊、銀狗、峨曲、杜洞尕(ガ;「乃」の下に「小」)、執夷、猛豹、猛氏獣」

等の名称を挙げています。
ここにも、「白黒熊」や「黒白熊」は当然ながら見当たりません。
いずれにしても、「白黒熊」「黒白熊」は、たとえその名があったとしても、中国古来の名称ではありませんし、また一般に通用している名とも思われません(ちなみにダヴィド自身は、現地の人がパンダのことを一貫して「白熊」と呼ぶのを聞いていました。cf. H.ヴェント(著)『世界動物発見史』、平凡社、1988、pp.493-504)。

上記絵本の直接の典拠は不明ですが、ひょっとしたら「しろくろぐま」は、漢名ではなしに、現地の少数民族における呼び名なのかもしれません。

   ★

さて、ネット上を右往左往するのはここまでにして、パンダが載っていそうな昔の図鑑に直接当たることにします。そこには果たして白黒熊がいるのか、いないのか?

(この項つづく)

コメント

_ T.Fujimoto ― 2012年11月26日 21時58分35秒

こんばんは。
「色分熊」も中国語ぽくないですが、「白黒熊」も中国語ぽくないですね。
四文字熟語の「黒白分明」など、中国語では「黒白」で始まる熟語や単語はたくさんありますが、「白黒」の熟語は、寡聞にしてひとつも思い出せません。

_ たつき ― 2012年11月27日 03時31分53秒

玉青様
遅れましたが、あなた様がこの惑星に生を受けられたことをお祝いたしいます。
私も一時期は誕生日が複雑なものとなっていましたが、自分が生まれたことを祝ってもらうのはいくつになっても嬉しいものだと思うようになりました。
さて、年齢がバレますが、私もパンダ世代です。上野まで大群衆で、警備の人のスピーカーの「立ち止まらないで下さい」という声とチラリ見たでかい動物(やたら巨大な記憶がありますが、私が小さかった)のことは覚えています。
それと、やはり「大熊猫」は聞いたことがありますが、他の名前は知りません。だいたい、あれの公式の発見は1900年代に入ってからで、記録に残っているものは後から探したものではないのでしょうか。公式発見以前は雪男並みの伝説の生き物で、なかばUMAだったはずだったと思いますが、どのような結論になるのでしょうか、続きを楽しみにしております。
それにしても、返信の書き込みは大変でしょうが、にぎやかなお誕生日でうらやましいです。

_ Sora ― 2012年11月27日 21時05分36秒

久し振りに書き込みさせて頂きます。
手許に子供の頃に購入したR&D・モリス著「パンダ」中央公論社/昭51年発行 があるのでパンダの呼び名に関して記載されていないか読み返してみました。
現地ではダヴィド神父、また生きたパンダを西洋へ初めて連れて帰ったルース・ハークネス夫人の記述では中国現地ではパンダは「白熊(ベイシュン)」と呼ばれていた、とあります。
またダヴィド神父が命名した「黒白熊」ですが、これはダヴィド神父が命名した学名「Urusus melanoleucus」から来ているようです。
(「Ailuropoda melanoleuca」の学名はパンダをクマ属(Urusus)では無く、レッサーパンダに近い、としたパリ自然史博物館長の息子「アルフォンス・ミルヌ=エドワル教授による命名を元にしたもの)

現地名ではパンダは「白熊」の他にも様々な呼ばれ方をしていた様で「猫熊」「ぶちの熊」「熊和尚」など。
また「白熊」という呼び方ですが、パンダと極めて生息地が近い場所にはヒマラヤグマを含むある種の熊が生息しており、中でも殆ど白色と言って良いヒグマの亜種なども生息している為、これらの熊も含めて「白熊」と呼ばれていた可能性も無きにしもあらず、と言う事で。

ダヴィド神父とミルヌ=エドワル教授(とその父アンリ)によりヨーロッパにジャイアントパンダの存在が知られた後は「手熊」「竹熊「道化熊」などの通俗名でも呼ばれ、大英博物館ではジャイアントパンダの標本は「まだら熊」として表示されていたようで。
(後に1901年に熊よりはレッサーパンダに近い種類である、とした動物学者レイ・ランカスターの論文により、「まだら熊」から「グレートパンダ」の表記に変更)

_ 玉青 ― 2012年11月27日 21時42分22秒

○T.Fujimotoさま

「白黒熊」の謎はまだ続く予定ですが、仮にこの名称が中国語由来とした場合、先方の「黒白熊」を一種<和様化>して「白黒熊」とした可能性もありそうです。日本語の語順だと、やはり「しろくろ」の方が据わりがいいですから。
 逆に日本の「平和塔」のような史跡を(これは固有名詞ですから「平和塔」のままでも良さそうなものですが)、中国の人が「和平塔」と<漢訳>して紹介している例もあったように記憶しています。
 一衣帯水と言いながら、両国は微妙な語法の差がありますね。

○たつきさま

お祝いありがとうございます。
たつきさんも、あの行列の中にいらしたとすると、ひょっとしたら、すぐそばで並んでパンダを眺めた可能性もありますね!とにかく連日すごい人出だったのを覚えています。

昔のパンダは間違いなくUMAでしょう。たぶん、現地の人は昔からその存在を知っていたと思いますが、その生息域自体、中国の中央部から見れば「秘境」めいた土地ですから、中国の多くの人にとっても謎の怪獣だった時期が長いのでしょう。

あ、それと毛沢東バッジですが、あれは毛沢東語録とともに中国の知人にもらいました。
これぞ、現代史の生きた証だと思います(ただ、最近は今出来のニセモノもあるらしいです)。

○Soraさま

わあ、ありがとうございます!
なるほど、現在の学名はいったん「Urusus melanoleucus」を経由しているのですね。それならばバッチリ「黒白熊」で話が合います。大いに納得です。
またパンダのすぐ近くには、正真正銘のクマも住んでいて、西洋流の動物分類学の知識を持たない人にとっては、完全にごっちゃになっていたというのも、たいへんよく分かる話です。
パンダの分類学的地位は、今でもすっきり解決が付いていない気配もありますが、昔の人の混乱ぶりも実に興味深いですね。なんとも人騒がせな動物ですが、パンダ自身が気にしていないものを、外野のホモサピエンスが気にしてもしょうがない気もします。まあ、そういうお節介なところが、ヒトの業なのかもしれません。

_ Sora ― 2012年11月27日 21時58分09秒

「いろわけぐま」の名称は(株)学習研究社『新訂 学習カラー百科(6 生物の世界)』1972年初版 では記載されているようですね。
ttp://www.webzakki.com/z100327.shtml

手持ちの古い百科事典ではどうだろう、と学研学習百科大事典第6巻(動物・植物)昭和49年第14刷を見てみましたが「ジャイアントパンダ」とだけしか記載されていませんでした。

_ 玉青 ― 2012年11月28日 05時49分26秒

うひゃー。
「色分け熊」の話題は、この後に取っておこうと思いましたが、見つけられてしまいましたねえ。(^J^)

それにしても、1972年というパンダ来日の年に出た図鑑にも、この名が使われていたとはビックリです。私は戦前の図鑑にその名を見つけたのですが、それがその後もしぶとく生き残っていたのが分かったのは大収穫です。この点を織り込んで、次回の記事をまとめてみようと思います。ご教示ありがとうございました。

(それにしても、ご紹介いただいたページを読んで、思わず大笑いしました。古い図鑑の妙味はああいうところにもありますね。)

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