なぜか熊猫2012年11月25日 16時14分28秒

卒爾ながら、今日は私の誕生日です。

ためしに過去のブログ記事を読み返したら、最初の頃は、11月25日になると誕生日にからむ記述がありましたが、最近は去年も一昨年も特に言及がなくて、我ながらどうでもよくなってきたのでしょう。

しかし、今年はいささか思いを改めました。
齢(とし)を取れば取るほど余生が貴重になるわけですから、「別に…」とか「所詮…」とか、斜に構えることなく、無事余生をつないで誕生日を迎えられたことを、子どものように喜んで然るべきではないかと思ったわけです。そして、そのほうが年寄りとして、素直で可愛げがあるのではと。(まあ、お若い方に「この場所ふさぎが!」と思われると寂しいですが。)

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誕生日ということで、知り合いからメールでグリーティングカードをもらいました。
それはパンダの登場する動画につながっていて、私の心は、しばしパンダが上野に来た当時に飛んでいました(今年はパンダ来日40周年です)。

既に小学生だった私は、その頃のことをよく覚えています。
日中友好ムード一色だったあの時代。子どもの私からすると、当時の中国の人は、みな人民服を着た気のいい人たちというイメージでしたから、今日のように隣国同士が激しくいがみ合う日が来るとは思ってもいませんでした。

(↑荒俣宏著、世界大博物図鑑5・哺乳類よりジャイアントパンダの図。
原図はミルヌ=エドヴァールの『哺乳類誌』(Henri Milne-Edwards, Recherches pour servir à l'histoire naturelle des mammifères, 1868-74)による。なお、上はレッサーパンダ、赤いのは毛沢東バッジ。)

その後すぐに始まったBCL(海外放送聴取)ブームにより、私もBBCやラジオオーストラリアの合間に、北京放送やモスクワ放送を熱心に聞きながら、「政治とは激しい言葉の応酬のことなんだな」とボンヤリ思ったりしましたが、文化大革命の実情なぞは何も知らずに、遊び暮らしていました(小学生だから当然です)。

それにしても、当時のパンダブームはすさまじく、男兄弟ばかりの我が家にも、なぜか巨大なパンダのぬいぐるみがありました。(それは私がいたずらをしたせいで、後に悲惨な姿に変貌を遂げましたが。)

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そこからふと思い立って、ウィキペディアのジャイアントパンダの項を見る気になったのですが、そこには一寸気になることが書かれていました。


「日本語名」の解説をする箇所に、「この節の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。議論はノートを参照してください。(2012年8月)」と、ことさら目立つ形で書かれていたのです。

問題とされたのは、

「日本語では標準和名「ジャイアントパンダ」のほか、古くは「白黒熊(シロクロクマ、シロクログマ)」「色分熊(イロワケクマ、イロワケグマ)」とも呼ばれていた。これら異称としての和名は今ではほとんど用いられないが、消えたわけでもない。」

という記述です。
「白黒熊」とは、いかにもありそうなネーミングですが、ウィキペディアの「ノート」のページには、

「シロクログマ(白黒熊)イロワケグマ(色分熊)という呼び方は聞いたことがないですが、日本の図鑑などでこのような名前を使っていたことがあるのでしょうか?中国での呼び名だとしたら、その後の中国では~の部分に載せるのがよいかと思います。」

云々という疑問が提示されていました。要するに「白黒熊」等の名は、ソースがはっきりしないという指摘です。

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1人の中年男性が、自分の誕生日にあたって、なぜかパンダの和名に興味を持ち、それを調べ始めることが、道に叶った振る舞いなのかどうか?現下の日中情勢に思いを馳せて、その打開策を構想することの方が、より重要なのではないかという反省もあります。

しかし、何事も原点に返ることは大事ですし、最近博物チックな話題が少なかったこともあり、少しパンダ問題に紙幅を費やすことにします。

(この項つづく)