星と荒事…團十郎逝く2013年02月11日 10時24分44秒

ジョバンニの話題は小休止。

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十二代目・市川團十郎(以下、団十郎)、本年2月3日寂。享年66歳。
歌舞伎役者の彼が、天文趣味人であったことは、わりと知られているエピソードのようで、ウィキペディアにもチラッと書かれています。

団十郎さん…という呼び方は据わりが悪いので、ここでは敬称を略しますが、その団十郎が天文に目覚めたのは、小学生の頃の火星大接近がきっかけだそうです。調べてみると、これは昭和31年(1956)のことで、最接近は9月でした。ときに団十郎は小学4年生。もちろんまだ「団十郎」を名乗る前ですが、彼はすでに初舞台を済ませ、歴とした役者の一員でした。このとき彼は父親(十一代目団十郎)にせがんで、口径5センチの屈折望遠鏡を買ってもらい、以後天体観測に励むことになります。

翌年(1957)は宇宙時代の画期、スプートニク打ち上げの年。ライカ犬が宇宙に飛び立ち、西側世界に衝撃を与えたのはこの時のことです。さらに肉眼で観測できる彗星が2個出現(アランド=ローランド彗星、ムルコス彗星)し、こうした出来事にあおられて、団十郎少年の天文趣味はますます熱を帯びた…のだと想像します。

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団十郎の訃とともにその天文趣味を耳にし、かつて読んだ雑誌の記事を思い出しました。それは2009年の世界天文年を記念して、雑誌「東京人」が8月増刊号として、三鷹の国立天文台特集を組んだ折りのものです。


その中で団十郎は、国立天文台を見学しながら、当時の台長・観山正見(みやましょうけん)氏と対談しています(名前から想像される通り、観山氏の実家はお寺だそうで、記事では団十郎と仏教的宇宙観の話題で盛り上がっています)。
実は、上で書いた団十郎と天文趣味の出会いのエピソードも、この対談記事が元になっているので、改めてご本人の言葉を引いておきましょう。


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団十郎
 小学生の小学生の頃に火星の大接近がありましてね。
ふだん父は物をあまり買ってくれなかったんですが、「望遠鏡が
欲しい」と言ったら「いいよ」と、口径五センチくらいの屈折望遠鏡を
買ってくれたんです。それを一生懸命覗いたら、火星もね、
赤っぽいものがけっこう大きく見えたんですよ。父も息子に
買わせて自分が覗きたかったんでしょう、望遠鏡を合わせると、
「どれどれ」なんて庭に出てきて見ていました。
 ちょうど、ソ連のスプートニク1号、アメリカのエクスプローラ1号
という人工衛星が打ち上げられて、地上からでも見えると言われて
いた頃です。

観山
 子ども時代から、今も天体観測を続けられているわけですね。

団十郎
 ええ。月日が経って、また火星の接近があったので、
さらに大きな口径の望遠鏡を買ったんですが…以前に見た火星よりも
小さいんです。つまり性能がよくなって、ぼやけていたものが、
はっきり見えるようになったんですね(笑)。その代わり表面の模様は、
以前よりもずっとよく見えました。
 それから日周運動で動く天体に合わせて星を追尾する赤道儀を
使いました。北極星のほうをめがけて垂直に立てて、誘導の望遠鏡を
ちょっとずらして、大変な思いをしながら、市販のカメラで月や土星の
写真を撮ったりしました。

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時代を考えると、かなり本格的な天文少年ですね。「月日が経って」というのは、以下の記事によれば、高校生のときに反射式望遠鏡を入手したことを指すようです。

WEB25ロングインタビュー 「宇宙と歌舞伎は同じこと」
 http://r25.yahoo.co.jp/interview/detail/?id=20080306-90003639-r25&order=125

この間、昭和36年(1961)には、ガガーリンが初有人宇宙飛行。同年、アメリカがアポロ計画を発表。さらに昭和38年(1963)には、初の女性宇宙飛行士、テレシコワが登場しています。国内では本田実・関勉両氏による彗星発見の報が続き、昭和35年には岡山天体物理観測所が、昭和37年には埼玉の堂平観測所が開所し、本格的な大型望遠鏡時代がやってきました。

(昭和39=1964年の「天文と気象」誌。特集は「夏休み天体観測と天体写真術」。)

荒事の家に生まれた団十郎ですが、当時はごく内省的な傾向を持つ少年だったように思われます。その生活環境が大きく変わったのは、昭和40年(1965)に、父である十一代目の団十郎を亡くしてからで、彼は人間としても役者としても大いに苦労したらしいですが、その間も宇宙への関心を失わなかったのは、あっぱれな天文趣味人だったと言うべきでしょう。

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以下に「東京人」の記事から、彼の言葉をいくつか書き抜いておきます。

「荒事」という形態の演技にも、仏教的な宇宙観があります。六方(ろっぽう)は、東西南北、天地の方向を指し、それぞれの方向の宇宙の果てまで鳴り響く、堂々とした歩き方です。ほかにも見得や、陰陽という光と影の世界を体で表そうという宇宙観があります。生物独特の吸う・吐くという「息」などの要素を基軸にしています。
   +
私は外の宇宙はもちろんですが、この人体の中の宇宙にも関心があるんです。キリスト教はどちらかというと、外、次の世界へという一方通行のように思いますが、外の宇宙、中の宇宙、輪廻など、荒事の舞台をつとめる土台として考えています。
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歌舞伎で「無から有を生じ、有から無を生じる」という台詞があるんですが、理論的に言ったらおかしいですが、もしかしたら宇宙は、無から有が生じて、有から無が生じる世界であるとも考えられる。
   +
この先、月でも惑星でも水があるとわかったなら、そこで生活できる可能性はぐんと高まるわけですから、宇宙への大航海時代ですよ。そして将来、歌舞伎が存在しえたならば、日本にこういう文化があることを宇宙でも紹介したいし、やってみたいなと思います。
   +
私にとって宇宙は、美しさを感じさせるものです。科学の法則、踊りや人間の動作にしても、美しいものには真理があると思います。
   +
(人間の身体の構成物質が星の中で作られたという話を受けて)
昔から亡くなった人はお星さまになったというのは、本当に言い得て妙ですね。

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私は歌舞伎には疎いですが、天文趣味に心惹かれる者として、同時代を生きた先達が星に還る姿を、静かに見送りたいと思います。

コメント

_ かすてん ― 2013年02月12日 08時35分06秒

この『東京人』私も持っていたと思いますが、手元に見当たらない。

それはともかく、同世代の勘三郎が死んだ時は愕然としました。
勘三郎は勘九郎、団十郎も海老蔵のころから知っていますので、まだ逝く歳じゃないよと言いたいです。歌舞伎に詳しくはありませんが、前の世代の大物役者もほとんどいなくなってしまい、看板役者も菊五郎とか幸四郎とか玉三郎、上方の仁左衛門、藤十郎などもそれなりの歳になっているので、世代交代を含め歌舞伎界のこれからがどうなるのかちょっと気になります。

_ 玉青 ― 2013年02月12日 21時16分41秒

くしくも歌舞伎座が60余年を経て建て替えなりましたが、役者の方の世代交代も急速に進んでいるんでしょうかね。
まあ、歌舞伎の世界は、昔から「最後の名優逝く」と大名跡の死を惜しみつつ、でもちゃんと次の名優が育ってきた歴史を繰り返しているみたいですから、当分は安泰かもしれませんね。
(書きながら、ふと森林の世代交代を思い出しました。大木が倒れると日当たりが急に良くなって、それまで成長を抑えられていた若木がぐんぐん伸び出して大木となり、それがまたいつか倒れて…の繰り返しという。)

_ かすてん ― 2013年02月12日 22時13分14秒

>森林の世代交代を思い出しました。大木が倒れると日当たりが急に良くなって、それまで成長を抑えられていた若木がぐんぐん伸び出して大木と

大局的に見渡せばそうかもしれませんね。しかし、勘三郎などはまだまだ大木になりきっていなかっただけにもったいなさ感じてしまいます。尤も、客層も世代交代時期ですから、若いファンが若い役者を支持する、次世代の歌舞伎界を楽しみにしましょう。

_ 玉青 ― 2013年02月13日 01時09分07秒

>まだまだ大木になりきっていなかった

惜しみても余りある…。されど、

>若いファンが若い役者を支持する

降り注ぐ太陽と、肥沃な土壌があれば、そのうち必ず森は蘇ることと思います。

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