ガラスペンがやってきた ― 2013年09月19日 20時20分47秒
ときに、先日「水蓮の製図ペン」の話題を書いたとき、皆さんのコメントを読んで、自分もガラスペンを、それも胸ポケットに収まりのいい万年筆型のものが欲しいと思い、注文したのですが、それがやっと届きました。
(キャップ装着時)
(キャップを外したところ)
ドイツのHARO社から戦前(1930年代か)に出た「HARO II」というタイプ。
レバーを押してタンクにインクを吸い上げ、あとはそこから飴色をしたらせん状のペン先に、自然にインクが降下する仕組みです。
(インク吸い上げレバー)
(アンバー色をした鋭角的なペン先)
ペン先はなかなか鋭く、製図用にも使えそうな風貌をしていますが、実際には普通の万年筆とあまり変わらない線のようです。
(HARO II による書字例。出典:
http://www.fountainpennetwork.com/forum/index.php/topic/98299-more-glass-haro-ii-pen/)
http://www.fountainpennetwork.com/forum/index.php/topic/98299-more-glass-haro-ii-pen/)
まあ、このシリーズはすべてイメージ先行なので、これはこれで良しとしましょう。
コメント
_ zabiena ― 2013年09月19日 23時54分57秒
_ 銀 ― 2013年09月20日 03時45分22秒
これはなかなか実用的なデザインですね。書き味の方はいかがでしょうか。
先日書き込みをした手前、図書館にあった「天球儀文庫」を読んでみました。初版の単行本では全4冊の連作で、アビと宵里という二人の少年の物語が、秋から始まり四季折々に綴られています。
アビと宵里の関係性は、天体議会の銅貨と水蓮とのそれに酷似しており、各少年の性格は多少変えてあるものの、物語に登場する店や物、イベントなどには共通項が多く、一種の並行世界といった印象です。これは長野氏の作品全般に見える傾向ではありますが、それにしても、両者の世界観には同時期(いずれも初出は1991年)に書かれたとは思えないほど似た要素があり、天体議会を読み解く上での比較対象として面白いのではと思いました。
件のガラスペンは宵里の持物として「月の輪船」に登場し、実はその後も同シリーズの中で重要なアイテムとして活躍することとなりますが、残念ながらその形状は、天体議会の製図ペンとは随分異なるようです。
「彼はわざと、あの書きにくい厄介なペンを使う。油断をするとすぐ洋墨(インク)の汚点(しみ)がつくし、太さも安定しない。だいゝち速さがモノをいう授業の筆記に、何も付けペンを使うことはないのにと、アビは思った。
宵里がガラスペンにこだわるのは、海岸通りの〈ルネ文具店〉で手に入れた、いまどき珍しい水溶きの洋墨を使うためである。(中略)理科の筆記帳(ノオト)を取るにはガラスペンにかぎるという、根拠のない定義を主張していた。しかも、彼はけしてペン使いの巧者ではないのだ。」
以上の描写から察するに、このガラスペンは付けペンタイプの筆記用、理科用に似つかわしいとなると、おそらくは軸部分もガラス製で、キャップをはめるなどして筆箱に入れて持ち歩いていたのではないでしょうか。
付けペンタイプのガラスペン、といえば、以前のコメントでzabienaさんが指摘されていたように、この物語の書かれた頃か或はもう少し以前から、女子学生の憧れのアイテムとして、ガラスペンがあったように思います。私自身、友人から一寸洒落た色のインクの小壜とセットになったものを学生時代にプレゼントされた経験があります(1980年代後半)。
思うに当時、70年代終わりから80年代にかけては、いわゆる丸文字が大流行した時期で、米粒のような小さな字でびっしりと手紙や交換日記を綴った女の子達の間では、今のようにカラフルな極細の水性ペンがなかった代わりに、シャープペンシルのカラー芯や、万年筆のカラーインクが使われていました。ただ、万年筆に関しては、カートリッジの場合、頻繁に付け替えることでインクが乾いたり、色を変えるのに時間がかかったり、という問題がありましたから、洗ってすぐ色を変えられる付けペンは、ある意味実用的でもあったのかも知れません。
先日書き込みをした手前、図書館にあった「天球儀文庫」を読んでみました。初版の単行本では全4冊の連作で、アビと宵里という二人の少年の物語が、秋から始まり四季折々に綴られています。
アビと宵里の関係性は、天体議会の銅貨と水蓮とのそれに酷似しており、各少年の性格は多少変えてあるものの、物語に登場する店や物、イベントなどには共通項が多く、一種の並行世界といった印象です。これは長野氏の作品全般に見える傾向ではありますが、それにしても、両者の世界観には同時期(いずれも初出は1991年)に書かれたとは思えないほど似た要素があり、天体議会を読み解く上での比較対象として面白いのではと思いました。
件のガラスペンは宵里の持物として「月の輪船」に登場し、実はその後も同シリーズの中で重要なアイテムとして活躍することとなりますが、残念ながらその形状は、天体議会の製図ペンとは随分異なるようです。
「彼はわざと、あの書きにくい厄介なペンを使う。油断をするとすぐ洋墨(インク)の汚点(しみ)がつくし、太さも安定しない。だいゝち速さがモノをいう授業の筆記に、何も付けペンを使うことはないのにと、アビは思った。
宵里がガラスペンにこだわるのは、海岸通りの〈ルネ文具店〉で手に入れた、いまどき珍しい水溶きの洋墨を使うためである。(中略)理科の筆記帳(ノオト)を取るにはガラスペンにかぎるという、根拠のない定義を主張していた。しかも、彼はけしてペン使いの巧者ではないのだ。」
以上の描写から察するに、このガラスペンは付けペンタイプの筆記用、理科用に似つかわしいとなると、おそらくは軸部分もガラス製で、キャップをはめるなどして筆箱に入れて持ち歩いていたのではないでしょうか。
付けペンタイプのガラスペン、といえば、以前のコメントでzabienaさんが指摘されていたように、この物語の書かれた頃か或はもう少し以前から、女子学生の憧れのアイテムとして、ガラスペンがあったように思います。私自身、友人から一寸洒落た色のインクの小壜とセットになったものを学生時代にプレゼントされた経験があります(1980年代後半)。
思うに当時、70年代終わりから80年代にかけては、いわゆる丸文字が大流行した時期で、米粒のような小さな字でびっしりと手紙や交換日記を綴った女の子達の間では、今のようにカラフルな極細の水性ペンがなかった代わりに、シャープペンシルのカラー芯や、万年筆のカラーインクが使われていました。ただ、万年筆に関しては、カートリッジの場合、頻繁に付け替えることでインクが乾いたり、色を変えるのに時間がかかったり、という問題がありましたから、洗ってすぐ色を変えられる付けペンは、ある意味実用的でもあったのかも知れません。
_ 玉青 ― 2013年09月20日 21時35分06秒
〇zabienaさま
ガラスペンはその姿を愛でるもの…というのは、私の場合も全くその通りです。
たぶん、このペンで文字を書くことはないんじゃないかなあ…と思います。ペン字に自信もないし、まあ純然たる「観賞用」ですね(笑)。
そういう観点からいうと、アンバーもいいですが、寒色系のペン先だったら、もっとガラスの硬質さが感じられて良かったようにも思います。(淡い水色のペン先、いいですね!)
〇銀さま
おお、これは詳細なコメントをありがとうございます。
おっしゃるとおり、宵里のペンは水蓮のペンとはだいぶ趣を異にしていますね。前者はおよそ製図向きの品ではなさそうですが、にもかかわらず、長野氏は両者に理科趣味的属性を付与しており、この点が長野氏にとってガラスペンとは何であるかを、何よりも雄弁に物語っているのでしょう。要は、氏にとってガラスペンとは、その機能よりも形態(あるいはオブジェ性)に重きがあって、この辺は上でzabienaさんが書かれていることとも重なりますね。
20世紀後期におけるガラスペンの文化史的位置づけも興味深い点です。
以前は純然たる実用品だったガラスペンが、ある時期から独自のオーラを放つ存在となり、女子学生の間で人気を博すに至った。その背後には、いったい何があったのか?銀さんが挙げられたような実際的理由の他にも、何か隠された理由や、エポックメーキングな出来事があったのかどうか?
…というようなことを調べていくと、『ガラスペンの文化史』が1冊書けそうですね。(^J^)
ガラスペンはその姿を愛でるもの…というのは、私の場合も全くその通りです。
たぶん、このペンで文字を書くことはないんじゃないかなあ…と思います。ペン字に自信もないし、まあ純然たる「観賞用」ですね(笑)。
そういう観点からいうと、アンバーもいいですが、寒色系のペン先だったら、もっとガラスの硬質さが感じられて良かったようにも思います。(淡い水色のペン先、いいですね!)
〇銀さま
おお、これは詳細なコメントをありがとうございます。
おっしゃるとおり、宵里のペンは水蓮のペンとはだいぶ趣を異にしていますね。前者はおよそ製図向きの品ではなさそうですが、にもかかわらず、長野氏は両者に理科趣味的属性を付与しており、この点が長野氏にとってガラスペンとは何であるかを、何よりも雄弁に物語っているのでしょう。要は、氏にとってガラスペンとは、その機能よりも形態(あるいはオブジェ性)に重きがあって、この辺は上でzabienaさんが書かれていることとも重なりますね。
20世紀後期におけるガラスペンの文化史的位置づけも興味深い点です。
以前は純然たる実用品だったガラスペンが、ある時期から独自のオーラを放つ存在となり、女子学生の間で人気を博すに至った。その背後には、いったい何があったのか?銀さんが挙げられたような実際的理由の他にも、何か隠された理由や、エポックメーキングな出来事があったのかどうか?
…というようなことを調べていくと、『ガラスペンの文化史』が1冊書けそうですね。(^J^)
_ S.U ― 2013年09月21日 05時45分56秒
これは、けっこう先端が細身の円錐形になっているようですね。物差しやテンプレートに当ててもOKでしょうか?
_ 玉青 ― 2013年09月21日 16時41分28秒
こういってはガラスペンに悪いですが、所詮はガラスですからねえ…
まあ、物差しやテンプレートぐらいならば、無理に力を加えない限り、よっぽどいいと思うんですが、床に落としたり、硬いものにぶつけたりするのは禁忌でしょうね。
まあ、物差しやテンプレートぐらいならば、無理に力を加えない限り、よっぽどいいと思うんですが、床に落としたり、硬いものにぶつけたりするのは禁忌でしょうね。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
今年初め、長野まゆみ氏の「耳猫冬市」なる放出市に出かけた折、氏の蒐集しておられた淡い水色の硝子ペンのペン先が、標本のように並べられており、大変美しかったのを思い出しました。
学生時代の思い出も相まって、硝子ペンはその美しい姿を愛でるもの、というイメージがありますが氏にとってもそういう部分は少なからずあったのかな、と思います。
ちなみに私はというと・・・所有しているのはデッドストックの日本製の竹軸の安価なもののみです。
使用するわけでもなく、ただ漫然と抽斗の中にしまいっぱなしになっております(笑)