『遠い世界から』2014年03月25日 21時45分52秒


「やたらに忙しい忙しいというものではない」「忙し自慢は見苦しい」
これが世間の常識で、私もまあそうだと思うんですが、しかし先週は三連休も三連勤になってしまい、だんだん草臥れてきました。今度の土日も当然の如く仕事でしょう。こんなことでは、本当に魂が地上を離れてしまいそうです。

記事の続きも書けるような書けないような。
前回の本の中身を見ると予告して、その写真も用意してあるのですが、あまり頭が働かないので、とりあえず貼るだけ貼っておきます。

   ★

この本は全編モノクロながら、1ページを丸々使った写真図版が48点、本文中の挿画が253点と図版も多く、ビジュアル的に眺めるだけでも愉しい本です。

(古代・中世の宇宙観)

(ベルリン天文台の65cm屈折望遠鏡)

(遠い世界へ)

天文学史の話題も豊富だし、1939年当時における最先端の話題も登場します。

(イェーナのツァイス工場で組み立て中の大型反射望遠鏡)

それに、こんな↑興味深い写真も載っていて、きっとドイツ語が読めたら、とても面白かろうなあと思います。残念。

   ★

ところで、写真でもお分かりのように、本書は例の「ひげ文字」で印刷されています。
本書が出た1939年はドイツの書体の端境期で、この時期から後になると、他国と同じ「ふつうの文字」(ローマン体等)の使用が一般化し、今やドイツの人にとっても、ひげ文字は非常に読みづらいものになっていると聞きます。

その書体改革を進めたのがナチスだそうですが、この1939年はドイツのポーランド侵攻により、第2次大戦が勃発した年でもあります。日本では、そんな欧州情勢を横目に、「欧州の天地は複雑怪奇」と言い残して、時の平沼騏一郎内閣が総辞職した年。

(月から見た地球)

当時の天文好きの市民たちは、この小さな惑星上で勃発した陰鬱な出来事をどう感じていたのでしょうか。「もはや遠い星なんぞ眺めている場合ではない」と思ったか、あるいは逆に暗い現実を逃れて、いっそう星見に励んだか。たぶん両方いたような気はしますが、本書に関しては、後者を大いに鼓吹するものであったと思います。(ちなみに、上ではたまたまドイツっぽい写真を取り上げましたが、本書にナショナリスティックな要素は薄く、アメリカのパロマ天文台計画のことも、フランスのフラマリオンのことも、分け隔てなく叙述しています。)

(この静かな本を締めくくる巻末の折り込み星図)

コメント

_ S.U ― 2014年03月26日 07時45分34秒

イェーナのツァイスの写真は、どこに納める望遠鏡なのか、... 戦争の激化もあったので、ちゃんと使われたのかどうなのでしょうか。

 それから、その写真の右のページ(望遠鏡の赤道儀部分の横あたり)に「大ハーシェル」が登場していますね。

_ TY ― 2014年03月28日 19時02分05秒

お久しぶりです。お忙しいようですね。明治村の第四高等学校物理化学教室が公益社団法人日本化学会 化学遺産委員会の化学遺産に認定されたので、「今回の認定を記念して、明治村開村以来、非公開としてきた「化学準備室」を、3月29日(土)・30日(日)の2日間限定で特別公開します。」とのことです。http://www.meijimura.com/information/news/000893.html

_ Linf ― 2015年01月26日 16時32分28秒

初めまして、よろしくお願いいたします。
この反射望遠鏡の光学系は、有効口径1220mm、焦点距離8400mm(Newton焦点概数値)、同24000mm(Nasmyth焦点同)、架台部は、EM Ⅳ(Meyerscher Entlastungsmontierung設計者Franz Meyer1868-1933)で1915年に完成し、1924年Babelsberg天文台に設置されました(第一次世界大戦のため延期された)。
1946年第二次世界大戦の戦争賠償として、ソ連のPulkovo天文台Simeiz支所(Crimean Astrophysical Observatoryの一部 )に移設されました。
Carl Zeiss製品の写真・資料は、購入できるものがThe Carl Zeiss Archivesにリストアップされています。

_ 玉青 ― 2015年01月26日 21時43分52秒

Linfさま

はじめまして。
詳細な情報をどうもありがとうございます。まことに堂々たる望遠鏡ですね!
数奇な運命をたどった大望遠鏡も、今年で満100歳と知り、改めて「戦争の世紀」に思いをはせました。機材にしても、人にしても、「戦争と天文学」はそれだけで大部な本が書ける大きなテーマでしょうし、第2次大戦の前後に限っても、実際多くのドラマがあったことでしょうね。
ことにツァイス社は、戦中から戦後にかけて、社運自体が戦争に翻弄されたわけですから、実に象徴的です。
望遠鏡について硬派な話題が少ない拙ブログではありますが、今後ともいろいろご教示いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。<(_ _)>

_ S.U ― 2015年01月27日 18時45分02秒

玉青様、Linf様、
 情報のお陰様で、ロシア人は物持ちがよいから・・・と調べてみると、Wikipediaの「クリミア天体物理天文台」のロシア語版のページの一番下の写真にこの望遠鏡の最近の姿を見つけることができました。けっこう派手な色です。
 最近は、この望遠鏡も平安に過ごしているか、と思ったのですが、この場所は最近の紛争でウクライナからロシアに奪回された所ですね。本当にどういう「星の下」なのか・・・因縁の望遠鏡なのでしょう。

_ 玉青 ― 2015年01月29日 21時59分27秒

お調べいただきありがとうございました。
たぶん壮健なのだろうと想像しましたが、想像通り100歳を迎えて、なおかくしゃくとしている姿を見られて嬉しいです。しかし、今もその鏡面に、戦争の暗い影が差しているのを知り、思いは複雑です。老望遠鏡は、昔に変わらぬ空を見上げながら、果たしてどんな思いでいるのでしょうね。

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