天文古玩の幼年時代(3)2014年12月21日 15時34分23秒

「あの頃は…」と、わずか10数年前のことを、仰山らしく回想するのもどうかと思いますが、しかし実感として、ずいぶん昔のことのような気がします。

ダンキンの『The Midnight Sky』や、ギユマンの『Le Ciel』の実物を手に取ること―それは渇仰に近い気持ちでしたが、当時はとても難しい仕事でした。そもそも、洋古書をどうやって探せばいいかも分かりませんでした。

洋書というのは、丸善あたりの店頭で注文し、3か月以上待たされて、やっと届くという、それこそ大正時代とあまり変わらない状態が続いていましたし、洋古書にいたっては、それこそ手も足も出ませんでした。

海外のなじみの古書店から、定期的にカタログが送られてきたり、探求書リストを送って探させたりできたのは、ごく一部の層に限られていたでしょう(だから荒俣さんは偉かったのです)。繰り返しますが、それはわずか10数年前のことです。

それからあまり間をおかず、非常に大きな転換点が訪れました。
紀伊国屋書店が、オンラインで洋古書の取次ぎ販売を始めたことです。あれは海外で産声を上げたばかりの古書検索サイト(たぶんAlibris)と提携していたのだと思いますが、それによって初めて天文古書が届いたときの驚きを何にたとえればいいか…。
いく分大げさに言えば、江戸時代の人が、出島経由で蘭書を手に入れたときの喜びに匹敵するかもしれません。(ちなみに、最初に届いたのはサイモン・ニューカムの『Astronomy for Everybody』でした。)

その後、直接海外に発注するのが普通になり、紀伊国屋の世話になることもなくなりましたが、最初に手引きをしてくれた同社には、とても感謝しています。そして、アラジンの魔法のランプとなってくれたネットという存在にも、多大な恩義を感じています(そこには確かに功罪があるにしても、私は声高にそれを悪く言える立場ではありません)。

   ★

ダンキンの本はそうやって我が家にやってきました。


そして、「天文古玩」の最初の記事を飾ることになったのです。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2006/01/23/223693

自分はその中で、

「頁を繰ると、「真夜中の空」という書名の通り、深夜12時に見える星空が季節ごとに綴られていきます。完璧な静寂。深い深い闇。その闇を壮麗に貫く銀河。星明かりに照らされて、ほの白く浮かび上がる建物群。まさに夢の都市のようです(現実のロンドンはこれほど美しくはないでしょう)。 〔…〕静謐なモノクロの美が極限まで表現された佳品です。」

と書いていますが、その思いは今もまったく変わりません。


銀河に照らされた白亜のロンドンの街並みも、


大小のマゼラン雲がぽっかりと浮かぶ、南半球シドニーの街並みも、その美しさは永遠に本の中に閉じ込められて、こうしてページを開くたびに、私の前にその姿を見せてくれます。

(12月15日深夜、セントポール大聖堂の上空に広がるロンドンの北の空)

(ロンドンの南のスカイラインの中心にちょこんと立つグリニッジ天文台)

   ★

その後、天文古書もずいぶん手にしました。
単に美しいというだけなら、もっと美しい本はいろいろあるでしょう。しかし、そこに流れる「詩情」という点において、この本は私にとって依然として最良の1冊です。

やはりあれは運命的な出会いだったなあ…と思います。

(この項つづく)

コメント

_ S.U ― 2014年12月21日 18時52分06秒

言われてみれば、インターネットが普及してすぐ何でもネットで買えるようになったわけではありませんね。相変わらずカタログを郵送してもらって、注文はメールでも支払いは銀行振込という期間がありました。私は、海外への銀行振込など並みの手数料では出来ないと思っていたので、国内代理店を通せる本しか買えませんでしたが、その道の人はみんな果敢に海外銀行振込をしていたのでしょうか。

_ 玉青 ― 2014年12月22日 23時03分48秒

読書エッセイの古典、『チャリングクロス街84番地』のあとがきで、訳者の江藤淳氏が、アメリカ人の著者が、ドル紙幣をそのまま郵便でイギリスに送り付けて、それで古本の支払いができた事実(ドルが無敵だった頃の話です)を、大層うらやんでいたのを思い出します。片や、極東から本を注文するには、いろいろ苦労も絶えなかったらしいですね。

今は、買い物はほとんどオンライン決済になりましたが、カードが使えない業者もたまにいるので、今年は2回ばかり郵便局の定額小為替のお世話になりました。しかし、それも遠からず昔語りになるのでしょう。

_ S.U ― 2014年12月23日 08時36分44秒

かつては送金にスマートな方法はなく苦労されていたのですね。言われてみればそりゃそうで、スマートな方法があれば素人さんも含めてみんなそれでやっていたはずです。
 小為替は懐かしいです。昔の通販は多くの場合は切手でなければ小為替でした。宛先について住所以上の個人情報はいらないので、今でも今なりの利用価値があるのかもしれません。

 私にとって文献利用のブレイクスルーになったのは、これも10年ちょい前のことでしょうが、一般に国立大学の図書館の書庫が特別な許可がなくても利用できるようになったことです。これで文系教員研究者の真似事ができるようになりました。今はオンライン検索や電子版もありますのでもっと楽になりました。

_ 玉青 ― 2014年12月23日 19時25分43秒

利用頻度は少ないですが、私もその門戸開放の恩恵を感じています。
まこと開化の(ここに「ひらけた」とルビあり)世の中…と、何となく明治の初めのような気分が漂います。(笑)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック