2015 迎春2015年01月01日 08時30分33秒

新年明けましておめでとうございます。


上は言わずと知れたおひつじ座と、羊角神アンモンにちなむアンモナイト(Cleoniceras sp.)。

羊に襲いかからんとする、巨大なハエが気になりますが、星座としての格は段違いで、黄道十二宮の第一宮(白羊宮)として古代から尊ばれる牡羊は、17世紀に設定された新参の蝿など、まったく眼中にないようです。

アンモナイトの虹色に、未来への希望を託しつつ、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

【付記】 このハエ、よく見たら翅が4枚ありますね。ハエは「双翅目」の名の通り、後翅が退化して痕跡のみになっているので、この絵はダメです。

雪のフラクタル2015年01月02日 10時45分41秒

元日に続き、新年二日目も雪です。
人間は実によく出来ているもので、「無の刺激」にも反応するのですね。
今朝は、周囲があまりにも静かなのに驚いて目が覚めました。

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雪にちなむ品で、以前、こんなものを買いました。


雪片の写真(※)を額装したもので、裏面を見ると、こんなシールが貼られています。


「雪片でできた雪片」
作者は、雪の写真師として有名なウィルソン・A.ベントレー(1865-1931

(額に同梱されていたリーフレットより)

ベントレーは、少年時代に雪の結晶に魅せられ、農業の傍ら、ガラス乾板を使って5000枚以上もの結晶写真を撮り続け、独身のまま生涯を終えました。亡くなったのは、その主著にして、唯一の写真集である『Snow Crystals』(1931)が出た直後のことです。まあ、一種の奇人といえば奇人ですが、すこぶる魅力に富んだ奇人です。


この作品は、ベントレーが自分の撮りためた写真を加工して作った、自作のコラージュ。その動機が、単なる遊び心なのか、雪片をより美しく見せたいという切実な思いだったのかは不明ですが、実に繊細で、幻想性を帯びた作品に仕上がっています。

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ベントレーは、アメリカ北東部・バーモント州の田舎町ジェリコに生まれ、そこで生涯を送りました。地元のジェリコ歴史協会(Jericho Historical Society)は、この先人を顕彰して、古い水車小屋を改装して常設展を開いたり、ウェブサイトを開設したりしています。

Snowflake Bentley (ジェリコ歴史協会)
 http://snowflakebentley.com/

上の額は、そのオンラインショップ(http://vermontsnowflakes.com/index.shtml)で購入したものですが、同ショップでは他にも、雪の結晶をモチーフにした、ピューター製のオーナメントやブローチ、色とりどりのサンキャッチャーなど、いろいろな品を扱っていて、見ていて愉しいです。


(※)このプリントは、同協会が保有するベントレーのガラス原版を元に、印刷によって複製した品で、紙焼き写真ではありません。

ネオ・ナチュラリスト・インテリア2015年01月03日 09時31分51秒

人の行いとは不思議なもので、まったく自分の意志で、他者とは独立にやっているようでも、意外にそうではなくて、ときには遠い海の向こうでも、誰かがやっぱり似たようなことをやっている…ということが、ままあります。

人の行き来もあるし、同じ時代の空気を吸っているので、自ずとそういうことになるのだと思いますが、やっぱり不思議な気がします。

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このブログもそうかもしれませんが、本当のサイエンスとはちょっと位相の異なる、いわば「風俗としての理科趣味」を追う動きが、近年、世界同時多発的に起きている気配があります。

その一方の旗頭は、言うまでもなくヴンダーカンマー嗜好ですが、さらにそれとは別に、「スッキリ系の理科趣味インテリア」を愛好する人もいて、アメリカではそれを「ネオ・ナチュラリスト・インテリア」と呼ぶらしい…というのが、今日の話題です。


リンク先のページは、「Lamps Plus」という、アメリカ西海岸を本拠とする照明器具屋さんのインテリア・コラム。今から3年前の、ちょっと古い記事ですが、当時(2012年)、このネオ・ナチュラリスト・スタイルが、新しいトレンドとして、デザイン雑誌やショップ・カタログを賑わしていたようです。以下、記事の内容をかいつまんで紹介すると…

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ネオ・ナチュラリスト・インテリアのポイントは、ヴィクトリア朝のテイストをまぶした研究室風の外観と、そこに流れるノスタルジアの感覚。産業革命期のごつい金属ランプは、白熱するフィラメントの懐かしい光を投げかけ、ガラスドームに収まる蝶の標本は、そこにロマンティックなムードを添え、あたかも19世紀の植物学者の住まいを思わせる風情を漂わせます。金属の質感が持つ、男性的・科学的な要素と、優しく和やかなムードの組み合わせから成るこのスタイルは、オフィスや書斎、あるいはキッチンにも最適(…と、コラムの書き手は主張します)。

以下はその実例(キャプションは適当訳)。
 

ネオ・ナチュラリスト様式のお手本ともいえる仕事部屋。ガラスドーム、婦人用の椅子、ロマンティックな机が、古風な照明と組み合わされることで、レトロ感を生んでいます。
 

これまたネオ・ナチュラリスト趣味にあふれた快適な仕事部屋。金属と木でできたカウンター用の丸椅子が素晴らしい。これは座面を回転させることで、ちょうどよい高さに調節できます。古びた革張りのウィングバック・チェアーが、古びた金属ランプや、ふんだんに用いられた木部とよく調和しています。
 

インダストリアル・エイジの黎明期のムードが漂う部屋。驚異の部屋(Cabinet of curiosities)と同様、この仕事部屋も、温もりのある木材と金属との組み合わせからできています。切り貼りやラッピング作業には、まさにうってつけのスペース。ここに見られる品の大半は、フリーマーケットや地元のアンティーク・ショップで見つけることができるでしょう。古い事務用キャビネットを、紙モノや細々した手芸用品の収納に転用するのもいいですね。この様式には何の制約もないのですから、どうぞご自由に。

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個人的には、もう少し理科室風味を増量したいところですが、そうなると、結局ヴンダー趣味と変わらなくなってしまうので、これはこれでいいのでしょう。そこで生活することを考えれば、スッキリしている方が便利で快適には違いありません。


【付記】 画像をそのまま貼り付けたら、著作権侵害で怒られるんじゃないかと思いましたが、よく見たらオリジナルの記事も「Photos courtesy of Pinterest」と堂々と書いているので、負けじと貼っておきます。(アメリカはこういうことにやかましいと思ったら、意外に緩いところもあるんですね。)

ピーター・ダンス著 『博物誌』2015年01月04日 10時06分03秒

昨年、邦訳が出たピーター・ダンス『博物誌―世界を写すイメージの歴史』(東洋書林)を読んでいます。原著(The Art of Natural History:Animal Illustrators and Their Work)が出たのは1978年ですから、もう40年近くも前です。博物画の歴史に関する概説書としては、既に古典と言っていいかもしれません。

(背後は大判の原著。原著もいいですが、信頼できる翻訳があればなお良いもの…)

邦訳に書かれた著者紹介はごく簡略なので、それより心持ち詳細な、原著に書かれた1978年当時の紹介文を掲げておきます。

(S.ピーター・ダンス。The Art of Natural Historyより)

S. Peter Dance は、貝類とその蒐集に関して、世界的な著述家の一人である。古書籍と水彩画の販売を手がける以前、長年にわたってロンドンの大英博物館(自然史部門)やマンチェスター博物館、あるいはカーディフの国立ウェールズ博物館に勤務し、これまでアメリカとオーストラリアでの講演旅行を行うとともに、大西洋の両岸でテレビ・ラジオ出演を果たした。約15編の科学論文の著者であり、7冊の本がアメリカとイギリスで出版されている。」

今回、記事を書くにあたり、著者のダンスについて改めて検索したのですが、意外なことに、現在、英語版ウィキペディアには該当項目がありませんでした。なぜかフランス語版には記載があって、それも「Stanley Peter Dance(1932-)は軟体動物学者にして、科学史家である」という1行のみ。その冷遇ぶりが目に付きますが、そっち方面の事情に暗いので真相は不明です。基本的に在野の人という点が影響しているのでしょうか。

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博物画と言っても、本書が取り上げるのはもっぱら動物画で、植物画や鉱物画は扱われていません。

記述は、石器時代の壁画から説き起こし、エジプトやギリシャ・ローマを経て、ヨーロッパで博物画が成立・発展する過程をたどる内容となっていますが、テーマの特殊性からして、自ずと見慣れない固有名詞のオンパレードになることは避けがたく、通読するだけでも結構骨が折れます。

もちろんそれは私の無知のせいですが、元々コーヒーテーブル・ブック(日本でいうムック的ビジュアル本)に近い性格の本なので、ここはあまり「お勉強」にこだわらず、多彩な図版に目を留めて、ひたすら唸る…ということで十分なのかもしれません。



「資料編」と銘打って、18~19世紀の博物画の優品をずらり掲げた、冒頭60頁に及ぶカラー図版は、本書最大の見所で、それに続く本文(「解説篇」)中にも、300点を超えるモノクロ図版が挿入されており、博物画のイメージを感覚的につかむには格好の本です。

(本書目次より)

良くも悪くも、日本における「博物画の見方」は“荒俣色”が強いので、それ以外の人の意見を聞くというだけでも、意味があると思います。

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というわけで、内容理解は心もとないのですが、この本をぜひ読んでみたかったのは、翻訳を手がけられたのが、尊敬する「虫屋」の奥本大三郎氏だったからです。そしてまた、巻末の「訳者あとがき」は、博物画に関する私的エッセイとして、本文よりもいっそう共感を覚えました。

その中に、以下のような「おや?」と思う文章がありました。

「やがて私が長ずるに及んで西洋の博物書などを少しずつ目にするようになると〔…〕
 そうなるともっと知りたい。しかしそうした絵入りの豪華な博物書は日本ではあまり紹介されてもいないし、それを所持する人は私の周りにはいなかった。学校に行くついでに通ったのは東大の総合図書館であったが、私の探すような本はほとんどない。『ファーブル昆虫記』〔…〕の原書などはないし、外国産昆虫の図鑑などもまったくない。それは農学部の図書館でも同じことで、当時(も今も)世界最大の蝶、蛾の図鑑として有名であり、コレクターにとっては基本文献とも言うべき、ザイツの『世界大型鱗翅類図鑑』〔…〕でさえ、一冊も揃えられてはいなかった。」

インターメディアテクの展示に幻惑された者としては、書物にしても、標本にしても、東大には明治以来のお宝がザクザクあると信じていたので、これは意外な―すこぶる意外な―事実です。(ちなみに、1944年生まれの奥本氏が言うところの学生時代ですから、これはおそらく1960年代後半の状況でしょう。)

ただ、奥本氏はそのすぐ後で種明かしをして、

「しかし、自分も大学の教員になってからわかったのだが、そういうものが読みたければ自分で買うべきなのであって、いわゆる公費で買ってはいけない、という空気があるのだ。
 実用からは程遠くて古臭い、おまけに高価な博物書などを買うのはもっての他というわけである。」

と書かれています。荒俣宏氏が、後に『図鑑の博物誌』を書くきっかけとなったのは、本郷の古本屋で、古い西洋の博物学書を何冊か掘り出された経験でしたが、なるほど、それは過去の碩学が自腹で購入し、手元に置いていたものが、死後古書肆の手に渡ったものであり、そのことと大学の蔵書が相対的に貧弱であることは表裏一体なのだな…と、ようやく合点が行きました。

そして、奥本氏はこう結論付けます。

「いずれにせよ日本にいて古い豪華本を楽しもうと思ったら、巨人、荒俣宏さんや本のグルマン、鹿島茂さんのように自分で買ってしまうのがいちばんである。」

同じことは、荒俣氏や鹿島氏自身もどこかで書かれていました。残念ですが、これが今も変わらぬ真理、あるいは現実なのでしょう。

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なんだか本の紹介を全然せずに、周辺的なことばかり書いていますが、こういう本を読むと、博物学書もやっぱりいいなと思います。もちろんダンスが取り上げるような名品とは一生縁がないでしょうが、19世紀後半の大量印刷本にも、愛すべき佳品がいろいろあるのは天文古書もいっしょで、そういう本をこれからもポツポツ買えたらいいなと思います。

「見たい、知りたい―なにはばかることのない好奇心の結晶とも言える博物誌は、現代の百科図鑑の原型でもあって、その美しい挿画のゆえに、今もって色褪せない魅力を放っているのである。」 (「訳者あとがき」より)

1月の星空…オックスフォードから2015年01月07日 07時06分26秒

仕事がたまって、アップアップしていますが、七草を食べながら、ゆるゆると再開です。

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先月の20日、21日に取り上げた、エドウィン・ダンキンの『真夜中の空』。


その成功は、地上の風景と、その上に広がる星空とを対照させることで、一種のドラマ性を画面に付与したことにあると思います。こうした手法は、引き続き人気を博し、その延長線上に、現在の星景写真もあるのでしょう。

再三言及しているPinterestでも、『真夜中の空』ばりの愛らしい星図を見かけて、気になっていたのですが、最近同じものを見つけました。


淡い地上の建物と、それを見下ろすクッキリとした紺色の星空。
色合いも線も、スマートな魅力を感じさせます。


キャプションを読んでみます。

 「1月の星空。さあ、これから月ごとに、星の探し方を示す星図を掲げていきましょう。これがその最初の図です。それぞれの図は、月半ばの午後9時頃(グリニッジ標準時)の星の見え方を示していますが、その時刻は一晩ごとに約4分ずつ早まっていきます。上の星図を使って、皆さんは1月半ばから2月半ばまでの星空を学ぶことができます。皆さんは今、オックスフォードの町から、ハートフォード・カレッジとボードレー図書館の方を向いて、南の空を眺めているところです。しかし、イギリス国内であれば、どこからでも南を向けば、ほぼ同じ位置に星を眺めることができるでしょう。」


イギリス各地の風景を画き込んだ星図が、上のものを含めて全部で12枚あります。このブログでも、これから1年かけて、それを順々に見ていくことにします。

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この星図の正体は最初分からなかったのですが、いろいろ調べたら、児童向け百科事典に収録されていたものと判明しました。イギリスで1922年から59年まで版を重ねたThe Waverley Book 社の『The Book of Knowledge』という全8巻のセットです(※)。

その第1巻から第7巻までは、アルファベット順に事項の説明があって、最後の第8巻は、総索引と「おまけ」の記事で埋まっているのですが、この星図はその第8巻に収められています。なお、今回届いたのは、同百科の1949年版から取ったもののようです。


(※)他にも同名の百科事典が出ていて紛らわしいですが、ここでいうのは、英語版Wikipediaが「Cassell’s Book of Knowledge」という名称で項目立てしているものです。

太陽のありがたさ2015年01月08日 06時38分55秒

冬至を過ぎて、日脚が伸びてきました。
ただし、日没時刻は毎日確実に遅くなりつつあるのに、日の出の時刻の方は、ほとんど変化がありません。しかも日の出自体、今が1年でいちばん遅い時期です。

日の出が遅くて困るのは、ブログの写真がうまく撮れないこと。
できれば朝の光と時間を有効活用して、ササッと撮りたいのですが、今はちょっと無理です。そんなわけで、昨日の画像も妙に暗い感じになりました。

でも、記事をアップした後で、辛うじて撮れた写真があるので、比較の意味で載せておきます。自然の光で自然な発色が得られるのは当たり前かもしれませんが、やっぱりありがたいものです。


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あとひと月もすると、毎日ぐんぐん日の出が早くなって、名実ともに一陽来復の気分がみなぎることでしょう。カレンダーをめくったら、今年の立春は2月4日だそうです。


【付記】 日の出と日の入りの時刻変化が不等である理由を、ゆうべ寝床の中で考えたのですが、よく分かりませんでした。こういう時こそ三球儀の出番でしょうか。

博物サロン2015年01月09日 23時26分10秒

キャビネットには博物標本が並び、博物画がチェストにあふれ、その他数限りもない奇想の品々が目を驚かせる、名古屋伏見のアンティーク・ショップ、antique Salonさん。

昨秋店舗にお邪魔して、店主の市さんといろいろ話し込んでいたとき、フジイキョウコさんの「鉱物BAR」のことが話題に出て、そこから「博物BARなんてどうです?」という話になり、ひとしきり盛り上がりました。そして、それは一時の話柄に終わらず、大きな果実を生みました。

市さんは、その後すぐに博物系の品揃えで知られる全国のお店に連絡を取られ、各店合同のイベントを企画されたのでした。名付けて「博物蒐集家の応接間
この稀代のイベントが、いよいよ今月末から始まります。(それにしても、市さんの実行力たるや、まことに驚くばかりです。)


博物蒐集家の応接間 Salon d’histoire naturelle
○会期 2015年1月31日(土)~2月8日(日) 12:00~19:00
      ※2月4日(水)、5日(木)は定休日
○会場 antique Salon
     名古屋市中区錦2-5-29 えびすビルパート1 2階
     最寄り駅 地下鉄東山線・伏見駅 
     MAPはコチラ http://salon-interior.jp/about/
○参加骨董店 (順不同/カッコ内は今回の主要出品分野)
     神戸・Landschapboek(標本)、京都・Lagado研究所(天文)、
     長野・メルキュール骨董店(天文)、東京・dubhe(博物画)、
     東京・piika(植物標本)、名古屋・antique Salon(標本・剥製)
○特設サイト http://ameblo.jp/salon-histoire-naturelle/

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そして応接間の名にふさわしく、初日の午後4時からはオープニング・レセプションとして、各店のオーナー氏が、秘蔵の品を前にして、それぞれの美学や思いを語られる「第1回 博物サロン」が予定されています。

昨秋からの経緯により、この博物サロンには私もオミソで加わっていますが、それはさておき、お酒を飲みながら博物趣味を堪能できるとは、なんと素敵なひとときではないでしょうか。私のように、日ごろ日常に埋没している者にとって、博物趣味や理科趣味を、誰憚らず語り合える機会はめったにありません。これは多年の渇を癒やすものです。

ぜひ多くの方と素晴らしい出会いがありますように―

※なお、オープニング・レセプションは予約制(ドリンク付き1000円)とのことです。予約はantique Salonさん ichi@salon-interior.jp まで。

鹿児島へ(1)…宇宙情報館2015年01月10日 12時29分44秒


(市内から見た桜島)

昨年末に鹿児島に行ってきました。
そこでの理科趣味的見聞について、メモ書きしておきます。


今回最初に訪れたのは、鹿児島の繁華街・天文館に、2年前(2013年)にオープンした宇宙情報館


まあ、ここは肉屋さんの2階にちょっとした展示があるだけなので、内容はまあ何ですが、これはこの場所にこういうスペースがあるという事実が何よりも大事です。

「天文館」の地名は、以前も書いたように、薩摩藩の天文観測施設・明時館がここにあったことにちなみます。そして、その明時館の跡地に立つうなぎ屋さんの篤志により、こうした宇宙をテーマにした展示施設が作られたのでした。

リーフレットには、

「日本唯一のロケット基地 鹿児島」
「JAXA 国立天文台 鹿児島大学 鹿児島人工衛星開発協議会 合同展示」

の文字が見え、その開館記念日は4月12日、すなわちガガーリンが世最初の有人宇宙飛行に成功した日です。そして、この肉屋さんが同居しているビルは、宇宙ビル」という壮大な名前を持っているのです。ですから、宇宙好き・ロケット好きの人は、ぜひともここに足跡をしるす必要があります。


私も館内で「はやぶさ2」のDVDを視聴し、H-IIAロケットのボールペンを買い、日本の宇宙開発(の周縁)に、ささやかな足跡を残すことができました。

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公式サイトはまだ開設されていないので、以下に参考ページを貼っておきます。地元のテンパーク通り商店街のサイトに掲載されている施設紹介です。


(この項つづく。次回は鹿児島県立博物館へ。)

鹿児島へ(2)…鹿児島県立博物館2015年01月11日 20時17分16秒

さて、いくぶん微妙な宇宙情報館を後にして、次に目指したのは鹿児島県立博物館。
…と言っても、実のところ、今回の旅はすべて行き当たりばったりです。たまたま件のうなぎ屋さんで昼食をとっていたときに、宇宙情報館のことを知り、さらにそこからフラフラと腹ごなしに歩いていたら、ちょっと変わった建物が見えたので、立ち寄ったら博物館だったというだけのことです。まあ、人生はすべからく旅ですから、それはそれで良いのです。


さて、「ちょっと変わった建物」というのはこれです。
天文館通りを抜けると、照国神社や鹿児島城跡のある城山地区に出ますが、その一角にこういう古風なビルヂングが立っていました。


交差点の角に立つ、曲線を生かしたフォルムは、街並みの添景として、よい効果を生んでいます。元は県立図書館として昭和2年(1927)に完成した建物で、昭和56年(1981)から博物館として使用されているそうです。

ここは「博物館」と言っても、歴史系ではなく、純然たる科学博物館です。
で、結論をいえば、行って良かったなあと思います。展示は主に子供の目線で行われていて、いかにも校外学習で訪れる場所という印象ですが、大人が見ても十分楽しめます。いや、大人の方が楽しめるかもしれません。



建物の古風さと相まって、館内にはいかにも懐かしい昭和の科学館の空気が漂っています。


それでも、うら寂しい感じは微塵もなくて、このマングローブ林の原寸大ジオラマなどは、結構お金がかかっている感じです。



 その一方で、素朴な手作り感のある展示も多いのですが、お金をかけてない分、手間はかけているぞと思わせるものがあって、学芸員の方のやる気が感じられます。実際に手で触れられる展示が多いのも特徴でしょう。


シロクマの剥製も、エビ・カニ類の標本も触りたい放題。


地味な「市街地の虫~虫はどこにでもいる~」の展示を見てみます。


蝿嫌いの人には申し訳ないですが、このオオクロバエの標本も、ラベルを見ると気合を入れて作っていることが分かります。作られたのは、たぶん1983年当時に在籍していた学芸員の方(マエノケイゾウさん)。わざわざ展翅もされていますね。
神は細部に宿り給う。こういうところに、博物館の本気具合は露呈するものです。


この「貝の貝」は素敵だと思いました。


アライグマへの注意を喚起する展示。
タヌキやアナグマと並んでいるのが、万人向けで分かりやすい。

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そして、この博物館のもう一つの特徴は、その強烈な郷土愛です。

展示構成は、ほぼ完全に鹿児島の自然に特化しているので、地元の人にとっては、身近な自然を捉えなおすきっかけに、また観光客にとっては、鹿児島という日本の中でもかなり特異な自然環境を大観するよい手引きとなってくれます。(これが本州の中央だと、郷土の自然といっても、他との差別化を図り難く、ちょっとインパクトの弱い展示になってしまうでしょう。)



名産のサツマイモ・黄金千貫と桜島大根の展示。

桜島といえば、写真をとりそこねましたが、桜島と鹿児島の大地を形成する鉱物についての展示室も充実していました。展示室の抽斗は自由に開けることができ、中には新古さまざまの岩石標本がびっしり入っていました。


巨大な屋久杉の年輪を示す展示。


こちらは薩摩黒豚。


説明ボードを読み、映画「もののけ姫」で、知恵に優れた老猪・乙事主(おことぬし)が、若いイノシシたちの退歩を嘆いたのは、こういうことだったのか…と思いました。


入口を入ってすぐのところに飾られている「ウシウマ」の骨格標本。
牛だか馬だかはっきりしませんが、聞いてみると「牛のような馬」で、やっぱり馬なのだそうです。秀吉が朝鮮に侵攻した慶長の役の際、当時の島津の殿様が、半島から連れ帰った馬の子孫で、やっぱり鹿児島にちなむ動物です。昭和になって最後の個体が死に絶え、今は骨のみがこうして空しく残っています。

19世紀人、ハエを学問する2015年01月12日 11時32分01秒

昨日のハエの標本に、「うええ…」となった人もいることでしょう。

でも、ハエというのはなかなか侮れない存在です。
そもそも、これまで星座になった昆虫はハエだけです。しかも南天に輝く「蝿座」(Musca)の他に、かつては「北蝿座」(Musca Borealis)というのが、牡羊座の隣にありました。今年の元旦に載せた星座カードに描かれていたのがそれです。

つまり、一時は2匹のハエが星の世界をブンブン飛び回っていたわけで、いくら蝶や甲虫が子供に人気でも、天界の住人としては、ハエの方がずっとエライのです。

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ところで、元旦の記事の中で、ハエの絵に翅が4枚描かれていることをなじりました。
ハエやアブの仲間は、後翅が退化して、2枚の羽だけで巧みに飛ぶのが特徴で(双翅目の称があります)、昨日のハエの標本をよく見ていただくと、それがお分かりいただけるはず。

しかし、翅の数を間違えたのは、お上品なヴィクトリア時代人は、おしなべて汚らしいハエなんぞ眼中になかったからだ…と考えたとすれば、それもまた間違いです。むしろ、当時の人は、些細なハエにも、深い博物学的関心を払うことを大いに是としていました。少なくとも、そうした嗜好は何ら特殊なものではありませんでした。

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そう思う理由は、以下のような本が目に留まったからです。


■James Samuelson(著)
 Humble Creatures: The Earthworm and the Common Housefly
 『慎ましい生物たち―ミミズとイエバエ』
 John Van Voorst (London), 1860(第2版). 79p.

この本は一般読者を対象に、「博物学のススメ」として書かれたもので、学術書ではまったくありません。これ以上ないというぐらい身近な生物も、博物学的に観察すれば、いかに興味深い存在であるか!…を力説する本です。

そういう本は今でもあると思いますが、ただ、そのアプローチにはやっぱり時代性が出ていて、興味深く思いました。それは端的に言うと、同時代に流行っていた顕微鏡趣味との融合です。

(本書の口絵)

現代の本であれば、仮にハエを取り上げるとすれば、ハエの生活様式や、その興味深い習性など、主に生態学的叙述にウェイトをかけると思いますが、当時はその解剖学的構造(神経系まで!)に強い興味を示しました。結局のところ、本書は「ハエの解剖学書」と言っても過言ではありません。

収録の図版をいくつか掲げておきます。

(ハエの内部諸器官)

(口器(吻 ふん)の拡大)

(複眼の構造)

(特徴的な肢の先端部(上)と呼吸器である気門の拡大)

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本書の冒頭にかかげられたエピグラフ。


讃美歌作者にして詩人のJames Montgomery (1771–1854) の「謙虚さ(Humility.)」という詩からの引用です。

  鳥は遥かな高みを翔びては
  つましき巣を地に掛け
  その麗しきさえずりは
  ものみな憩う影より響く
  雲雀やナイチンゲールは
  栄誉の何と謙虚なるかを我等に知らしむ

自然の擬人化・道徳化は、当時の文化的特徴として指摘されるものですが、ハエやミミズの本すらも、ことさら文学的に修飾を施したいという強い欲求が、ヴィクトリア趣味の肝なのでしょう。そして、それが細密な解剖図と両立するところが、また時代を感じさせます。