博物学の相貌2015年01月15日 19時22分20秒

博物学は生物学の母。
ただし、この母は娘と比較して、その蒐集への情熱―あるいは「強迫性」―において一層際立っています。

博物学(Natural history)は、そのまま「自然史」と訳されることもありますが、この場合のヒストリーは、狭義の「歴史」ではなく、より一般的に「書き記すこと、記載すること」の意ですから、「自然」の訳の方がしっくりくる…という人もいます。(ただし、「史」の字も、本来は単に「記録する」の意ですから、これはこれで良いという主張にも理があります。)

要は「自然を丸ごと一冊の本にする」ことが、博物学の究極の目標であり、そのため「自然の目録作り」に尋常ならざる努力を傾けた、というわけでしょう。

今でも生物学の一分科として分類学があって、せっせと分類体系の整理や、新種記載に励んでいますが、少なくとも建前としては、分類学にとっての蒐集行為は「手段」であるのに対し、博物学のそれは「目的」化している観があります。

ヴンダーカンマーの画像が、ときに蒐集行為のイコンとして使われますが、近代博物学のそれは、さらに桁違いに徹底しているなあ…ということを、1枚の絵葉書を見て思いました。


裏面のキャプションによれば、Museum National d’Histoire Naturelle (Phanérogamie)、すなわちパリの国立自然史博物館(顕花植物部門)」の内部の光景です。差出の日付は1926年3月22日。

中央に掲げられた過去の偉大な(たぶん)植物学者の肖像を囲んで、三方に植物の腊葉(さくよう)標本、すなわち押し葉がぎっしり。棚の稠密感がすごいですね。何となく「モルグ」を連想しますが、たしかに棚に並ぶのは、植物の「死体」に違いありません。博物学が扱うのは、生物よりも死物なのか…とすら思ってしまいます。

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ウィキペディアによれば、同博物館には、現在、顕花植物の標本だけでも800万点が収蔵されているそうです。さすがにそれだけの点数になると、下のような機能的な保管庫の出番となりますが、詩情という点では、昔の方がまさっていることは否めません。


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ところで、古絵葉書を集める楽しみの1つは、差出人と宛名を見て、意外な人であることを発見することです。

(絵葉書の裏面)

この筆記体はとても読みづらいですが、それでも穴の開くほど凝視して検索を続けていたら、正体が半ば分かりました。

内容は献本(あるいは論文抜き刷り)の礼状で、差出人は自然史博物館所属の誰かでしょう(左下の名前が判読できません)。宛名の方は、当時パリ大学薬学部(Faculté de Pharmacie)で教鞭をとっていたエミール・ペロー教授(Emile Perrot、1867-1951)で間違いなかろうと思います。

「だからどうした」という気もしますが、碩学にちなむ品と聞けば、1枚の絵葉書にも、博物学の香気が一層濃く漂うような気がします。