「ヘンリ・ライクロフトの植物記」(1)2018年06月12日 05時45分43秒

心に沁みる本というのがあります。
私にとって、例えばジョージ・ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』(初版1903)は、そう呼ぶに足る一冊です。

ヘンリ・ライクロフトは、ギッシングの創作になる人物ですが、半ば彼の分身。この『私記』は、そのライクロフト氏の随想集であり、記事は1897年の春から書き起こされ(記事中にヴィクトリア女王即位60周年の話題が出てきます)、次の年の春の訪れまで、ちょうど一年分の日記の体裁をとっています()。

 【※6月15日付記】 これは私の誤解です。この『私記』は、ライクロフト氏が遺した数年分の雑録を、ギッシングが四季別に再配列したもの…という設定で、年次は1897~8年の前後に及びます。

ライクロフト氏は、ミドルクラスの出と思われ、若い頃から筆一本で食べてきた文筆家という設定です。特に資産のない人間にとって、それがどれだけ大変なことであったか、その艱難辛苦は、作品の中でたびたび言及されています。だからこそ、彼は社会のあらゆる階層の実相に触れ、その人間観察の目は一層細やかになったのでした。

その苦労人のライクロフト氏が、50歳のとき、ある幸運な偶然によって、友人の遺贈に基づく終身年金を受け取ることになり、質素ながらも金銭の不安から解放された生活に入ることになります。そして煤煙で覆われたロンドンを離れ、温暖なデヴォン州に居を構え、散策を楽しみ、思索にふける静かな田園生活が始まったのでした。そこで綴られた自己省察と社会観照の書、それがこの『ヘンリ・ライクロフトの私記』です。


日本では、大正時代に戸川秋骨らによって紹介され、以後、複数の邦訳が出ているそうですが、私の手元にあるのは、昭和36年(1961)に岩波文庫に入った平井正穂氏の訳です。

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この本が、英日両国で深く愛されているのは、もちろんライクロフト氏(すなわちギッシング)の含蓄ある文章のせいですが、中でも“読書人・ライクロフト氏”が語る読書体験に、多くの本好きが惹きつけられたせいもあるでしょう。

さらにまた特筆すべきは、その美しい自然描写です。
そして、ここで『私記』を取り上げるのは、ライクロフト氏の植物愛好趣味が、若い頃の私にも感染して、その影響が今に及んでいるからです。

しばらく梅雨空が続くと思いますが、雨に濡れた草木を眺めながら、『ヘンリ・ライクロフトの私記』から抜き書きしつつ、私自身の追想も書き添えたいと思います。

(この項つづく)