天文学者の、天文学者による、天文学者のためのイメージ戦略2009年06月09日 22時23分05秒

(↑フェルメールの描いた天文学者)

ちょっと前に、天文学者のステレオタイプなイメージについて取り上げました。
ああいう異様に古めかしい、魔法使い然とした姿はどのように生まれたのか?というのが疑問の中心だったのですが、最近、関連する論文を人に教えられました。

Michael J. West氏の「天文学者の公共知覚-崇拝、罵倒、そして嘲笑」(Public Perception of Astronomers: Revered, Reviled and Ridiculed)という論文で、以下のページから全文ダウンロードできます。
http://arxiv.org/abs/0905.3956(画面右上の「PDF」をクリック)

「公共知覚」というのは一寸拙い訳ですが、要は、一般世間が天文学者に対してどのようなイメージを抱いているかということ。

ウェストさんは、チリの「ヨーロッパ南天文台ESO」に勤務する、れっきとした天文学者なので、私のような好事家的な興味ではなく、非常に切実な動機からこのテーマに取り組んでいます。すなわち、天文学者に対するイメージ次第で、天文学につく研究予算も、それを志す若者の数も、世間の天文学一般への理解度も大きく左右されるのだから、天文学者たるもの、ゆめゆめこの問題を軽んじてはならぬ…というわけです。

とはいえ、ウェストさんはあまり系統立てて論じてはいません。古今東西、各種のメディアに登場する天文学者が、どんな扱いを受けてきたかを順不同に列挙するにとどまっています。その内容から推測するに、天文学者のイメージの変遷には、一定の歴史的方向性があるわけではなく、いつの時代にも<崇拝>と<罵倒>と<嘲笑>のイメージが混在していた…というのが著者の論旨のようです。

例えば、古代社会においては天文学者が非常に重用され、人々から崇拝されたのは確かですが、その一方、イソップの寓話や4世紀のギリシャの笑話集Philogelosにおいて、すでに占星術師はあざけりの対象になっていました。

また、ホイットマンの詩やサンテグジュペリの『星の王子様』に出てくる天文学者は、ひたすら退屈で頑迷な存在として描かれる一方、最近の世論調査においても、天文学者は「名声のある職業(prestigious occupations)」ランキングの5位(!)に入っており、その威信はいまだ健在なように見えます。

思うに、昔も今も天文学者は世俗や日常の対極にある職業で、良くも悪くもいろいろなイメージを投影されやすいのでしょう。謎めいた相手に、過剰な憧れや不安・恐れを抱くのはごく自然な心理ですから。

つまり、ウェストさんが挙げた<崇拝>と<罵倒>と<嘲笑>は、実は根は1つで、天文学者は古代から現代まで一貫して「よく分からない人」であった…というのが、ここから引き出せる最終的結論ではないでしょうか。(…ウェストさんは、そうは述べていませんが。彼は「天文学者がどう見られるか、我々はそれを制御できないが、それに影響を与えることはできる。」「汝、天文学のよき広告塔たれ」…と厳かに結んでいます。)

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