ゴライアスはデロールのかほり2010年07月31日 08時21分17秒

何でも大きいものはインパクトがあります。
ゴライアスの存在感も、ひとえにそのサイズが物を言っていることは否めません。
先日おとずれた名和昆虫博物館でも、他を圧する量感を誇っていました。


ときに、昨日のゴライアスの標本ですが、あれはずいぶん前に買ったものです。
いつ買ったのかは思い出せませんが、しかし2003年をさかのぼることはありません。
なぜなら、あれは、同年に出た福音館の写真絵本 『好奇心の部屋 デロール』 でゴライアスを見て、そのオーラの放射を受けて買ったものだからです。


「通路を通って、お店の奥にいってみました。そこには、アフリカにすむ
世界でいちばん大きなハナムグリであるゴライアスオオハナムグリ、
アマゾンにすむ青くかがやく羽根を持つモルフォチョウや色あざやかな
バッタなど、さまざまな昆虫の標本がありました。」 
           (今森光彦・文/写真 『好奇心の部屋 デロール』)

個人的に、当時はデロールにあるものは何でも光り輝いて見えた時代なので(今はちょっと冷静になりました)、「そうだ、ゴライアスだ。ゴライアスを招来せねば…」と焦点の合わぬ目で呟きながら、高い送料を払って国外の業者から送ってもらったのでした。

そういえば最近デロールのことを書いてないですね。
デロール関連の品で、出色のものが手に入ったこともまだ記事にしていませんでした。
それは…

(もったいぶって次につづく)


コメント

_ 日本文化昆虫学研究所 ― 2010年08月05日 22時04分00秒

 こんばんは.まさか,ゴライアスオオハナムグリまでお持ちだとは思いませんでした.ゴライアスは,あこがれの昆虫のひとつです.やはり,「世界一大きい」という点にひかれます.今森光彦・著『好奇心の部屋 デロール』は,なかなかにおもしろそうな本ですね.

_ S.U ― 2010年08月06日 21時38分10秒

またもやですみませんが、ここのところ疑問に思っていたことを昆虫に詳しい方にお尋ねいたしたいと存じます。わかりましたらどうぞよろしくお願いいたします。

1)蛾でも甲虫でもそうだとおもいますが、夜行性の昆虫はなぜあのように灯火に集まるのでしょうか。夜行性と走光性は矛盾するように思います。明るいところが好きならばなぜ夜行性をやっているのでしょうか。また、夜間の灯火なるものが広く現れたのは人類が火を使うようになってからだと思いますが、走光性は、古生代デボン紀以来の歴史を誇る昆虫にとって最近になって初めて発現した性質なのでしょうか。また、無人境において走光性は意味のある性質なのでしょうか。

2)以前も書いたような気がしますが、最近、アブラゼミのモラルが低下したように思います。深夜も早朝もかまわず大声でジージーと鳴いています。また、人家に寄ってきて、玄関先やベランダでのたうちまわっています。つい30年ほど前まではこういう情けない輩は目にしなかったと思います。これも、長い歴史を誇る昆虫にとって最近になって初めて発現した習性なのでしょうか。

_ 玉青 ― 2010年08月06日 23時29分13秒

○日文昆さま

>まさか,ゴライアスオオハナムグリまで

いやあ…各種の甲虫標本がぎっしりあって、そこにゴライアスがいたらスゴイのですが、ここにはゴライアス「だけ」が単独で存在しているので、ほとんど無意味というか、例によってムード先行ですね;;。

今森さんの本は子ども向きのものとはいえ、とても綺麗で、魅力的な本ですので、もし剥製が苦手でなければ、ぜひ手にとってご覧ください。デロールのことを知るには、依然最良の1冊だと思います。


○S.Uさま

これは私よりも、もっと適任の方にお答えいただきたいですが、一応ブログ主として想像交じりにレスしてみます。

1)まず昆虫の「夜行性」について言うと、彼らは「光が嫌いだから」夜行性なわけではなく、単純に大型の捕食者が少ないなど、生存に有利なために、夜間に活動する行動パターンが進化してきたのだと思います。ですから、彼らは地中に暮らす動物のように眼が退化しているわけでもなく、むしろ立派な複眼によって、積極的に光信号を受容しながら活動しており、その意味で、夜行性と走光性は特に矛盾するものではない…というのが、まず第一のポイントですね。

それでは、昆虫が光に集まる性質には、どういう意味(生存上の利点)があるのか?という問いが必然的に出るでしょうが、これは私の知識が乏しくて、よく分かりません。一つの考え方は、虫たちは積極的に集まっているわけではなく、本来月光をたよりに飛翔するために持っているプログラムが、人工光源によって誤作動して、結果的に光源に接近するというものです。つまり、月光は平行光線なのに、灯火の場合は一点から放散しているため、光の来る方向に対して一定の角度で飛ぶようプログラミングされていると、自然に螺旋を描いて灯火に近づいてしまうのだ、という説です。しかし、この説があらゆる場合に適用できるかは、ちょっと自信がありません。昆虫によっては、真一文字に光に接近してくるように見えるのもいますね。実際のところはどうなんでしょうか。

いずれにしても、走光性自体は、ヒトの出現以前からあった習性だろうと思われます。

2)これは確かに、近年見られるようになった現象かもしれませんね。ただし、その原因がセミ自身にあるのか(=セミの習性そのものが変わった)、あるいは環境条件の変化によるものなのか(=セミの習性は昔と変わらないが、近年の都市環境が、セミにとって夜も昼も変わらない世界になってしまった)は要検討で、くわしい実験と観察が必要だと思います。

_ S.U ― 2010年08月07日 08時11分31秒

ぼけたような質問にお答えを示してくださりどうもありがとうございます。おかげさまで、自分なりのイメージを持つことができ、疑問の心も相当軽くなりました。

1)夜行性と走光性が両立するという発想はありませんでした。私は夜、屋内に入ってくる昆虫を見ながら「夜行性の者は暗いところに居ろ」と思っていました。もし、昆虫が月の方向を見定めて飛行するのだったら、そのような理由は説得力があると思います。それから、ふと思いつきましたが、真一文字に飛んでくるのは甲虫が多いとしたら、それは近縁種の昼行性のハナムグリなどと遺伝子を共有していてそれが誤作動しているというのはいかがでしょうか。

2)なるほど。でも、セミの習性が短時間で変わるとは思えませんので、一時的に変調を来しているのかもしれません。近来の住宅地には、多数の高木と土の地面がある緑地空間がそれなりの広さであり、すぐ近くにコンクリートとアスファルトばかりの広い空間があります。これは人間にとっては快適な空間ですが、セミにとってはかなりアクセントの強い、快適さとストレスの両方を備えた空間で、何らかの精神の疲労の作用によって、セミのモラルの平衡点が移動していているものと推測します。

 私の説は極めて主観的ですが、今後も昆虫の生態に詳しい方の解説をお待ちします。

_ 玉青 ― 2010年08月07日 19時50分05秒

「闇の住人は闇の世界へ帰れ!」 S.U少年の呪詛のセリフですね(笑)。
ハナムグリとの類似性については、これまた回答不能ですが、甲虫類は基本的に飛ぶのが下手なので、光源に近付くと飛行コントロールがきかなくなって、闇雲に光に接近するように見える…という単純な理由によるのかもしれません。

  +

都会では、最近、セミのメンタルヘルスが問題になっているようです。疲れたセミに対しては、安易な叱咤激励よりも、ゆったりとした態度で接し、辛い気持を打ち明けられたら、途中で遮らず、寄り添うような気持で最後まで聞いてあげることが大切です。S.U氏におかれましても、セミの苦悩の声を、「うるさい!このモラルのないセミめ!」と切って捨てることなく、温かい心で受け止めていただきますよう、セミたちになり代わりお願いしたく思います。 ^ム^

_ S.U ― 2010年08月08日 07時52分47秒

 確かに、灯火に突っ込む甲虫については、照明器具にぶち当たって跳ね返されるほど「力まかせ」に飛ばなくても、と思いますね。

 もとより昆虫たちに厳しいことを申し上げるつもりは毛頭ありません。
 地球の先輩方におかれましては、どうか人間による撹乱に右往左往することなく栄光と名声の歴史を継続されんことを切にお願いします。

_ 玉青 ― 2010年08月08日 12時04分27秒

昆虫。偉大な先輩ですね。

人間は学ぶことの好きな生き物ですから(そのわりに大切なことを学んでないような気もしますが)、この先輩の生き様からも、多くのことを学ぶべきでしょう。

我が身をふり返ると、すでに昆虫たちの数十世代分の齢を重ねたにもかかわらず、何だか成長があまりにも乏しい気がして、気が咎めます。…でも、昆虫だったら、「いや、それでいいんじゃよ。そもそも個体の成長など考える方が間違っとる。成長よりも、今日一日をいかに生きるかを考えなさい。いや、最初から何も考えないのがいちばん良い」と、触角をしごきながら教え諭してくれるかも…。

_ 日本文化昆虫学研究所 ― 2010年08月09日 21時21分46秒

 少し遅れ気味のコメントですが・・・

>一つの考え方は、虫たちは積極的に集まっているわけではなく、本来月光をたよりに飛翔するために持っているプログラムが、人工光源によって誤作動して、結果的に光源に接近するというものです。

 おっしゃるとおり,昆虫学の分野では昆虫が夜間光に集まる習性は月と関連しているといわれていたように思います(おそらく仮説の段階で,実証はされていないと思いますが・・・).
 ちなみに,余談ですが夜間街灯(というより,ライトトラップ)に集まる昆虫の数は,満月時より新月時(や曇りで光が隠れている時)に多いといわれています.

>甲虫類は基本的に飛ぶのが下手なので、光源に近付くと飛行コントロールがきかなくなって、闇雲に光に接近するように見える

 この説明も,おっしゃるとおりだと思います.確かに,他の昆虫と比較して甲虫は飛ぶのがうまくありません.

_ 玉青 ― 2010年08月10日 21時48分47秒

日文昆さま、ナイスフォローありがとうございました。
書きながら、ちょっと自信が持てなかったので、日文昆さんに是認していただき、ホッとしています。今後もフォローをどうぞよろしくお願いします。

_ S.U ― 2010年08月10日 23時22分56秒

日文昆様、どうもありがとうございました。疑問がだいぶ晴れたように思います。これは、昆虫にも文化があるのかもしれませんね。

_ S.U ― 2010年08月13日 08時37分25秒

>(アブラゼミが)深夜も早朝もかまわず大声でジージー
 この自分の指摘が正しかったかどうか疑問に思う観察をしたので一応ご報告しておきます。
 昨夜(12~13日)は流星群観察のための晴れ間に賭けて夜通しときどき外を見ていましたが、夜もかまわず鳴くセミの様子が不思議なことに気がつきました。それは、23時頃は鳴いていて0~1時頃にいったん鳴きやんだセミたちが、2時半頃またいっせいに鳴き始めたのです。しかし、3時半には鳴きやんでいました。そのあとは夜が明けて十分に明るくなるまで鳴きませんでした。
 一晩だけの観察で判断はできませんが、彼らは日が暮れてからは、惰性で鳴いているわけではなく、何らかの偶発的な引き金によって鳴きはじめるのかもしれません。
 (まったくわかりませんが、人が近くを通るとか、人家に灯りが点くとか、あるいは、1匹のセミがたまたまさわぐとか)。

_ 玉青 ― 2010年08月13日 09時34分22秒

昆虫の活動には、たいてい一定の周期性(概日リズム)があるので、セミの「鳴き」のパターンにもそれがあるのでしょう。そのリズムは、光や温度のような外因と、固有の体内時計との兼ね合いで決まるのだと思いますが、夜間のセミの鳴きを規定する最大要因が何かは、興味深い問題です。恒温+暗黒下で飼育した場合はどうかとか、昼と夜の交代パターンを人工的に変えてセミの行動を観察したりするのが常道でしょうけれど、本格派ナチュラリストとしては自然環境下での観察から、その謎を突きとめたいですね(アームチェア派の私には無理ですが…)。これまでのS.Uさんとの話の流れからすると、人為的な環境変化(人工照明等)によって、どこまでセミ本来のリズムが擾乱されているかも気になるところです。

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