三味線を弾く男 ― 2023年03月17日 17時13分48秒
今日は「現代天文文化論の試み」と題して、天文学史研究会でお話をさせていただきました。まあ、話した内容は、いつもこのブログに書いているようなことです。
すなわち、日本で特異的に進化した「天文アンティーク」をめぐる最近の文化的ムーブメントについて、そしてそこに影を落としている、野尻抱影由来の天文ロマンチシズムとか、漫画文化の影響とかいったようなことです。
しかし、話しているうちに、だんだん自分がほら吹き男爵になったような、図々しさと後ろめたさがないまぜになったような気分になって、いささか背中に汗をかきました。でも、冷静に考えると、このブログは最初から「駄法螺ブログ」の色合いが濃いので、たまたま真っ当な議論の場で、真っ当な光を照射されたために、その事実が改めて露呈したに過ぎない…とも言えます。
さはさりながら、世間の潤滑油として、駄法螺には駄法螺なりの効用もあり、これからも懲りずに駄法螺の開陳を続けることにします。
怪しい笑みを浮かべつつ、マンドリンの弾き語りをする男。
日本語で「三味線を弾く」といえば、適当なことを言って調子を合わせたり誤魔化したりするという意味ですが、なんとなく今の気分はこんな感じですかね。
モノの方は、ドイツのポスタースタンプ、つまり切手の形を模した販促用のおまけシールです。多色石版刷りで、時代は20世紀初頭と思います。エッセンのクルップ鋳鋼社(Krupp Stahl)が販売していた、「コメット」ブランドのスチール弦の宣伝用シールのようです。
コメント
_ S.U ― 2023年03月18日 06時21分18秒
_ 玉青 ― 2023年03月18日 10時31分06秒
昨日はお付き合いいただき、ありがとうございました。
これがハーシェル協会の今度のレポートに寄与するのかどうか、かえって説明がややこしくなっただけかもしれませんが、幾分かは責めを塞いだような気分でいます。
>議論が噛み合っていた(ように見えた)
あはは。この場合、「ように見えた」というのが重要ですね。(笑)
まあ、単に噛み合い具合でいえば、ChatGPTの方がはるかに巧みかもしれませんが…。
何にせよ、昨日はだいぶ厳しい展開になってしまいましたが、それでも毀誉はありつつも、複数の方に関心を持っていただけたのは、(ちょうどS.Uさんの如く)それぞれの天文人生を振り返ったとき、何か心の琴線に触れる話題だったからかもしれませんね。
>日本の理科室趣味
あ、これは大いに脈ありですね。確かにパラレルに論じることができそうな気がします。
「次回」があるかどうか定かではありませんが、ひそかに刀を研いでおくことにします。
これがハーシェル協会の今度のレポートに寄与するのかどうか、かえって説明がややこしくなっただけかもしれませんが、幾分かは責めを塞いだような気分でいます。
>議論が噛み合っていた(ように見えた)
あはは。この場合、「ように見えた」というのが重要ですね。(笑)
まあ、単に噛み合い具合でいえば、ChatGPTの方がはるかに巧みかもしれませんが…。
何にせよ、昨日はだいぶ厳しい展開になってしまいましたが、それでも毀誉はありつつも、複数の方に関心を持っていただけたのは、(ちょうどS.Uさんの如く)それぞれの天文人生を振り返ったとき、何か心の琴線に触れる話題だったからかもしれませんね。
>日本の理科室趣味
あ、これは大いに脈ありですね。確かにパラレルに論じることができそうな気がします。
「次回」があるかどうか定かではありませんが、ひそかに刀を研いでおくことにします。
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いやぁ、凄かったですねぇ。
特に、天文民俗の大家のK先生との野尻抱影の評価に関する論争で議論が噛み合っていた(ように見えた)のは圧巻でした。玉青さんとK先生の野尻抱影に関する対談会があったら、私は大枚の入場料を支払っても聴きに参る所存です。
まあ、半分冗談はともかく、いずれにしても、何にでもつながりそうなもっともらしいお話、かつ、問題であったと思います。例えば私の若い時の例で申し訳ありませんが、私の天文趣味は、アンティーク志向とはいえないと思いますが、それでも、基盤の中心はおそらく、足穂の『水晶物語』や長野まゆみ『天体議会』にあるような「理科室感覚」に発し、それに加えて、野尻抱影、草下英明、宮澤賢治、手塚治虫、藤子不二雄、松本零士、水木しげる、つのだじろうなどの著作に触れており、このうちの誰1人が欠けても、成人した時点の私の天文趣味はこのかたちにはならなかっただろうと思います。本当にそうかはわかりませんが、多数の要因で形成されていることは間違いなく、結果的にそう思わせられてしまうところが、この問題の分解の困難な点であろうかと思います。
玉青さんが強調された「日本独自」という点においては、文学やマンガの情緒性に起因するところも大きいと思いますが、日本の理科室趣味のあり方が、欧米のそれが旧勢力のキリスト教や魔術、カバラといったものと完全分離できないというのと違い、宗教的な味わいはほとんどなく、江戸~昭和期の外国から知識を取り入れたいという熱烈な発展感情のアカデミズムにもとづいているという点も大きいのではないかと愚考いたします。
僭越ながら私も駄法螺にお付き合いしてしまいましたが、今後のご研究の発展に期待申し上げます。