ガリレオ問題(The Galileo Affair) ― 2023年03月24日 18時04分56秒
バチカン天文台が盛んに「ハロー、CQ、CQ」とやっていた頃、ポーランドのクラクフで4日間に及ぶ学術集会が開かれました。1984年5月24日から27日まで行われた「クラクフ会議」です。
会議後にまとめられた論文集が、この『ガリレオ問題―信仰と科学の出会い』と題された冊子です。
発行元はバチカン天文台で、時の教皇はヨハネ・パウロ2世(1920-2005/在位1978-2005)。この教皇は、この会議後の1992年に、ガリレオ裁判が誤りであったことを正式に認め、ガリレオに謝罪した人です。そして、クラクフは教皇の出身地でもありました。そういう意味で、これは非常に象徴的な1冊と感じられます。
冒頭の献辞にはこうあります。
「今から50年前の1935年9月29日、教皇ピウス11世聖下は、カステル・ガンドルフォに、J. ステイン神父を長とする新バチカン天文台と、A. ガッテラー神父を長とする新天体物理学研究所を開設された。宗教的信仰と科学的研究は両立することを、目に見える形で世界に示そうという教会の継続的努力を力強く先導されたお二人と、彼らに協力された方々に本冊子を捧げる。 編者一同」
会議に顔を揃えた15人のうち、5人が「Rev.(~師)」の肩書を持つ聖職者で、残り10人が俗人の研究者です(本書の編者であるG.V. Coyne、M. Heller、J. Źycińskiの3人はいずれも聖職者)。所属機関の国別だと、バチカン2人、アメリカ4人、デンマーク1人、ポーランド8人という配分になります。
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この論文集を勇んで読もうと思ったのですが、私の英語力の限界もあるし、そもそも寝転がってサラサラ読める類の本ではないので、ここでは後の参考として、目次だけ訳しておくにとどめます。
■第1部 ガリレオ問題の歴史
W.A. Wallace 「ガリレオの科学概念」
J. Dietz Moss 「ガリレオがコペルニクス体系について記述する際の証明レトリック」
J. Casanovas 「ガリレオ当時の年周視差問題」
O. Pedersen 「ガリレオの宗教」
G.V. Coyne & U. Valdini 「青年期のベラルミーノの世界体系に関する思想」
■第2部 ガリレオと科学の進歩
M. Heller 「ガリレオにとっての相対性」
M. Lubański 「ガリレオの無限に関する見解」
J.M. Źyciński 「ガリレオの研究プログラムは、なぜ競合する他のプログラムに取って代わったのか」
K. Rudnicki 「ガリレオの方法論を適用する上での限界」
■第3部 ガリレオ問題の文化的反響
P. Feyerbend 「ガリレオと真理の専制」
F.M. Metzler 「ガリレオの発見における神話と想像力」
W.A. Wallace 「ガリレオの科学概念」
J. Dietz Moss 「ガリレオがコペルニクス体系について記述する際の証明レトリック」
J. Casanovas 「ガリレオ当時の年周視差問題」
O. Pedersen 「ガリレオの宗教」
G.V. Coyne & U. Valdini 「青年期のベラルミーノの世界体系に関する思想」
■第2部 ガリレオと科学の進歩
M. Heller 「ガリレオにとっての相対性」
M. Lubański 「ガリレオの無限に関する見解」
J.M. Źyciński 「ガリレオの研究プログラムは、なぜ競合する他のプログラムに取って代わったのか」
K. Rudnicki 「ガリレオの方法論を適用する上での限界」
■第3部 ガリレオ問題の文化的反響
P. Feyerbend 「ガリレオと真理の専制」
F.M. Metzler 「ガリレオの発見における神話と想像力」
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冊子を斜め読みしての感想ですが、ここに何か“抹香臭さ”のようなものがあるわけではありません。いずれもごく普通の論文です。もし、そこに「バチカンらしさ」があるとすれば、それは「信仰と科学の出会い」という表題そのものと、口絵に収められた、1枚のステンドグラスの写真でしょう。
そのキャプションにはこうあります(適当訳)。
「本書の口絵として、スタニスワフ・ヴィスピャンスキが制作したステンドグラス、『創造者たる神(God, the Creator)』の複製を選んだことには、2つの理由がある。
1つは、この作品が我々の集会が開かれた美しい歴史都市、より正確に言えばクラクフのフランシスコ教会に存在し、同市の市民たちがヴィスピャンスキの芸術を誇りに思っているからだ。
そして2つ目の理由は、この芸術作品において、見る者は神がそこに存在することを確信しているにもかかわらず、その姿を見つけることが難しいからだ。これぞまさにガリレオが経験したことであり、我々の多くが現に経験していることでもあろう。我々は、神がその作り給うた世界のうちに、そして神の教会のうちに存在することを確信しているが、彼を見出すには努力が必要なのだ!」
★
ガリレオが精力的に著述に励んだ時代から400年。ガリレオ問題を振り返ったクラクフ会議から数えても、すでに約40年の歳月が流れました。
もはや「世界の中心は地球か?太陽か?」というような問いは意味を失い、我々は信仰と科学の関係を新たな光のもとで考えるべき時代を生きています。それは当然、「神」あるいは「超越者」をめぐる新たな省察を伴うものです。
たぶん現時点での最大公約数的理解は、超越者が物理的に存在するかどうかよりも、超越者という観念を我々が有していることこそが重要なのだ…というものでしょう。
その観念のルーツ(のひとつ)は、言うまでもなく星空を見上げる経験です。
ここで再び400年前に立ち返り、満天の星空を見上げたガリレオの心のうちに去来した、言葉にならぬ思いを想像したりします。
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