天体議会の世界…ペンシルロケット2013年09月09日 19時53分43秒

エアコンの世話になる頻度も減って、夕方ともなれば、しきりにコオロギが鳴きます。
暑い暑いと言いながら、やっぱり秋ですね。空の色もこまやかになってきました。
毎年のことですが、今年はいろいろあってすっかり心が弱くなっているので、何だか無性に寂しいです。己の人生の秋をそこに重ねているのかもしれません。

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このまま、秋以降も天体議会ネタでいいのかなあ…と迷いつつ、でも作品の中では、ちょうど今からが物語の始まる季節です。

話がどこまで進んだかと云えば、水蓮が銅貨たちに天体議会の招集をかける場面まで来たところでした。

集合時刻の午後5時まで、水蓮と銅貨は家に戻らず、いつものように鉱石倶楽部で時間をつぶすことに決めます。今日の気象予報に注意を払ったり、鉱物の品定めをしたり、水蓮が新たに手に入れた例の最新式の製図ペンの話題や、先日出会った謎の美少年に関する噂話をしたりしているうちに、ふと水蓮が思いついたように言いました。

「銅貨、はやめに集合場所へ行こう。ちょっと面白いものを手に入れたんだ。」
「何さ、」
「鉛筆〔ペンシル〕ロケットだよ。固形燃料〔キューブ〕もある。打ちあげてみようぜ。」(p.50)

二人は鉱石倶楽部を出ると、今日の「議会」の会場である、波止場近くの海洋気象台の屋上に向かいました。水蓮は、ここから遠くの山並みに向けて、手製の小型ロケットを飛ばそうというのです。屋上には飛行船の降下位置を示すサークルが鮮やかに描かれており、

水蓮はその円の中に腰をおろし、鞄を開けて組み立て式のロケットを取り出しているところだった。アルミニウム青銅の美しい黄金〔きん〕いろをした機体は、模型店で手に入る二段式ロケットを改良したものだが、水蓮があらかじめ云っていたように、固形燃料〔キューブ〕を使って実際に打ち上げることができる。本体部や尾翼の形など、微に入り細を穿つ、といった凝りようで驚くほど精巧だった。銅貨は水蓮の器用な手さばきを充分承知していたものの、感心して覗きこんでいた。(p.56)

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私はペットボトルロケットぐらいしか飛ばした経験がないので、モデルロケットの世界がどんなものかは、想像するしかありません。ウィキペディアの該当ページや、「日本モデルロケット協会」という団体のサイトを見ると、なかなか奥深い世界のようです。

NPO法人 日本モデルロケット協会 http://www.ja-r.net/

水蓮のロケットは、アルミニウム青銅製のボディを持った2段式ロケットで、さらに彼が独自にカスタマイズを施したもの…という設定ですが、現在市販されているモデルロケットに、類似の品があるのかどうか。何となくなさそうな気がしますが、その辺は「未来の話だから…」とあっさり片づけて、細かい考証は抜きに、いつものようにイメージ先行でモノを探してみます。

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もっとも、『天体議会』のハードカバー版には、作者・長野氏自身のイラストが載っていて、ロケットを肩に担いでいる少年(水蓮か)が描かれています。


これを見る限り、現行のモデルロケットとそう違わないようにも思えますが、どうも私のイメージでいうと、「ペンシルロケット」というぐらいですから、もっと小さなロケットを想像します。それに、当然ピカピカと金属光沢を放っていてほしい。


そこで、こんなロケットはどうでしょう。黄金ではありませんが、白銀のスマートなロケットです。旧ソ連製で、全長は約32センチ。


噴射口からカプセル状の燃料を装填し、点火する仕組みです。



点火剤には、キャンプでもおなじみのキューブ型固形燃料である「エスビット」が使用できます。

(この項つづく)

天体議会の世界…製図ペン(3)2013年09月01日 17時37分56秒

水蓮が手にしていた製図ペンに関する前々回の記事(http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/08/30/6965379)に貴重なコメントをいただき、ありがとうございました。

今回の話題は、個人的に完全にアウェイの話題ですので、皆さんのお話をフムフムとお聞きするしかないのですが、とりあえず、これまで寄せられた情報をここでまとめておきます。

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原文の記述から、水蓮が所持していたのは、「高価な最新式の製図用極細ペンで、ペン先は針のように鋭く、硝子質。インクの出方は滑らかで、1ミリ幅に10本の線を楽に引くことができ、全体の大きさは胸ポケットに入るサイズ」というものです。

私自身は、製図用のペンでガラスのペン先のものはないと即断して、あっさりガラスペン説を放棄しました。それは市販されている(されていた)製図道具のセットに、ガラスのペン先の道具が見当たらないという、至極単純な理由によるのですが、事実はどうも違って、ガラスペンは製図分野でも用いられていたことを、コメント欄でご教示いただきました。

まず、astrayさんによれば、昔の工務店では、実際にガラスペンで図面を引いていたようです。それは何か特殊な道具というのではなしに、ガラスペンは普通の事務用品のような感覚で、現場で大いに重宝されていたとのこと。

また銀さんによれば、官公庁でも同様で、ボールペンが普及する以前は、ガラスペンが金属ペンよりも多用されていたようです。そして、現在もガラスペンを作り続けている佐瀬工業所製のガラスペンにも、よく見ると「図引」と書かれているものがあるので、ガラスペンで図面を引くこと自体は、別に珍しいことでも何でもないことが分かりました。

さらに銀さんは、上記・佐瀬工業所の師匠筋に当たる、元祖ガラスペン製造所である佐々木商店(後のササキガラスペン本舗)の広告を、戦前の官報に見出し、報告されています。そのうち、昭和14年の官報から、私の独断で切り出したのが以下。
 
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2960281 ページは銀さんのご教示による)

その宣伝文句によれば、「如何に精密な図面の作成 或は細密な極細字記入にも最適なり。烏口の如く裏表なき為 老若男女を問はず使用簡単にして能率増進」云々とあって、ガラスペンは烏口の代用としても、また極細の字を記入するにも、大いに活躍したようです。

銀さんの記憶によれば、昔の細字用のガラスペンは0.3ミリ程度の線は安定して引くことができ、さらに「極細」ペンもあったので、この点でも水蓮の製図ペンの資格は十分ありそうです。

その上さらに、銀さんは戦前にアメリカのSpors社から販売されていた万年筆型ガラスペンにも言及されていて、これなら水蓮の胸元を麗々しく飾るにも相応しいですね。
 
(さっそく現物を探したのですが、eBayで見つかったのは、この紙モノ(当時の広告)だけでした。関心のある方は、item # = 140617955572で検索してください。)

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ところで、最初の私の誤解にもどって、製図セットになぜガラスペンが含まれていないのか? これは、製図の実際をご存知の方には自明のことかもしれず、己の不明を恥じるのですが、そもそも製図セットには、ガラスペンどころか、通常のペンも含まれていないのが普通です。もちろん、直線や曲線の墨入れには烏口を使うので、烏口は製図セットに必須です。しかし、それ以外の文字入れは、普通のペンを使っていたので、わざわざ製図セットにそれを入れる必然性がなかったわけです。

この辺の事情を、古い製図学の本から引用しておきます(神門久太郎(著)、『実用製図学(第5版)』、建築書院、大正2年)。

「ペン」 製図に文字或は数字等を記入するに用ゆるものにして、鋼製の尖り且硬きものなれば普通使用し得べきも、「スペンセリアン」会社製丸「ペン」を最良とす。独逸丸形文字を記するには、特に「ルンド、ペン」と称して其尖端の切れたるものを使用す、此「ルンド、ペン」には123等の番号あり文字の大小によりて異りたるものを使用す、又此「ペン」は普通の「ペン」の如く、墨汁を内側に附くるものにあらずして、外側の凹所にのみ盛りて記するにあり、否らざれば細き線を引くこと能はざるべし。」(pp.22-23)

前々回の記事で、レタリング専用のペンを紹介し、またその用法に関する解説書の頁を載せましたが、あれがこの「ルンド・ペン」の類なのでしょう。しかし、特殊な場合を除けば、文字入れに際してそれが必須なわけではないことが、上の文章から読み取れます。

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結論として、水蓮の製図ペンは、改めてガラスペン式のものを最有力候補に推したいと思います。ただ残念ながら、ここでその現物を紹介することができません。それについては、他日を期すことにします。

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…それにしても、『天体議会』の作品考証を、ここまで細部に渡って進めた一団がかつてあったでしょうか?「いや、ない!」という反語を以て、私もその一団に加われたことを誇りに思います。(^J^)

天体議会の世界…製図ペン(2)2013年08月30日 17時42分21秒

管理人の予想をはるかに超えて、天体議会ネタが続いています。
この先いつまで続くのか予想もつきませんが、折々は別の話題をはさみながら、もうしばらく続けることにします。

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さて、水蓮が手にしていた極細の製図ペン。

普通に考えれば、今風のロットリングなのかもしれません(文中には「最新型の製図ペン」という記述もありました)。しかし、ここではロットリングは禁じ手にしましょう。
後ほど出てきますが、『天体議会』の世界は、図面の「青焼き」が普通に使われている世界ですから(さらに云えば、コークス・ストーブや、鉱石ラジオや、謄写版印刷も現役です)、たとえ未来の話ではあっても、戦前からあるような古風な道具のほうが似つかわしく思えるからです。

(ロットリングのラインナップ。最細の品なら、水蓮が自慢したように、理論的には1ミリ幅に10本の線が引けるはず。出典:http://limit.miniih.com/index.php/home/post/15

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また、コメント欄でご意見をいただきましたが、「硝子質のペン先」という記述から、ここで「ガラスペン」を連想された方も少なくないと思います。

ガラスペンとは、文字通りガラスのペン先を持つ筆記用具で、元は日本で発明されたそうですが、astrayさんが紹介された、ガラスペン技術の正統を受け継ぐ「佐瀬工業所」のWEBページをご覧いただければ、その工芸的な美しさに目を見張られることでしょう。

ガラスペンの佐瀬工業所 http://www7.ocn.ne.jp/~glasspen/index.html

ガラスペンはいかにも涼しげで、水蓮が手にしても確かに違和感がありません。
ただし、製図用具というのはやはり特殊なモノですから、通常の筆記用途のガラスペンを、製図用具に転用するのは、ちょっと難しい気がします。

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製図ペンと聞いて、(私も含む)一定以上の年齢の人が連想するのは、あるいは「烏口(からすぐち)」かもしれません。そのシャープな輝きとフォルムには、メカニカルな美しさがあり、柄の部分が象牙でできた高級品ともなると、そこに一種の風格すら漂います。

(烏口とコンパス。コンパスも描線部は烏口式になっています。)

とはいえ、烏口はもっぱら直線を引くための道具ですから、文字を書くにはまた別の道具が必要です。

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さて、長い前置きの後でいよいよ真打登場。


ニューヨークの Keuffel & Esser 社(1867年創業)が、1900年代初めに売り出したレタリング用の製図ペンです。柄は黒のエボナイトと木の組み合わせ。


型番の「6」というのは、特太の「000(スリーゼロ)」から始まって、9種類ある同社のレタリングペンの中で、最も細い字が書けるタイプです。


真鍮のにぶい輝きを放つペン先。中央部の穴からインキを入れて使用します。ペンの先端は細くとがり、鳥の嘴のように屈曲しています。

銅貨は水蓮が書いた天体議会の招集状を見て、「罫線もないのにまっすぐ揃っている、角の尖った形のよい文字」に感心しましたが、水蓮はいわゆる達筆というよりも、レタリング技術がうまかったのだと思います。製図ペンを使ったレタリングは、普通に字を書くのとは別の技能で、本来の字の巧拙とは直接関係がありません。

(昔の製図技法書より。レタリングペンの使い方を説明したページ)

(同上)

(ネジをゆるめることで、インクだまりを掃除することができるようになっています。)

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残念ながら、ペン先こそガラス質ではありませんが、水蓮の胸ポケットからちらりと覗くのは、こんな硬質な表情のペンであってほしい気がします。

天体議会の世界…製図ペン(1)2013年08月29日 05時46分16秒

前回書いたように、天体議会の招集方法は、こっそりメンバーのロッカーや抽斗に開催通知を忍ばせておくというもので、その通知を作成するのは、「議長」である水蓮の役割です。

「本日、議会招集。ジュラルミンの天使およびアンタレスの星食観覧。集合時刻は午后五時。場所はいつものとおり、時間厳守のこと。十月二十二日、議長。印」
 理科教室の自分の抽斗をあけた銅貨は、外国郵便用の薄い紙〔オニオンスキン〕に書かれた文面を読んだ。製図用の極細ペンを使って書く水蓮の文字である。彼らしく角の尖った形のよい文字で、罫線もないのにまっすぐ揃っていた。(p.42)

水蓮という少年は、敏捷で、頭の回転が速く、向こう気が強い反面、繊細なところもあり、友情にはめっぽう厚く…と、理想化されたキャラとして描かれていますが(顔立ちがきれいというのも、長野ファンにとっては重要でしょう)、それらと並んで、「手先が器用」というのも、彼の特長の1つに数えられます。

彼は製図が得意で、作中には音楽部の友人に頼まれて、オペレッタの舞台装置の図面を引くシーンも出てきますが、それだけに製図用具に対しても、相当なこだわりを持っています。上の文中に「製図用の極細ペン」と出てくるのも、その表れ。

銅貨も目ざとくそれを見つけて、水蓮をやり込めます。

「水蓮はね、無計画すぎるよ。ほら、さっきの議会招集の連絡。また新しいペンで書いてたろう、製図用の。あんな高価なもの、月末に買うなんてどうかしてる。」
「違うよ、あれは。ちょっとした賭に勝って手に入れたんだ。ドロップコンパスとディバイダーは新しく買い替えたけどね。合金で針の安定感がまるで違う。」
「それぢゃ同じことだ。結局、出費してるってことさ。」
「まあ、そうだけど。」(p.46)

しかし、水蓮はまるで気にする風もありません。

水蓮はそう云って上衣の胸ポケットから、最新型の製図ペンを取り出した。ペン先が針のように細く、見るからに精巧な硝子質である。
「洋墨〔インク〕の出かたが滑らかで、従来のものとまるで違うんだ。これだと一ミリの幅にかるく十本の線を引くことができる。」(p.47)

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ちょっと意外に思われる方もいるでしょうが、製図道具類は、理系アンティーク市場において重要な取扱い品目になっていて、専門のコレクターも少なくありません。

『天体議会』の世界でも、水蓮の「製図趣味」は、強い理科的香気を放っていますが、この場合は純粋な理科というよりは、むしろ“エンジニアリング&テクノロジー的冷ややかさ”を感じさせる小道具といえるかもしれません。

(1950年代?の日本製の製図道具セット)

で、あらためて「製図用の極細ペン」というのを探してみたのですが、ここに書かれているような「精巧な硝子質」のペン先を持った製図ペンというのが、なかなか見つかりません。これはひょっとして作者の創作かもしれないのですが、製図ペンの現物を見ながら、もうちょっと考えてみます。

(製図ペンと製図道具一般の話題を追って、この項つづく)

天体議会とは何か2013年08月27日 21時15分28秒

ここで話の順序として、本作品のタイトルであり、第2章の章題にもなっている「天体議会」とは何であるのかを、説明しておかなければなりません。

 議会とは天体観測を趣味にしている生徒たちの集りで、大半は理科部に所属していた。銅貨や水蓮もその例に漏れない。水蓮が議長の名のもと、連絡や調整を一手にひきうけていたが、集合場所や日時については原則として外部には秘密で、連絡方法は先のように抽斗やロッカーに文書をひそませることになった。うっかり口外したり、招集時刻に遅れた者には、ちょっとした罰が科せられる。もっともこの事項はたいして守られておらず、水蓮でさえ罰を受けることが度々あった。

 とりわけ、ふだん天体に興味のない生徒まで知っている有名な彗星の接近や、月食の起こる日などは盛況で、秘密などないも同然になる。きょうの星食も人工天体の打ち上げと重なっていることがあって、部外者は多くなりそうだった。(p.42)


…というわけで、いわば有志による私的観測クラブであり、結社なのですが、グループの一体感を高めるために、一寸秘密めいた要素を取り入れているのは、いかにも少年らしい点です。もっとも、二人が在籍する学校には立派な天体観測施設があり、素直にそちらで観測に励む生徒も多いのですが、あえて自主独立の気ままな活動にこだわる点に、彼らなりの気概や信条があるのでしょう。

 今夕、天体議会を開くのは、波止場にある海洋気象台の屋上だった。飾り気のない直線主義の四角い建物である。港に面していて視界は悪くないが、本来、天体観測をするなら学校の天文台のほうが適している。港を見おろす高台に建っているし、私設とはいえかなりの設備を揃えていた。しかしそこでは、筆記帳〔ノート〕をとったり、顧問教師の退屈な話を聞かなければならず、好き勝手にしていたい生徒にとっては窮屈で居心地が悪い。そうした堪〔こら〕え性のない生徒の集りが天体議会であり、その典型が水蓮だった。理科部の大半や部長の旗職〔きし〕などはもちろん、私設天文台組である。(p.50)

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これを読んでうらやましいと思われる方も多いでしょう。
何といっても、「天体議会」というネーミングがカッコいいし、議長が議員に秘密の招集をかけるというのも素敵です。しかし、少年を主体とした、こういう天体観測のつどい自体は、かつて天文少年が今よりもずっと多かった時代には、それこそ町々辻々で行われていた…という証言もあります。

たとえば、以前ご紹介した、美術家・小林健二さんの思い出。

夢の町に息づく理科少年たち
 http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/01/14/4812956

煩を厭わず再掲すると、

「そういえば、小学校の頃、ぼくは二級下のとても親しい友人といつもいっしょに遊んでいました。〔…〕夏や冬の休みになると、各小中学校の天文部あるいは天体クラブがそれぞれの学校の屋上や校庭でなにがしかの天体観測をしたりしていて、とりわけ夏の方は、他校の生徒でもどうにか紛れこんだりできたものです。

 そんな時代には〔…〕ぼくらの夜となると暗くなってしまう町にもいろいろな場所に簡易な観測所ができて、同世代の子供たちが夜中何人も起きていて、星座や流星群を観察し、思い思いにノートをとったり食事をしたり、寝袋から夜空を見上げたりしていたのです。ぼくらはそれぞれの学校を巡り、あこがれの16センチ屈折や30センチ反射望遠鏡などをのぞかせてもらい、夜がいつまでも明けない事を願ったりしたものです。

 ぼくらの町のいたるところで、たくさんの仲間たちが同じような真摯な気持ちをいだいて、夜の中の宝物を発掘していたのです。」

…というような塩梅であったらしいです。

「鉱石倶楽部」と違って、「天体議会」の方は、みんながその気になりさえすれば、今すぐにでも現実化できるはずですが、今の少年たちにその元気があるかどうか。

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次回は、水蓮による議会招集シーンから、あるモノに注目してみます。

(この項つづく)

天体議会の世界…十月の星図(2)2013年08月25日 20時27分55秒

ざっと雨が降り、今日はクーラー要らずの日でした。
自然の風に吹かれて気持ちよく昼寝をするという、最高の贅沢を満喫しました。

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あまり『天体議会』とは関係ないのですが、「10月の星図」と聞いて思い出した星図帳があるので、この機会に載せておきます。


■Oswald Thomas,
 Atlas der Sternbilder: Mit figuralen Darstellungen von Richard Teschner
 『星座アトラス(リヒャルト・テシュナー作図)』
 Das Berglandbuch Verlag (Salzburg), 1945, 154p.

各月ごとの星図12種(星座絵と線描図の計24枚)、主要星座を中心とした部分星図32種(同64枚)、それに天の南極を中心とした南天星図(同2枚)を含む、星図帳としては至極完備したものです。

(しし座付近)

(2月の星座)

世に流布する星図は様々ですが、私は昔から黒地に白の星図が妙に好きで、このトーマスの星図帳も、黒(濃紺のようにも見えます)の地色と、ミントブルーの星座絵の対照がまことに爽やかで、一目見るなり気に入りました。出版年も新しいので、古星図のように馬鹿高いこともなく、ウィーンの古本屋さんの売値は、確か3千円ぐらいでした(もちろん買ったのはネットを通じてです)。

それにしても、あの時代によくこれだけの本が出たものです。
1945年といえばドイツ降伏の年ですが、著者の序文は1944年6月、ナチス統治下のウィーンで書かれています。そんな世情騒然たるオーストリアで、こんな美しい星の本が企画され、現に出版されたということは、当時の日本の状況を考えると夢のようです。(紙質の違いを見ただけでも、彼我の差は歴然としています。)


銅貨が眺めていた10月の空に対応する図。


「少年〔ガニュメデス〕の持つ水瓶から零れる水を、南の魚が飲んでいる。ひときわ煌く一等星は、魚の口〔フォーマルハウト〕」 …銅貨が見たのは、こんな絵柄ではなかったでしょうか。

天体議会の世界…十月の星図(1)2013年08月24日 17時35分21秒

水蓮と銅貨が、行きつけの鉱石倶楽部で謎の少年と謎の出会いをした第1章。
第2章「天体議会」は、それから1か月後、10月の校内からスタートします。

 少年〔ガニュメデス〕の持つ水瓶から零れる水を、南の魚が飲んでいる。ひときわ煌〔かがや〕く一等星は、魚の口〔フォーマルハウト〕。十月の星図を眺めていた銅貨は、それを折りたたみ、まだ星などひとつも見えない真昼の天〔そら〕を見あげた。橡〔つるばみ〕の果〔み〕が、林の中で音をたてて落ちる季節、教室の窓から見える碧空〔へきくう〕は輝くばかりである。(p.40)

残暑の厳しかった頃から、秋本番へ。季節の移ろいが美しく描写されています。

『天体議会』はその題名のわりに、天体の登場回数が少なくて、むしろ鉱石のほうが頻繁に顔を出すぐらいですが、ここで久しぶりに天文の話題に戻れます。

ここで銅貨が眺めていたのは、月ごとの星座を描いた1枚ものの星図で、彼はそれを「折りたた」んで持ち歩いているそうですから、わりと薄手の紙に印刷されたものでしょう。文中には、これ以上の手がかりは何も書かれていませんが、想像するに、これはプラネタリウムに行ったときに配られたか、少年雑誌の付録についていたか、おそらくそんな類の星図ではないでしょうか。

SFチックな話なのに、あまり頻繁に過去に回帰するのもどうかと思いますが、戦前のイメージを重ねると、「子供の科学」誌が月々載せていた「〇月の空」のような感じ。

(「子供の科学」昭和9年9月号より)

(みずがめ座とみなみのうお座付近)

下は昭和2年(1927)に三越で開かれた天文関係の催事の際に配布された解説チラシですが、プラネタリウムでも、こんな感じのものを配っていた記憶があります。

(この図の詳細は、http://mononoke.asablo.jp/blog/2008/04/26/3345315 を参照)

ただし、いずれも星座絵が描かれてないので、銅貨が目にしていた星図としては、少し寂しい感じがあります。まあ、理科少年的にはむしろ星座絵がないほうがスッキリしているとも云えますが、星座絵の描かれた星図で、なおかつ理科少年的風趣にも富む、ちょっと素敵な星図を最近手に入れたので、銅貨をダシにして、強引にそっちに話を持って行きます(あいにく折りたたむことはできませんが)。

(この項つづく)

天体議会の世界…水蓮の目から零れた碧い石(1)2013年08月23日 11時47分39秒

甲子園が終わり、ツクツクボウシが鳴きだし、今日は遅めの夏休み。
午後からは久しぶりの雨だと天気予報は告げています。
このところ不調が続いていたので、心と身体を休めろという天啓でしょうか。

昨日の「蚤ゲーム」は、ひょっとして滑ったかな?と危惧しつつ(コメント欄参照)、『天体議会』第1章における最大の山場に話題は移ります。

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始業式の朝から急に大きく腫れてきた水蓮の左まぶた。
鉱石倶楽部で出会った謎の少年は、水蓮の顔をじっと見て、「それは石が入っているせいだ。自分なら石を取り出せる」と自信ありげに言います。不審に思う銅貨と水蓮。しかし、ともかく試してみようということになり、水蓮は少年の「施術」に身をゆだねます。

 少年は水蓮のまぶたにあてていた指を、ゆっくり離した。そのとき銅貨は、碧く光る結晶が水蓮のまぶたから零〔こぼ〕れ、少年の手の中に落ちるのを見た。
「取れたぜ。」
 そう云って、少年は銅貨に結晶を見せた。(pp.32-33)


 澄みきった碧瑠璃〔へきるり〕の、柘榴〔ざくろ〕のひと粒ほどの結晶だ。澄明な碧さは、水平線を思わせる。
 雲ひとつない眩しい碧霄〔へきしょう〕との界〔さかい〕に、すうッとひと筋の洋墨〔インク〕を流したように弧を描いている碧。(p.33)


この描写、「すうッとひと筋の洋墨を流したように弧を描いている碧」というのは、結晶全体の青味を表現しているのだと思いますが、ここではそのイメージに形を与えるために、石そのものの中に、「ひと筋のインクを流したような弧」が認められるものを選んでみました。

 水蓮は首を振った。彼は自分のまぶたに入っていた結晶を掌にのせて不安気に眺めた。
「こんな結晶は見たことがないな。土耳古石〔ターコイズ〕のようにも見えるし、海柱石〔アクアマリン〕のようにも見える。どうしてこんな石が出てきたんだろう。妙じゃないか。」(p.35)



この謎の結晶は、水蓮から銅貨の兄である藍生(あおい)に託され、詳しく分析されるはずでしたが、その後(いささか滑稽な)「ある出来事」のために、それが不可能になります。結局、石の正体は不明のまま。そして少年の正体も。

「水蓮の目から零れた碧い石」の続編は、その「ある出来事」とともに、後ほどあらためて書きます。

(この項、間をおいて続く)

天体議会の世界…蚤〔ピュス〕ゲーム(2)2013年08月22日 05時45分24秒

鉱石倶楽部のカウンターに置かれた「蚤ゲーム」のイメージ。


箱のふたを開けたところ。
箱の大きさは27cm×15cmほどあります。
内容は、赤・白・黄の3色のチップ、木製のカップ、濃緑の厚紙ボード、それに遊び方の説明書が付属しています。


ボードにはいろいろマス目があって、チップを飛ばした位置によって、得点やペナルティが決まる仕組みなのでしょう。印刷された文字には、地獄(enfer)あり、天国(paradis)あり、その中間には祭壇(reposoir)があったり、パリ・ローマ・ロンドン・ブリュッセルの4都市があったり、何となく謎めいています。


この木のカップも重要な役割を演じるはずですが、具体的な役割はよく分からず。


とはいえ、ルールはすべてここに書いてあるので、フランス語に堪能な方なら、遊び方は一読明瞭でしょう。ぜひご教示いただければ幸いです。



天体議会の世界…蚤〔ピュス〕ゲーム(1)2013年08月20日 21時53分54秒

昨日から平常勤務という方も多いでしょう。大人の夏休みは実にあっけないものです。
しかし、この夏休み向けの企画・「天体議会の世界」は、あちこち寄り道が多いせいで、まだまだ終わりそうにありません。

今日も寄り道のたぐいで、理科とも天文とも関係のないアイテムを取り上げますが、関係はなくとも、あの作品世界に分け入るカギとなりそうなものは、今後も進んで取り上げるつもりです。

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鉱石倶楽部に到着した二人が出会ったのは、いつもの店番役の大学生ではなしに、見慣れない少年でした。“ひょっとして自動人形〔オートマータ〕か?”と、二人がいぶかしむほど無表情で、しかも驚くほど整った顔だちをしたこの少年は、その後、全編を通じて重要な役柄を演じるのですが、それはまた後の話。

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とりあえず謎の少年に朝食の注文をして、二人は夏休み中のことをあれこれ話し込みます。

「云うなよ。おまけに突然、母〔バービイ〕がやって来て居座るものだから兄はどこかへ消えてしまうし、こっちは遊覧船に付き合わされる始末さ。」
「同情するよ。」
 水蓮は片方の眼で憐れむように銅貨を見た。(p.27)

以前もチラッと書いたように、久しぶりに銅貨と再会した水蓮は、この日大きな眼帯を左目にしていました。今朝から急に眼が腫れてきたのだといいます。

彼はさきほどから蚤〔ピュス〕という遊戯〔ゲーム〕をひとりで始めている。白磁〔ビスク〕のチップを容器めがけて指ではじき、チップの色や形で点を数えるのだが、眼帯をしているせいか、いつもより苦労していた。(同)

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ここに出てくる「蚤〔ピュス〕」というゲーム、なんとなくカッコいい感じがしたので、寄り道ついでに注目してみます。はじめは作者の創作かと思ったのですが、でも、探したら本当にありました。フランス語で「puce」と綴り、意味はたしかに「蚤、チップ」。

(1900年代初頭と思われる蚤ゲーム。外箱のデザインがかわいい)

「蚤ゲーム jeu de la puce」は、文中の説明通り、チップをはじいて点数を競う遊びで、ピュスには「チップのように飛ばす」という二重の意味が込められているのかも。
ただし、一口に「蚤ゲーム」といっても一種類ではなくて、そこにはいろいろなルールやデザインが認められます。(ちょうど日本の双六に、多種多様なデザインがあるのと同じでしょう。)

ここは鉱石倶楽部で水蓮が遊ぶのですから、いかにもそれらしい雰囲気のものが欲しいところ。いろいろ見て回って、最終的に上の品に決めました。その中身については、また次回。

(この項つづく)