戦前の少年向け天体望遠鏡事情(3)2010年01月21日 20時58分50秒

(↑これまた「子科」昭和9年9月号広告より。「完全なる天体観測には二吋屈折が絶対必要!」)


さて、あえて反射望遠鏡からスタートした天文少年の1人こそ、先に引用した森久保氏ご本人に他なりません。

森久保茂氏(1913-2004)はアマチュア天文界の大立者で、本業は医師。流星塵の研究で有名です。私は直接お会いしたことがないのですが、かつて日本ハーシェル協会の会員でもありました。

氏は前掲の文章の中で、「昭和初年のある経験」という自らの思い出を綴っています(pp.21-23)。

昭和6年(1931)といえば、氏はすでに旧制中学校の5年生ですが、当時の課程では、中学5年でやっと<地理通論>という科目の一部として<天文>を習ったそうで、しかも、その中身たるや、「主として太陽系と地球との関係を記載するに止まり星や宇宙全般については触れていな」かったというのは、ちょっと意外な話です。

さらに、「図書室には天文の本は無く〔…〕筆者はその頃「子供の科学」を愛読していたが、先生にも友人にも天文の好きな人は一人もいなかった」という状況。

当時の「子科」を懐古的に見て、理科少年の黄金時代のように見なすのは、ちょっと留保が必要かもしれません(少なくとも、天文少年はあまりポピュラーではなかったかも)。そんな中、森久保氏は天文道に精進し、翌年ついに天体望遠鏡を手に入れます。

「1932年誠文堂代理部より7cm反射経緯台(ニュートン式)を購入した。その値段は47円。また1934年同じく誠文堂より3.5cm屈折経緯台を購入、価格22円。これはまもなく対物鏡を5cmに改めた。そして1933年に日本天文学会に、1934年に東亜天文協会に入会した。」

こうして押しも押されもせぬ天文マニアが1人誕生したわけです。

ところで驚いたのは、氏が最初に購入した7cm反射望遠鏡の現物が、ネット上で紹介されていたことでした。

○星空寄り道散歩道:レトロ望遠鏡(by ほくと(やぬし)さん)
 http://m-hokuto.at.webry.info/200811/article_8.html

さらに以下の記事では、森久保氏自筆の箱書きも紹介されています。

○天体望遠鏡自作掲示板 http://425.teacup.com/tomoda/bbs/913

真っ白な鏡筒とピラーは、氏の没後に塗り替えられたもののようで、個人的には存分に古色が出ていた方が良かったのですが、これもまた氏を追慕する後人の気持ちの表れでしょう。この画像と、一昨日の広告に写っていた5cm反射望遠鏡を併せて見ると、戦前に流通していた反射望遠鏡の表情がよく分かります。