戦前の少年向け天体望遠鏡事情(4)…手作り望遠鏡で宇宙を翔ける2010年01月24日 20時02分05秒

(「第四回製作展覧会に天球儀を出品して一等入選した新宅徳次郎君と同君自作の望遠鏡」。子供の科学、昭和9年9月号より)

先日、コメント欄でS.Uさんに教えていただいたページ。
皆さんご覧になったかもしれませんが、感動をおすそ分けするために、記事にも書いておきます。

以下は、日本を代表するコメットハンターの本田実氏(1913-1990)の思い出の記です。

■本田実:星へものを尋ねて(わが感情天文学)
 http://www8.plala.or.jp/seijin/ikoh/ikoh.html

本田氏は1913(大正2)年の生まれですから、先にお名前を出した森久保氏とちょうど同い年。初めて望遠鏡を手に入れたのも、同じく17歳の頃です。しかし、この2人の天文家の経験はずいぶんと違います。

神奈川県厚木で、比較的裕福な家に育ったとおぼしい森久保氏に対して、中国山地の小村で成育した本田氏。時代が昭和になっても、本田氏にとって、望遠鏡ははるかな憧れでした。

上のページからもリンクされていますが、氏が最初に望遠鏡用レンズを買ったときの思い出は、以下に詳しく綴られています。

■丸いものは望遠鏡に見え
 http://www8.plala.or.jp/seijin/ikoh/inaka.html

望遠鏡のカタログを取り寄せて、暗記するほど眺め、「雨樋、電柱、丸太など細長い円筒形のものは全部望遠鏡に見え」たという本田少年。「ついにはレンズも何もない竹の筒を空に向け、望遠鏡はこうして筒先を星や太陽に向けるのであろうと思ったりした」というところを読むと、微笑ましいような、何となく涙ぐましいような気になります。

意を決した本田少年は、乏しい小遣いを貯め、ついに5円の望遠鏡自作用レンズの購入に踏み切ります。桐の丸太や、ブリキ板などあり合わせの材料で、1ヵ月かけてやっと作った望遠鏡。初めて眺める月の光景。この辺の記述は、胸にぐっと迫ります。

話が既製品に偏りましたが、当時は自作望遠鏡こそ天文趣味の王道だったかもしれません。再三取り上げた「子供の科学」昭和9年9月号にも、当然のごとく「澄みわたる秋空への準備/天体望遠鏡の作り方と地上望遠鏡の作り方」という記事が、図解入りで詳しく載っています。

本田氏が購入したのは、28ミリのシングル対物レンズと、20ミリのラムスデン式接眼レンズでしたが、「子科」の広告を見ると、確かに同サイズのレンズセットが売られていて、本田氏が買ったのもこれかな?と思います(※)。以下、広告の文面。

「本号所載の作り方記事通り上記のレンズを組合せると
倍率四〇倍、市価十数円に該当する有力な天体望遠鏡が
だれにも作れます。

観測範囲は下の通りでなかなか広範に亘り興味津々たる
ものがあります。

▲月の噴火口、山脈、光条
▲太陽黒点(サングラスを要す)
▲土星の環の存在
▲金星の半月状
▲木星の四ケの衛生
▲変光星
▲星団、星雲の代表的なものその外各星座の恒星数万個」

「恒星数万個」という言葉が力強く響きます。いっぽう、「土星の環の‘存在’」というのがやや弱気。でも、上の観望項目は『星界の報告』を彷彿とさせ、これはある意味ガリレオ追体験と言えるかもしれません。


(※)「子科」の広告では、この対物・接眼レンズのセットは2円となっていて、本田氏のいう金額と一致しません。氏の単純な記憶ちがい?それとも氏が買ったのは別の品でしょうか。2円でも今のお金で6~7千円ぐらいなので、安くはないですね。