戦前の顕微鏡写真集(その3)2009年04月25日 18時14分55秒

さて、帙を開けると、それぞれ黒い台紙に貼られた図版が全部で50枚収まっています。
(ただし、手元にあるのは4枚欠失していて46枚。)

黒い台紙、というのがいいですね。図版はすべてコロタイプ印刷。

コロタイプ印刷とは、同寸大のガラスネガを直接原版として用いる印刷技法です。そのため、かつては「玻璃版」という美しい名前で呼ばれました。オリジナルネガの明暗がそのまま転写されるため、網版では到底不可能な連続諧調と深みのある質感が得られます。その分コストが高く、大量印刷には向かないのが難で、もっぱら絵画の複製などに用いられます。(←この辺はネット情報の受け売りです。)

精細で豊かな画像表現
黒い台紙とのシックな調和
茜色の活版で刷られた説明文に横溢する科学の香り
時代を経た紙の古び具合

そうしたものが相まって、この写真集には何か不思議なアート作品のような味わいがあります。

(この項つづく)

コメント

_ SBOD ― 2009年04月25日 23時22分01秒

WOW! They are in excellent condition! They are so fine that they can on a pair with those featured in modern textbooks for secondary studies.

I know something about Collotype. I consider it a kind of contact print. In order to to get a big image the negative has to be big as well, they are equal in size. For contact print bigger is really better, big means find detail. Moreover no lens is placed between the negative and the photo paper, so the print keeps almost the same quality to the negative, and the image is not magnified, achieving the unbeatable quality. That is my experience in making contact prints with photo papers.

For more information of Collotype please check it out this blog:
http://herzen.pixnet.net/blog/post/22321625

( The blog is written in Japanese and Chinese! So language is not matter at all! )

_ S.U ― 2009年04月26日 08時15分21秒

玉青様、SBOD様、おはようございます。お話からの連想で割り込ませてください。今は死語に近いかもしれませんが、以前は写真屋さんは一般に「DPE店」と呼ばれていて、Dは現像、Pは焼き付け、Eは引き延ばしのことだとされていました。それで、PとEの違いがしばしば問題になり、その答えはPは密着焼き付けでフィルム原寸大のプリントだ、ということでした。
 私の子どもの頃はもう35mmフィルムばかりだったので、こんなのを原寸でプリントする人がいるんかいな、といつも思っていました。でも、家にある古いアルバムを見ると6x6(cm)版の原寸大プリントがたくさんあってそれなりに納得したものです。
 となると、問題はむしろ、すべてのDPE店がはたして看板通りに6x6以上の大判の密着プリントを実際に受け付けてくれたかどうか、ということになると思います。

_ S.U ― 2009年04月26日 08時53分46秒

すみません。"E"は「引き延ばし」ではなく「引き伸ばし」でした。DPE店に注文したものが延々と引き延ばされても困るので、訂正させていただきます。

_ SBOD ― 2009年04月26日 15時50分08秒

S.U 様,

Thanks for telling me the story of DPE店. That is really funny, as there is a similar concept in Hong Kong. Long time ago, saying 1960s, there was a term 沖晒放 among photographers. 沖 means development, 晒 means print, 放 means enlargement. However those shops offering 沖晒放 service were called 照相館 or 晒相舖.

The term of 沖晒放 is, however, less well-known to the public, not talking about PDE. The reason is simple, in those days only the rich could afford a camera, so there were 照相館 talking photos for the rather poor families.

For unknown reasons some customers never go back to the shops, leaving the photos for decades. The shop keepers had no way but to keep the photos as long as they could.

The photos were colored by skilled hands, which is not favorable by the young generation. As digital cameras are everywhere, 照相館 is not far from extinction.

Oops, I talked too far away from the topic.

_ 玉青 ― 2009年04月26日 19時39分12秒

ああ、何か不思議な雰囲気になっていますねえ(笑)。大いに結構です。どうぞ積極的に国際交流を深めてください。

>SBOD様

コロタイプについての情報をありがとうございました。ご紹介いただいたページで、コロタイプ絵葉書の実例を見て、本当に驚きました。デジタルだったら何dpiに相当するのか、ものすごい情報量ですね!過去の技術のすごさに脱帽です。

DPEの話。中国語(広東語?)では「沖晒放」と言ったんですね。「へえ~」という感じです。

「照相館」というのは、日本語の「写真館」(日本でも近年急速に減っています)に相当すると思いますが、手彩色写真を手がけていたというところが、日本の写真館とはちょっと違いますね。

日本にも戦前は手彩色写真がありましたが、しかし、それは主に観光写真や商業的な宣伝写真に限られ、個人的な肖像写真や家族写真を彩色する習慣はありませんでした。この辺はおそらく日本と中国の文化の違いでしょう。

>ご両人様

まあ、何にせよ今は写真文化が急速に変容を遂げている時代です。10年後…いや5年後には、さらに違った状況になっているでしょう。そういう時代に偶々立ち会ったのも、何かの縁です。旧時代を知る者として、その帰趨をしかと見届けようではありませんか。

_ mistletoe ― 2009年04月27日 15時02分32秒

コロタイプの印刷は黒が美しいのでスキです…
なにやらインターナショナルなコメント欄となって
おりますね!

_ 玉青 ― 2009年04月27日 19時48分25秒

書画の世界における墨色というのも大層奥が深いみたいですね。結局、視覚的表現というのは、突き詰めれば最後は白と黒に帰着するのでしょう。その中にすべての色があるわけですから。

_ S.U ― 2009年04月27日 20時18分57秒

玉青様、SBOD様、この場所をお借りして国際交流ができて有り難い限りです。

少年時代に写真を趣味にしていた者としてDPE店の衰退は残念なことですので、ここで、「旧時代を知る歴史の証人」として(なんと大層な)、もう少しコメントさせていただきます。さらに脱線することをお許し下さい。

写真館が衰退に向かったきっかけは、1970年代の一眼レフとカラーフィルムの普及にあったと思います。これで一般の人でもそこそこの解像度のカラー写真が撮れるようになったので、写真館のモノクロ写真からは離れていったのでしょう。玉青さんのおっしゃるように日本には肖像写真の彩色は無かったし、当時の写真館のカラー写真はベラボーに高価でした。要するに日本の大衆が、「解像度」や「モノトーンの感触」よりも「天然色」を写真に求めた結果であると言えると思います。 当時、少なくとも地方都市では、写真館はDPE店を兼ねていましたが、本業のシェアは落ち、DPE処理需要は伸び、たばこ店やコンビニでのDPE受付業務へと移って行き、「DPE店」の呼び名も廃れたものと思います。(以上、私の経験による個人的見解です)

現在は、デジタルカメラの普及によってさらに大きな転換が起こっているのはご承知の通りです。記念写真やイベント写真をきれいに残す、という需要は依然としてあるので、かつての写真屋さんの仕事は、現在は「街のプロカメラマン」として残っているものと思います。

_ 玉青 ― 2009年04月28日 22時12分07秒

デジカメと画像処理ソフトの出現は、かつて一部の人のみの専有物であった高度な技術が万人に開かれた、という意味で福音なのかもしれませんが、しかし、光と薬品を操るあのマジカルな雰囲気は消えましたね。そういえば、昔の写真屋さんには匂いがありましたが、デジタルになってそれも消えました。そしてすっかり明るくなりました。

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