ジョバンニが見た世界…大きな星座の図(6)2013年02月19日 22時55分08秒

前回出てきたセラリウスの『大宇宙の調和』のファクシミリ版。
この際ですから(どの際?)、その細部を一瞥しておきます。

ファクシミリと言っても、電送ファックスとは(語源を除けば)無関係で、ここでいうファクシミリとは「複製本」のこと。世にファクシミリ版と称する本はたくさん作られていて、たとえば初期活版印刷の代表作、「グーテンベルク聖書」もそうです。

その現物がマーケットに出ることは極めてまれで、出ても億単位の価格になると言われていますが、こういう稀購書には、ファクシミリ版が作られるのが常で、我が国の雄松堂書店がその制作に参画した「ペルプリン本・グーテンベルク聖書」のファクシミリ版の場合、その価格は241万円なにがしだとか。
http://www.yushodo.co.jp/kikou/Gutenberg/index.html

こうなると、たとえファクシミリ版とはいえ、一般人の手に届く品ではありません(買うのは主に大学図書館でしょう)。こういうのは、現物に限りなく近づけるべく、紙も印刷も凝りに凝っているので、いきおい価格も高くなるわけですが、しかし、グーテンベルク聖書のファクシミリ版なら何でも高いかといえば、そんなことはなくて、これまでに作られたファクシミリ版の完成度や価格はさまざまだ…ということが、雄松堂のサイトには書かれています。

グーテンベルク聖書ファクシミリのわが国での販売について
 http://www.yushodo.co.jp/pinus/57/Symposium/sympN-1.html

   ★

今回取り上げたセラリウスの場合、私は以前、イギリスで作られた大英図書館本を底本にしたファクシミリ版(1987年刊行)を持っていましたが、それは紙もツルツルで、印刷もノッペリした感じで、あまり感心できぬ仕上がりでした。(「持っていた」というよりも、資料的意味合いで今も持っています。)

それに引き換え、このドイツで出たファクシミリは、紙もマットな質感の、表情のある紙で、印刷もなかなか良くできています。

(本の大きさを示すために、周囲をトリミングせずに再度掲載)


たとえば、上の扉絵のページの隅に注目。


人々が何度もめくったために手垢がついていますが、この汚れや指紋も原本そのままに、忠実に印刷されたものです。このファクシミリ版は、出版当初の鮮やかな姿を復元するのではなく、現況をそのまま再現する方針で作られたものであることが分かります。また絵の周囲には、版画を刷った際に付いた圧痕(を示す薄汚れ。実際に凹凸があるわけではありません)も見てとることができます。


オンラインで簡単に見られるのに、わざわざ少なからぬ金を払って、紙の本を―それも本物ならともかく、所詮は「まがい」のファクシミリを―買う必然性があるのか?というのは至極真っ当な疑問です。

しかし、そういうふうに思うのは、実は我々の生活があまりにも視覚偏重になっている証拠かもしれません。経験のうちに占める、触覚や内部感覚(重量感覚など)の比重は、はっきり意識に上らないだけで、実は相当に大きいと思います。手触り・手応え・はらりとめくる感覚、etc.を楽しもうと思えば、どうしてもリアルな紙の本である必要があります。

…と口で言うほど、私は手触り至上主義でもないんですが、単に視覚情報に限っても、透過光と反射光では受ける印象がかなり違うことは、指摘しておいてもいいかなと思います。

   ★

ちょっとジョバンニを置き去りにしてしまったので、テーマを星座図そのものに戻して話を続けます。

(この項のんびり続く)

コメント

_ たつき ― 2013年02月20日 05時01分32秒

玉青様
ファクシミリについては私もつ最近ま誤解していました。要するに複製という意味があるから、複製本でもFAXでも同じなのですね。
今は私もとても立派な(本物だったらとても買えない)ファクシミリ本を持っています。

_ S.U ― 2013年02月20日 07時27分33秒

 セラリウスの本には太陽系の図が多いですね。これはなぜなのでしょうか。
 科学的事実の根本的な理論が打ち立てられていない場合は、えてして図がたくさん作られるものです。それは、多くの場合、問題解明のためのいろいろな現象の分析法を図示したものと言えると思いますが、セラリウスもそのように解釈すればよいのでしょうか。それとも、また別の哲学的観点などがあるのでしょうか。また、おいおいお考えをお聞かせいただければありがたいです。

話ががらりと変わりまして、
>透過光と反射光では受ける印象
 透過光とは違うのですが、日本文献の場合、虫食い穴の影と墨の字が写真では区別がつきにくいことがあります。これは私が素人だからでしょうが、現物を見れば素人でも起こらない問題です。
 それから電子版(電子複写印刷版を含む)では、折りたたみの大判の図が撮影・再現されていない場合が多いです。この状態では科学書は研究に使えずけしからんことです。この点もファクシミリ版なら大丈夫だと思います。

_ 玉青 ― 2013年02月20日 21時56分19秒

○たつきさま

考えてみれば、活版印刷も、版画も、複製を大量に作りたいという人類の願望が生み出した技術ですから、ファクシミリ版というのは、まさに複製文化の保守本流なのかもしれませんね。ともあれ、ファクシミリ版によって貴重な本が多くの人の手に届くようになったことは、文化の一大進歩だろうと思います。

○S.Uさま

>太陽系の図

おお、たしかにそうですね。今思うに、これはひょっとしたら「宇宙イメージの発展」と関連する話題かもしれません。以下、憶測を交えた私見です。
16世紀以前には、宇宙といえば即太陽系みたいな感じで、恒星は太陽系の外側にペタリと張り付いている付加物というか、いわゆる「恒星天」的な、静的・面的世界というイメージだったんじゃないでしょうか。その後、「ガリレオショック」によって、恒星宇宙という広大な世界が意識されるようになり、太陽系はそのごく微小な一領域を占めるだけの存在に「格下げ」されましたが、セラリウスの時代は、ちょうどその端境期にあって、まだまだ太陽系の令名は地に墜ちず、宇宙を図解する上でも、いきおい太陽系重視になったのかなあ…というふうに想像します(ぜんぜん的外れかもしれませんが)。

>虫食い

凝ったファクシミリ版だと、虫食い穴や破れも、物理的に再現してあるらしいので、そこまでいけば、いかに高精細の画像といえど、容易に太刀打ちできないかもしれませんね。

_ S.U ― 2013年02月21日 07時58分47秒

>太陽系の図
 お説から愚考するに、当時は、太陽系宇宙に宇宙に関する何か過大な役割を担わせていたのかもしれませんね。ケプラーの多面体や音楽と同じようなノリなのかもしれないです。また、いずれ、図を分析してみたいのですが、これはラテン語が読めないと話にならないのでしょうか。手っ取り早いセラリウスの訳本やら解説書があれば、またご紹介下さい。トーマス・ライト、ハーシェルとつなげれば、ハーシェルのつぶしにもなるかもです。

 科学理論の本に図が多いと「研究が進んでいる」、と見るのは誤解であるということを思いつきましたが、その関連で、江戸時代の和算家が西洋の数学書に図が少ないことから、「西洋では日本ほど数学が進んでいない」というとんでもない誤解をしたことが思い合わされます。本当は、西洋では数学の抽象化がより進んでいたわけなのですが、テキストが読めなかったのですから仕方がありません。いずれにしても、図が多いことは、その時代の研究者が難問に情熱を持って多面的に取り組んだことを意味するものですから、何ら低い評価を与えるべきものではありません。

>虫食い穴や破れも、物理的に再現
 おぉ、そこまでせにゃならんもんですか。
フェルマーの書き込み入りディオファントスの『算術』のファクシミリ版とかだったら売れそうです。

_ ちるちる ― 2013年02月21日 10時40分08秒

ここにご質問するのは違うのかもしれませんが、私は今ジョバンニが時計屋でみた星座早見の方にとても興味があるのですが、以前
記事でイタリア製の古い星座早見が最有力候補と書いておられたものの画像にたぶんイタリア語なのでしょうが、「QUALI STELLE VEDI QUESTA SERA」とあるように見えますが、画像は借用されたということで
正確にはお分かりになられないかもしれませんが、何と書かれていたか
お分かりですか?もしご存じでしたら教えていただけませんか?よろしくおねがいします。どこにご質問すべきかよく分からずにここにさせていただきました。

_ 玉青 ― 2013年02月21日 22時07分44秒

○S.Uさま

取り急ぎ、ハーシェルつぶしのご参考として…。
『大宇宙の調和』に関して、英文(英独仏併記)では、下記の本が各図の詳細な解説を載せているようです。高さ50センチを優に超える、これまた巨大な本ですが、原本の体裁そのままではないので、これは狭義のファクシミリ版には当たらないのでしょう。それにしても、この巨大な本を4,719円、しかも送料無料で販売しているアマゾンは太っ腹だと思いました。

http://www.amazon.co.jp/Andreas-Cellarius-Harmonia-Macrocosmica-Heavens/dp/3836535971/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1361451421&sr=8-1

○ちるちるさま

例の画像(http://mononoke.asablo.jp/blog/2011/12/22/6256527)を拡大してみると、どうやら「QUALI STELLE VEDO QUESTA SERA?」と読めます。イタリア語はさっぱりですが、グーグル先生曰く「今宵見える星空は?」という意味のようです。

_ S.U ― 2013年02月22日 07時04分47秒

おぉ、何かと参考になりそうな本ですね。こりゃ注文ですね。でも本棚に入らないですね。

_ ちるちる ― 2013年02月22日 10時55分26秒

ご回答ありがとうございました!同時進行で他でも質問させて頂いたら「QUALI STELLE VEDI QUESTA SERA?」で訳は同じでした。
それにしても、ジョバンニの見た星図・星座早見についてこんなに厳密に考えている方がいるとは思いませんでした。私は趣味で宮沢賢治の童話のイラストを描いているので調べていたのですが、つきつめると時計屋のショーウインドーの絵が一生終わりそうにないので、ある程度で妥協して進めようとは思ってますが…。ご考察がんばって下さい!

_ ちるちる ― 2013年02月22日 11時44分31秒

何度もすみません。「QUALI STELLE VEDI QUESTA SERA」ですが、画像だと「VEDI」はどう見ても「VEDO」に見えますよね。他で質問したときに訳は同じと申しましたが「VEDI」で「?」抜きで「今晩見える星」ということでしたので、疑問型だと「VEDO」に変わるのかな???私もイタリア語はさっぱりですが、一応ご報告を。とにかくありがとうございました。

_ ちるちる ― 2013年02月22日 15時48分49秒

本当に何度もすみませんが、再び同時進行で質問をだしたところ
「英語では動詞の倒置や一般動詞へのDoの変形をもってくることと文の末尾に?マークで疑問を表しますが、イタリア語は会話なら抑揚、書いたものなら?マークを付加するだけです。
最初のお質問には?が付いてなかったのでそのような訳となりました。
Vedi は 君が見る、Vedo は私が見る、と言う意味での動詞の活用です」
とのことです。やっぱり一応ご報告致します。

_ 玉青 ― 2013年02月22日 22時15分21秒

>宮沢賢治の童話のイラストを描いているので調べていた

なるほど、それで!
ちるちるさんの素敵な世界が早く完成することをお祈りしています。

ところで"VEDO"と"VEDI"についてお知らせいただきありがとうございました。
となると、やっぱりVEDOでよさそうですね。直訳すれば、「今夜私が見るのはどんな星?」の意味でしょうか。(VEDIならば「今夜あなたが見るのはどんな星?」になりますが、まあ、意味は大同小異ですね。)

_ ちるちる ― 2013年02月23日 12時00分49秒

玉青さま
励ましありがとうございます。やはり画像を再確認したら「VEDO」にみえますね。たまたま、単純に見間違えた「VEDI」も正しい文として成立したのですね~。ではでは。

_ S.U ― 2013年02月24日 06時52分07秒

ご紹介の三カ国語版セラリウスを入手して読み始めました。価格は原価割れかと驚くほどの立派な本です。解説内容も一般の「真面目な」天文愛好家を対象にしたレトリックを用いない平易なもので勉強のために通読してみたいという気になりました(あくまでも最初の数ページを読んだ範囲でですが)。
 これは、天文図の歴史の解説本であって、原著の訳本ではないようです。でも、原著の多くの図自体も当時までの天文観をまとめたものらしいですので、図の意味の研究には支障ないでしょう。世の図書館に1冊ずつお薦めいたしたい本だと思います。ご紹介ありがとうございました。

_ 玉青 ― 2013年02月24日 08時43分38秒

S.Uさんのお役に立てたのであれば幸いです。(^J^)

>原価割れ

おそらくそうだと思います。
記憶があいまいですが、数年前は同じ本が4~5倍の値段で売られていた覚えがあります。在庫処分を急いでいるとか、何か版元に特殊な事情があるのかもしれません。何にせよお買い得品であることは間違いないところでしょう。

何らかの形で「ツブシ」の成果をお示しいただくことを楽しみにしています。

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