続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(8)2013年05月04日 08時55分10秒


(昨日の記事に出てきた、シャトー・ドワロンの展示風景。↑はバハマ生まれの作家、Ian Hamilton Finlay による、写真・シルクスクリーン・バラの植え込み・養蜂巣箱から成るインスタレーション作品。この城館で追求されているのは、理科室趣味とは異なる「驚異の部屋」らしい。)

昨日のダイオンの発言から、1990年代に世界のあちこちでヴンダーカンマーの再評価が、おもにアートの文脈でなされはじめたこと、東大に拠った西野氏の試みは、極東の孤独な営みではなく、こうした世界的な動きの中に位置づけられるべきことが見えてきました。

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ダイオンの言葉をさらに続けます。

 「僕は1990年代の初期から、ルネッサンス期のコレクション、つまり驚異の部屋(Cabinet of Curiosities)をなぞることに心を奪われ、知識を可視化した領域としての博物学の歴史を調べ出したんだ。そして、世界の構造に関する理論として、ヴンダーカンマーのロジックが持ついろいろな側面を取り入れた作品を作り始めた。たとえば、ソンスベーク’93〔註:オランダ・アルンヘムで行われた美術展〕の出品作とか、あるいは「Scala Naturae(存在の階梯)」と題した、アリストテレスの宇宙論や階層的な分類学を、立体作品の形でパロディ化することを狙ったものとか。」 (前掲書p.31)

(Mark Dion, "Scala Naturae," 1994.
 出典:http://www.art21.org/images/mark-dion/scala-naturae-1994

 「驚異の部屋をめぐる僕の作品は、言うなれば静物画、つまり文字通りのコレクションというよりは、啓蒙期以前のコレクションの似姿(representations)に近いのかもしれない。明らかに、僕が目指しているのは何か特定のコレクションを再生することではないし、百科全書的収集の背後にある精神を追求しようというわけでもない。僕のアプローチは決して純粋でも、正確でも、断固たるものでもないんだ。僕は過去の再演者ではないし、ノスタルジックでもない。」 (同p.38)

この辺がダイオンの立ち位置なのでしょう。
彼はたしかにヴンダーカンマーを面白がってはいますが、ヴンダーカンマーそのものを、厳密に再現することを目指しているわけではなく、それはあくまでも1つの表現手段に過ぎません。では何を表現しているのかといえば、それは世界と世界に関する知識であり、要は、ヒトと宇宙の関係ということでしょう。そこにノスタルジーが入り込む余地は少ない。

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さらにダイオンの場合は、そこで素材として使われる古い剥製や標本、器械類は、象徴的に使われているだけで、原理的には他のモノでも代替可能であり、モノそのものへのこだわりはゼロです。質感さえクリアできれば、フェイクでもOKで、彼はむしろ意図的に、樹脂製の「ホットドックの化石」のような自作フェイクを展示に紛れ込ませたりもします。こうしたモノへのこだわりの有無が、たぶん西野氏との大きな分水嶺だと思います。

西野氏は、ミクロコスモグラフィア展の図録の中で、「暴論との誹りを覚悟であえてこのように言おう、世の中にはモノを集めるのが好きな人とそうでない人のふた通りしかいない、と。もちろんかく言うわたしは前者に属する。」と言い切っています。
そして、同展について語った著書、『ミクロコスモグラフィア―マーク・ダイオンの驚異の部屋 講義録』(平凡社、2004)では、徹頭徹尾、モノの来歴・背景・価値に関する「モノがたり」に終始し、ダイオンと鮮やかな対照を見せています。
(たぶん、西野氏は驚異の部屋にノスタルジーを重ねることに、より寛容なのではないでしょうか。)

ダイオンは西野氏のそうした思いをよく理解し、当時、両者の間には一種の黙契が成り立っていました。

 「ミクロコスモグラフィア展(2002)は、大学の物質文化(material culture)の保存を訴える西野博士のキャンペーンを大いに助けた点で、一種の政治的機能も果たしたね。彼の博物館のコレクションの基礎は、彼が自らの手で文字通り大学のゴミ箱から引っ張り出してきたものさ。彼は今、毎週自分の学生たちをゴミ探しに遣って、無関心で無知な学部がどんなお宝を廃棄しようとしているのか調べさせている。僕は文化財保存推進の広告塔として使われることに喜んで甘んじたよ。 (同p.38)

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書いているうちに、だんだん泥沼から浮上して、西野氏の営みの何たるかがちょっと分かってきたような気がします(あくまでも個人的にですが)。

(そろそろまとめに入りつつ、この項もう少し続く)