未来を生きるボクたち、ワタシたち2013年05月05日 05時33分28秒

驚異の部屋についての話題が続いていますが、ちょっと箸休め。
「天文古玩」とは全然関係ありませんが、黄金週間特別篇として。

   ★

「時の流れ」の謎は、人類にとってこれからも永遠に謎であり続けるでしょうが、最近、過去・現在・未来の不思議さを、ふと感じる出来事がありました。

先日、わけもなく大友克洋さんの「AKIRA」を無性に見たくなって、YouTubeで探したら、英語版がアップされていたので、ボーっと眺めていました。そして作品の舞台が2019年と知って、ハッとしました。20世紀に、リアルタイムで連載を読んでいたころ、2019年はずいぶん遠い未来でしたが、いつのまにか6年後に迫っていて、「自分は今、たしかに“未来”を生きているのだなあ」と、しみじみ思ったのでした。

(ネオ東京の街並みを疾駆する金田と鉄雄)

で、他の作品はどうかと思って、自分が子供の頃、あるいは息子が子供の頃一緒に見た作品を中心に、何やかんや調べてみました。(たぶん、こういうことに関しては、どこかに物凄く詳しいページがあると思うのですが、すぐには見つかりませんでした。もしご存知でしたら、お教えください。)

【付記】 記事をアップしてから、息子に円道祥之(著)『空想歴史読本』(メディアファクトリー)という本の存在を教えられました。この話題に関心を持つ人は、少なくない様子。ただ、データが増えても、下に述べる感想は変わらないですね。

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創作世界の「未来」年表
(作品の中でも時間経過があるので、年次を1つに決められない作品もあります。以下は物語のスタート時点を基準にしました。なお、年代には一部異説もあります。いずれもネット上のチラ見情報なので、間違いもあると思いますが、一応ご参考までに。)

1975年  初代ウルトラマンの舞台
1987年  ウルトラセブンの舞台
199X年  北斗の拳の舞台
1998年  機動警察パトレイバーの舞台
2003年  鉄腕アトム誕生
2005年  勇者王ガオガイガーの舞台
2009年  超時空要塞マクロスの舞台(1999年、異星人の巨大宇宙船が落下)
2010年  映画ロボコップの舞台
2015年  新世紀エヴァンゲリオンの舞台(2000年、セカンドインパクト)
2018年  映画ターミネーターで、ジョン・コナーを中心に人類と機械が戦っている時代
2019年  AKIRAの舞台(1982年、新型爆弾で東京が崩壊)
202X年  電脳コイルの舞台
2028年  未来少年コナンの舞台(2008年の最終戦争から20年後)
2029年  攻殻機動隊の舞台
       (ただし、最初から現実と異なるパラレルワールドという設定)
2065年  サンダーバードの舞台(2026年とする設定もあり)
2112年  ドラえもん誕生
2122年  漂流教室(小説版)の舞台(漫画版ではもっと近い未来だったような…)
2122年  エイリアン第1作の舞台
2155年  火の鳥生命編(クローン人間を使った殺人番組作りが企画され…という話)
2199年  映画マトリックスの舞台
2199年  宇宙戦艦ヤマトの舞台
2221年  銀河鉄道999(TVアニメ版)の舞台
2221年  宇宙海賊キャプテンハーロック(TVアニメ版)の舞台(漫画版では2977年)
2264年  スタートレック初回シリーズ(宇宙大作戦)の舞台
2482年  火の鳥復活編(人造細胞を使って復活した主人公が、ロボットを人間と
       誤認識し、愛するロボットと駆け落ちして…という話)
2577年 火の鳥宇宙編(ベテルギウス第3惑星から地球に向かう宇宙船内で
       操縦者が自殺してしまい…という話)
30世紀 スーパージェッターの元の時代
3404年 火の鳥未来編(この頃、人類は世界5か所の地下都市で細々と
       生き延びているが、やがて核戦争で絶滅)
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あの頃の「未来」を、すでに追い越してしまったものも多くて、なんだか妙な気分です。
まあ、思ったより繁栄も、荒廃もしてないなあ…というのが素朴な感想ですが、これはむしろ人間の想像力について何かを物語るものでしょう。

結局、あの当時の「未来」は何一つ実現することなく、すでに「過去」になってしまいました。でも、それは「過去」でありながら、「未だ来らざるもの」という意味で、依然「未来」のような気もします。それに、あの当時の自分にとって、<現実世界の未来>と、<創作世界の未来>は、いずれも「現に存在しないもの」という意味で仮構的な世界でしたが、一方はこうして現実化し、他方は想念の中だけにとどまっている。当たり前のことですが、それも不思議といえば不思議です。

10年後、20年後に、この記事を読み返したら、また別の感慨を抱くかもしれません。