A Dreamy Blue Night2017年06月02日 21時19分27秒



机の上に置かれた絵葉書の向うに広がる青い夜景。
白亜のドームと見渡す限りの光の海。


ドームの前を行き交う車が残した光曳。

   ★

1935年にオープンした、ロサンゼルスのグリフィス天文台
ご覧のように都市の真ん中にある天文台ですから、星を眺めるには不適で、「天文台」とは名乗っていても、ここはプラネタリウムがメインの観光天文台です。

それにしても、この夢のような光景を見ると、「夜空の星も美しいが、地上の星もまた美しい」と、単純素朴に思います。

この絵葉書、ごく最近の景色のようにも見えますが、実際には1950年代のものですから、同時代の日本のことを振り返ると、当時のアメリカが世界に見せつけた、圧倒的な豊かさを感じないわけにはいきません。

   ★

言うまでもなく、「アメリカの夢」には、多くの光と影がありました。
今、「夢醒めてのち」、「宴のあと」を生きる人々の心情を思いやると、そこにはまたいろいろな感慨が浮かびます。

―それでも、やっぱりこれは美しい光景に違いないと、再度絵葉書を見て思います。

コメント

_ S.U ― 2017年06月03日 06時22分48秒

もし、1950年代に日本人が日本の地でこの絵はがきを見たならば、彼此の圧倒的なあらゆる点での豊かさの差を実感したでしょうね。ちょっと自虐的にその時代を感じてみたいような気もします。

 私が、アメリカの夢の圧倒的な豊かさを感じたのは、ほかならぬ1969年のアポロ11号の打ち上げの中継でした。月へ人間が初めて着陸するというのは当時小学生だった私にも一種無謀な冒険のように思われましたが、3人の宇宙飛行士と何万人もの優秀な技術者スタッフがサターンV型ロケットのシステムに全幅の信頼をおいて働いていることに圧倒されました。日本とはケタ違いでこれはとてもかなわないと思いました。

 その後、ほどなく当時のアメリカは決して盤石ではなかったということがわかりました。私にとって、サターンV型に抱いたイメージを打ち消してしまった印象的な出来事は、1975年のサイゴン陥落と、1980年代に予定していたハレー彗星探査機を断念してしまったことです。日本人の誰もが似たようなアメリカのイメージの変化の記憶をもっているものと思いますが、そのエポックメーキングが事件が各人にとって何であったかちょっと興味があります。

_ 玉青 ― 2017年06月03日 17時02分14秒

1970年代(自分の小中学生時代)のことを思い出すと、アメリカは訳が分からない国でしたね。ベトナム戦争の報道に接し、最初からアメリカにはダーティなイメージがあったのですが、それと陽気な「セサミストリート」の世界は、なかなか結び付きませんでした。長ずるに及んで、映画の「イージーライダー」や「タクシードライバー」を観て、当時のアメリカ社会が抱えていた混迷を知ることになりますが、子ども時代の自分には理解すべくもありません。

かなり後のことになりますが、非常な衝撃を受けたのは、名古屋の服部剛丈君射殺事件です。あのとき感じたうすら寒い印象は、今もよく覚えています。

_ S.U ― 2017年06月03日 21時50分14秒

アメリカの没落のイメージのきっかけは、人により時代により共通しているようで微妙にシフトしているのですね。いっぽう、圧倒的な物量で全幅の信頼がおけた豊かなアメリカのイメージは、1970年代以降にはもうなかったということでしょうか。

_ 玉青 ― 2017年06月04日 10時15分07秒

アメリカのイメージといえば、「絶対勝てない、けた外れに強い大リーグ」みたいなイメージが、昔はありましたよね。「巨人の星」も「アストロ球団」も、それがなければ成り立たない世界観といいますか。実際、実力差も大きかったのでしょうが、小山のようなガイジン選手が「異次元の存在」として日本人を圧倒していたあの時代。

まあ、力道山や日米対抗ローラーゲームに熱中したのも、ゼロ戦を神格化したのも、要は「勝てないはずの相手」をきりきり舞いさせる痛快さという点で、大リーグ信仰と同じメンタリティなのでしょう。何だかいじましい気もしますが、でも対米従属論の強い今の日本も、根っこは全然変わってないかもしれませんね。そして、その呪縛を解き放つ者こそ、アメリカの「ダメな部分」をオーバーアクションで見せてくれるトランプ氏なのかも。

_ ふーさん ― 2017年06月04日 14時06分39秒

1991年のメキシコ皆既日食のとき、このグリフィスにも行きましたよ。パロマの5m鏡のカセグレンの真ん中のくり抜いたあとの芯材が飾ってあります。カセグレンの穴と言っても、巨大だった記憶があります。

振り返れば、あの有名なハリウッドの看板の山が見えます。

そのあとブログでも書いていますが、パロマ天文台に行きました。
私が小学校の頃に買った天文雑誌で、銀色に輝く40mドームの写真がありましたが、1991年には白色でした。

あのドームを目の前にして、「よく、こんな国と戦争したものだ」実感でした。
日本が竹槍で訓練していたころ、こんな巨大な建造物を作っていたのか?それが360度廻る訳ですから。
まあ、日本も戦艦大和なんか作っていましたが・・

ふーさんが生まれた翌年に完成しています。

球体というのは、5m変われば倍のような感じがします。
大阪の旧電気科学館のプラネドームが18m 明石が20m 大阪市立科学館が25m名古屋が30m

名古屋は超巨大に感じました。

_ S.U ― 2017年06月04日 15時11分58秒

「巨人の星」と「トランプ大統領」がうまくつながりましたね。

 プロスポーツでもオリンピックでも、かつて日本人がアメリカをはじめとした西洋列強と対戦する時は、西洋が勝つ時はたいてい圧倒的な差で日本が敗れるのですが、日本が勝つ時はいつも接戦で、西洋人がねばられてミスをして日本が勝つパターンが多かったので、日本の観戦者はあたかも、圧倒的に不利な相手に果敢に挑んで精神力で勝ったような印象を受けたのではないかと思います。もちろん、時々でも日本が勝ったというのは、実力も精神力もそれなりにあったわけですが、大和魂のようなものを持ち出すのはちょっとストーリーの作り過ぎだったのではないでしょうか。
 まあA級の国際試合なら、どこの国の選手でも勇気を持って果敢に挑むのが当然で、当時のアメリカやソ連の選手も、まさかマンガのように日本人などちゃんちゃら簡単にひねり潰してくれよう、などとは思っていなかったでしょうし、接戦でねばられたらそりゃミスもでるでしょう。
 今では、日本人が西洋人相手にぜんぜん動じずに圧勝することも珍しくなくなって、ライバルに西洋はなくアジア同士のトップ争いという場合も多いので、上のようなイメージは若い人には無縁ではないかと思います。

 中学校の地理で学んだアメリカの豊かな工業地帯、デトロイト、ピッツバーグ、シカゴと聞くと、労働者も資本家も、技術者もちょっと危なそうな男の人たちも、みんなそれぞれ不夜城と化した市街に進んで行くというユートピア的なイメージがあって、トランプ大統領に共感も感じていたのですが、あのおっさんそのへんのことは何もしてくれてないようですなぁ。

_ 玉青 ― 2017年06月05日 22時47分15秒

○ふーさん

パロマ天文台と戦艦大和。―これはもう勝負あった感じですね。
上の話の流れとは一寸異なりますが、パロマに代表されるものこそ、当時のアメリカの美質というか、立派な点で、「これはやっぱり勝てんなあ」と思わせるものがあります。彼我の差は単なる物量の差だけではなかったのかも…。(仮に当時の日本にパロマを作る資金があったとしても、もう1隻戦艦を作って終わっていたでしょう。)

○S.Uさん

>精神力…大和魂

あはは、本当ですね。辛勝は別に恥ずべきことでもなく、誇って良いとは思いますが、ただ少なくとも大勝ではないのですから、そこは謙虚であるべきですよね。しかし「辛勝こそ精神力の賜物なり」と持て囃す倒錯した論が出てくると、大いに用心せねばならんと思います。

ときに、話を横滑りさせますが、私は「大和魂」と聞くと、中勘助の『銀の匙』の1シーンをすぐに思い出します。『銀の匙』は作者のほぼ実体験と思いますが、文中、日清戦争当時の世間の熱狂ぶりを伝え、小学生である主人公がそれに反発して、担任の先生に食ってかかる場面を描きます。
(以下、青空文庫よりhttp://www.aozora.gr.jp/cards/001799/files/56638_61335.html)

------------------------------------------------------------------
「先生、日本人に大和魂があれば支那人には支那魂があるでせう。日本に加藤清正や北条時宗がゐれば支那にだつて関羽や張飛がゐるぢやありませんか。それに先生はいつかも謙信が信玄に塩を贈つた話をして敵を憐むのが武士道だなんて教へておきながらなんだつてそんなに支那人の悪口ばかしいふんです」
 そんなことをいつて平生のむしやくしやをひと思ひにぶちまけてやつたら先生はむづかしい顔をしてたがややあつて
「□□さんは大和魂がない」
といつた。私はこめかみにぴりぴりと癇癪筋のたつのをおぼえたがその大和魂をとりだしてみせることもできないのでそのまま顔を赤くして黙つてしまつた。
------------------------------------------------------------------

主人公の啖呵は胸がすくようですが、しかしそれに続く先生の反応を読むと、後の太平洋戦争の頃の「非国民」や、今の「反日」と驚くほど似ていますね。こういう愚かしさを超克することがいかに難しいかを知りますが、同時に、「でも、それは愚かなことだよ」と、これからも絶えず言い続けねばならないと思います。

_ S.U ― 2017年06月06日 07時52分02秒

>『銀の匙』~主人公
 私は、この物語を最初に読んだ時、ずいぶん古い時代の話だなぁと感じたのですが、実は主人公の感性が純粋だったがゆえにそのように感じたのだと思います。また読んで見たいです。

 国家間の本格的な戦争は総力戦で「勝つことがすべて」ですから、そもそも大和魂も武士道もないです。こういうのは完全に国内向けのメッセージですね。
 北条時宗と言えば、モンゴル軍が攻めてきた時に、日本の大将が一人前に出て名乗りを上げはじめるやいなや敵軍が飛び道具を投げかけてきたという、歴史授業常番のエピソードがありましたが、こういうのは戦前はどう教えていたのでしょうか。モンゴル兵は武士道を知らん、といって非難してみても、武士道ははじめから日本特有の美徳と言っていたのだから非難はあたらず、名乗りはカッコいいですが非があるのは日本側でどうしようもないです。

_ 玉青 ― 2017年06月07日 07時03分51秒

S.Uさんもお読みになられましたか。
私は『銀の匙』が大好きで、これまで繰り返し読みました。
浅薄な大和魂はご免蒙るにしても、明治の世を何となく懐かしく感じるのは、『銀の匙』の影響が大きいのでしょう。

_ S.U ― 2017年06月07日 18時58分04秒

明治の世の良さを感じるのは『銀の匙』と、抱影の自伝物あたりが私には双璧です。漱石の初期の作品も愛読書ですが、同時代なのにだいぶ感じが違います。

 と思って、ここで、(話がエンドレスになってすみません)「吾輩は猫」の主人に「大和魂」を揶揄する詩作があったのを思い出しました。日露戦争の頃は大和魂を怪しいと思っていた人もまだまだあったみたいです。でも「こころ」では乃木大将の殉死に注目しそれに動揺する人が描かれてます。

 漱石に限らず、明治の世では時代の勝手な変化に苦労した人が多かったようです。それはそれとして、その後あれだけの戦禍を経て、現代人が明治人と同じ事で苦しんでいるとしたら、それこそこれほどご先祖様に申し訳ないことはないのではないかと思います。

 話が1950年代のアメリカからだいぶ遠くに来てしまいましたが、まあ一事が万事そういうことです(笑)。

_ 玉青 ― 2017年06月08日 21時39分31秒

あはは。
まあ、そういうことです。(^J^)

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック