グランヴィル 『Les Étoiles』2024年08月31日 10時01分01秒

オリンピックに続き、パラリンピックがパリで始まりました。
今日はパリにちなむ話。

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西洋古書愛好家には、「19世紀フランス挿絵本」というジャンルが耳に親しいと思います。これはひとえにフランス文学者の鹿島茂氏が、古書エッセイでせっせと宣伝に努めたおかげだと思いますが、このジャンルの巨魁に、グランヴィル(J.J. Grandville、1803-1847)という挿絵画家がいます。

彼の風刺のきいた奇抜な挿絵は評判を呼び、いわゆる挿絵画家、すなわち文章に合わせて絵を描くのではなく、彼の絵に作家が文章を当てた著作が出るほどで、こうなるともう「挿絵画家」というより、単なる「画家」ですね。しかし、盛名をはせたグランヴィルも時流と運命には逆らえず、妻に先立たれ、次々と子を喪い、病を得た末に、最期は救貧院で息を引き取りました。

グランヴィルの死後、彼の遺作である「星に変身した女性」という11枚の連作に、Méryという人が文章を添えて出版されたのが、『Les Étoiles (レ・ゼトワール、‘星々’の意)』(1849)です。ただし、それだけだとボリューム不足ということで、こうして出来上がった「第1部: レ・ゼトワール、最後の妖精物語」に、フェリックス伯爵夫人が著した占星術入門書に、グランヴィルとは別人が挿絵を描いた「第2部: 貴婦人の占星術」というのを抱き合わせにして、無理やり一冊にしたのが、『Les Étoiles』でした。

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…というのは、鹿島氏の『愛書狂』(角川春樹事務所、1998)の受け売りで、私もそう信じていましたが、ここには誤解があって、『Les Étoiles』の第2部は、占星術入門書ではなく、「貴婦人の天文学(Astronomie des Dames)」という、太陽系の諸天体や星座を解説する普通の天文入門書です(最後に「貴婦人の気象学(Météorologie des Dames)」という章が続きます)。

(「貴婦人の天文学」より。挿絵画家の名は表示がなく不明。天文学史の本で折々目にする、結構有名な絵ですが、その出典が 『Les Étoiles』です)

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『Les Étoiles』は印刷部数が少なかったせいで、グランヴィルの諸作品の中でも集めにくいものの代表で、鹿島氏もパリ在住中は、なかなか出会えなかったといいます。もちろん今は古書検索サイトのおかげで、状況が劇的に変わりましたが、結構なお値段であることは変わりません。試みにAbeBooksを見たら、現在の出物は11点、お値段はドル建てで627ドルから7,500ドルまでとなっていました。

(美しいカルトナージュ・ロマンチック装の一冊。価格は4,025ユーロ、日本円で64万6千円也)。

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星に関わる本ということで、私も13年前に奮発して1冊買いました。


ただし、ウン十万円というような買物ではなく、当時のレートで約1万3千円でした。これは背革装のぱっとしない本であることに加えて、冒頭のグランヴィルの肖像とタイトルページが欠けているという、決定的な「傷」があったからです。

(羊飼いの星)

(美しい星)

しかし、それ以外の13枚の図版はすべて含まれているので、確かに本としては傷物ですが、グランヴィルのオリジナル版画が1枚1000円で手に入ると考えれば、リーズナブルな買い物だともいえます。この辺はいろいろな価値基準が交錯するところでしょう。

(夕暮れの星)

(悪い星)

再び鹿島氏の『愛書狂』より。

 「〔…〕グランヴィルは『フルール・アニメ』を書き上げたあと、「私はこれまであまりに長いあいだ地上のほうにばかり目を向けてきた。だから、今度は天のほうを眺めてみたい」と二度目の妻に語っていたからである。あるいは、グランヴィルは『もうひとつの世界』でフーリエの宇宙観を絵解きしたことがあるので、人間の魂は地球に八万年住んだあと、今度は地球の魂に引き連れられてほかの惑星に移住するというフーリエの思想に影響をうけたのかもしれない。死期が近づくにつれて、星々が、自分よりもさきにみまかった先妻やその子供たちの住む場所に思えてきたという可能性は十分にある。なかでも、「悪い星」「ある惑星とその衛星」と題された絵は、グランヴィルを見舞った家庭の不幸の絵解きのような気がしてならない。」(p.127)

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この本を売ってくれたのはパリ16区の古書店で、先ほど見たら今も盛業中でした。ただし、名物店主氏は、昨年8月に星界に召された由。まさに諸行無常、万物流転。