若き日のパリ天文台2022年09月23日 09時53分41秒

パリ天文台を主役に据えて、話を続けます。

(版面サイズ19×28cm)

1690年制作の銅版画なので、1667年のオープンから23年後。
御年355歳になるパリ天文台の、まさに青年時代の絵姿です。

パリ天文台の屋上にドームが載ったのは、19世紀半ば、正確には1847年のことで、その歴史はドームの有無でほぼ折半されます。もちろん、この絵はドームがない時代のものです。

作者のアダム・ペレル(Adam Pérelle、1640-1695)は、その父親や弟とともにパリで図案家・版画家として名を成した人。いずれも風景や建物の絵をよくし、全部で1300点の作品が一家の手になるものとされます。さらに「王室御用版画家」の称号を許され、高位の人々に絵の手ほどきをするなど、社会的にも栄達を遂げました。

…というのは、例によってwikipediaからの安易な引用ですが、ペレルはそういう立場の人でしたから、天文台の敷地に入ってスケッチすることも許されたでしょうし、この絵は当時のかなり正確な描写だと思います。

とはいっても、昼日中に星を観測することはないし、これほど多くの人が同時に作業を進めたとも思えないので、この絵は何枚かのスケッチを合成して1枚の絵にまとめた、いわゆる「異時同図法」でしょう。

そういう目で仔細に見ると、その細密な描写に思わず惹き込まれます。


屋上で熱心に望遠鏡?を覗く人々。


地上では天球儀(アーミラリースフィア)を脇に、何やら盛んに書き物をしています。これは屋内作業を、屋外の景に置き換えたのかもしれません。瘠せ犬を追っ払う姿がユーモラス。


こちらは滑車で操作する、長焦点望遠鏡の調整作業でしょうか。


大型四分儀による星の位置測定。
パリ天文台は同時代の他の天文台と同様、星の厳密な位置測定を重ねて、それを天測航法に生かそうという「航海天文学」の研究拠点でしたから、これこそが天文台の本務といえるものです。

   ★

忙しく立ち働く300年前の天文学者や技術者たち。
その姿を見ていると、観測装置こそ素朴なものでしたが、彼らもまた現代と同様、持てる力を尽くして、天界の秘密に挑んでいたことが、無言のうちに伝わってきます。

   ★

この機会に一言釈明しておくと、このブログに掲載する写真は、しばしば右上に影が入りがちです。これは下のような狭苦しいところで写真を撮っているためで、いかにも見苦しいのですが、環境のしからしむるところ如何ともしがたいです。


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