「うーむ…」と思ったこと2023年06月14日 19時06分12秒

話を蒸し返しますが、プラネタリウム100周年を話題にしたとき、改めてプラネタリウム関連の品をいろいろ探していました。そこで見つけたうちのひとつが、「カール・ツァイス創立125周年」を記念して、1971年に当時の東ドイツで発行された切手です。

でも、現物が届いてじーっと見ているうちに、「あれ?」と思いました。
何だかすでに持っているような気がしたからです。


ストックブックを開いたら、たしかに同じものがありました。
すでに持っているのに気づかず、同じものを買ってしまうというのは、日常わりとあることですが、それはたいてい不注意の為せるわざです。

今回、自分が日頃気合を入れている趣味の領域でも、それが生じたということで、「うーむ…」と思いました。モノが増えたということもあるし、自分が衰えたということもあるんですが、いずれにしても、これは自分の所蔵品を自分の脳でうまく管理できなくなっていることの現れで、これはやっぱり「うーむ…」なのです。


切手に罪はなく、52年前の切手は変わらず色鮮やかで、そのことがまた「うーむ…」です。まあ、今後こういうことがだんだん増えていくんでしょうね。

世界を青色に染める2023年06月16日 06時28分01秒

カール・ツァイスにちなんで、ちょっと素敵だなと思った品。
ツァイス傘下のカメラメーカー「ツァイス・イコン」製、27ミリ径カメラレンズ用青色フィルターです。


銀の枠にはめ込まれた青いガラス。
あのツァイスの光学パーツか…と思って眺めると、いっそう美しいものに感じられます。

これはカメラ用レンズフィルターですが、これをわれわれ自身の光学系――水気の多い透明なたんぱく質を素材とする水晶体と硝子体――の前に置くこともできます。たったそれだけのことで、この世界は青一色に染まり、われわれはいつだって深い水底に身を潜めることができるのです。


この外箱の表情がまたいいですね。


この素朴なヴィンテージ感と、ブルーフィルターの鋭角的な美の組み合わせに、曰く言い難い魅力を感じます。

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カール・ツァイスは戦後のドイツ分断で東西に別れましたが、子会社のツァイス・イコンも同様の運命をたどり、この品は「西側」のツァイス・イコン(シュトゥットガルト)製です。


小さな青ガラスの向こうに、大きな歴史ドラマも透けて見えるような気がします。

クリスタル・カメラ2023年06月17日 07時21分59秒

銀塩カメラの中核をなすのは、レンズとフィルムです。
レンズはもちろんガラス製で、フィルムの基材も昔はガラスでした。
かつてカメラの枢要部は、すべてガラスで出来ていたわけです。

でも、文字通り「ガラスのカメラ」があったとしたら?


緻密で透明なクリスタルガラスでできたカメラのオブジェを見つけました。
ドイツのローライ社が1950~60年代に売り出した二眼レフ「ローライフレックス2.8」をモデルに、4/5サイスで再現したものです。

(ローライフレックス2.8。ウィキペディアより)


(側面)

オブジェですから写真が撮れるわけではないし、実用性はゼロなんですが、単なるオブジェにしても、これはなかなか綺麗なオブジェだと思いました。(実用性ゼロとはいえ、ブックエンドやペーパーウェイトとしてなら使えます。)

(レンズはカールツァイス・プラナー)

作ったのはアメリカのFotodiox社で、同社はカメラ機材のサプライヤーですが、これは余技としてギフト商品用に作っているようです。今回はアメリカのAmazonから購入しましたが(日本のアマゾンから買うよりリーズナブルでした)、メーカーサイトからも直接注文できるので、そちらにリンクを張っておきます。

ねこ元気?2023年06月18日 09時21分57秒

先日、Etsyでこんな品を見つけました。


この小さなダンボール箱に商品が入っているのですが、より正確にはこの箱を含む全体が商品で、私はまだ箱を開けかねています。何せ、この「世界一有名な思考実験。シュレディンガーの猫」と書かれた箱を開けた瞬間、この宇宙は二つに分裂してしまうというのですから。


商品写真をお借りすると、箱の中に入っているのは、下に写っている青か赤か、どちらかのピンバッジです。


どちらが入っているかは、注文主である私にも分かりません。
猫が生きているか死んでいるか、箱を開けてみるまで、2つの事象は重ね合わせの状態にあるのです。


この商品を注文する際、さらに興味深いオプションがありました。
2個同時に買うと、「1個は青、もう1個は赤」と、中身を指定できるのです。

もちろん、どちらに何が入っているかは、これまた不明です。
上記の通り、いずれの猫も生死不確定の重ね合わせの状態にあって、ただし一方の箱を開けて猫が生きていれば、もう片方の猫は死んでいることがただちに確定します。これは2つの箱が何光年隔たっていても同様で、その情報は瞬時に伝わります。

これがシュレディンガーの猫と並んで有名な「量子もつれ」の現象で…と、まあ、あまり真面目に受け取ってはいけませんが、一種の比喩としては秀逸で、商品考案者の機知に感心しました。

商品ページはこちら → 

豆カメラ2023年06月19日 06時29分43秒

クラフト・エヴィング商會のおふたりが営々と続けてこられた「架空の商品づくり」。
関連する本は多いですが、その中で『星を賣る店』(平凡社、2014)には、架空のモノと実在のモノが混在していて、両者が一体となってクラフト・エヴィング商會の世界を表現しています(この本は同年開催された、クラフト・エヴィング商會の展覧会図録を兼ねています)。


架空のモノというのは、「星屑膏薬」とか「雲砂糖」とか「バッカスのタロット」とかです。そして実在するモノというのは、「夜光絵具の広告」とか「煙草のピース缶」とか「『星を賣る店』の初版本」とかです。いずれも美しさと幻想性をそなえた「不思議なモノたち」というくくりなのでしょう。

で、架空の商品はどうしようもないんですが、ここに登場する実在の物には、少なからず食指が動きました。それが「星を賣る店」に至る通路のような気がしたからです。中でも大いに心を揺さぶられたのが「豆カメラ」です。


これぞ「オブジェの中のオブジェ」といえるもので、愛らしさとメカメカしさを同時に備えたその表情に惚れ惚れとします。


その流れで見つけたのが、この豆カメラです。
革ケースは幅6cm、カメラ本体だけだと幅5cmちょっとしかありません。


革ケースに捺された「MADE IN OCCUPIED JAPAN(占領下日本製)」の刻印が、その時代と素性を物語っています。

敗戦から1952年(昭和27)の独立にいたるまで、当時の日本はがむしゃらに物を造りましたが、中でも光学製品は当時、有力な輸出品でした(輸出先は主にアメリカです)。豆カメラももちろんその一部で、こちらはさらに進駐軍の兵士相手の土産物としても、大いに売れたらしいです。


豆カメラは数が作られたので、そんなに珍しいものではないと思いますが、これはアメリカからの里帰り品で、革ケースに加えて、外箱と「GRADE C」のラベルも付属しており、一層時代の証人めいて感じられました。


豆カメラは、当時いろいろな中小メーカーが手掛けており、手元のはTOKO(東洋光機)の「Tone(トーン)」という品です。このカメラについては、以下のページに詳しいですが、それによれば作られたのは1949~50年(昭和24~25)だそうです。

■見よう見まねのブログ:東洋光機Toneの調査

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繰り返しますが、このカメラ、とにかく小さいんですよね。


いかにも「ちょこなん」とした感じで、本当におもちゃみたいですが、それでもちゃんとカメラの機能と表情を備えているのが、健気で愛しいです。
この実用と非実用の、そして現実と非現実の間(あわい)を行く感じが、いかにもクラフト・エヴィング商會っぽいです。

夜の太陽2023年06月21日 05時52分22秒

今日は夏至。
夏至の前後は北極圏で白夜となり、真夜中でも沈まぬ太陽が、昔から絵葉書の好画題となっています。

(アラスカにて。1910~20年代の絵葉書)

一種の定番ネタとして、同種の絵葉書は大量にあるんですが、その中でも特色あるものとして、こんな品を見つけました。

「真夜中の太陽の国、ノルウェー」

太陽の日周運動を写し込んだ円形絵葉書です(直径は16cm)。
もちろん古いものではなくて、今から30年ぐらい前のものですが、まあ奇抜は奇抜ですよね。


裏面の住所欄は、まだ関係者が住んでいるとご迷惑でしょうから隠しますが、イギリスに住む両親にあてて、息子さんか娘さんが差し出したもののようです。
「御一同様。北極圏の内側200マイルの地からお便りします。とっても寒いですが、景色は最高です。昨日はトナカイの肉を食べましたよ!ではまた。」…みたいな文章が綴られていて、お父さんお母さんの気持ちになると、ほんわかします。

(絵葉書の撮影データ)

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で、これを見て当たり前のことに気づきました。
白夜というのは、太陽が大地をぐるっと360°一周し、真夜中の太陽はちょうど真北にあるんですね(※)。何を今さら…という話ですが、「真北の太陽」というのがこれまでピンと来てませんでした。

裏返すと、白夜の土地では太陽の方位さえ見れば、即座に時刻が分かるわけです。つまり、土地の人からすると、太陽の位置そのものが時針であり、彼らは巨大な文字盤の中心に立っていることになります。以前、時針のみの24時間時計というのを載せましたが、ちょうどあんな具合です。


時計は太陽の申し子であることを、改めて実感しました。


(※)太陽の南中/北中の時刻は12時かっきりではなく、1年を通じて絶えず変動しており(均時差というやつです)、今の時期だと5分ぐらい後ろにズレますが、ここでは不問にします。

京都、足穂の夕べに向けて2023年06月22日 17時43分36秒

『一千一秒物語』 出版100周年のイベントが明後日に迫りました【LINK】。
(席の方はまだ余裕があると伺いました。ひょっとして当日飛び込みも可?)

私は一オーディエンスとして参加するに過ぎませんが、何か足穂にちなむものがあればご持参ください…と、主催者の方に言われたので、かさばらないものを持っていこうと思います。


まずは「ポケットの中のタルホ世界」である、タルホの匣は欠かせません。
それに様々な時代と国の彗星マッチラベル。
あるいは、足穂本の表紙を飾ったシルクハット男と三日月のモデルかもしれない(もしモデルでないとすれば、その絵柄の一致こそ驚くべきものです)シガーボックスラベル。

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そしてもう一つ、さっき思い付いた「もの」と「こと」があります。

今回のイベントは、あがた森魚さんの音楽や、足穂の貴重なレリクスに接することのできる機会ということで、「聴覚的」あるいは「視覚的足穂像」には事欠きません。そこにさらに「嗅覚的足穂像」を付け加えるというのはどうでしょう?

以前紹介した【LINK】ステッドラー社の菫色のコッピ―鉛筆。
あれを、同じくステッドラーの鉛筆削りでカリカリ削ってみたら?


私もまだ試したことはないんですが、そうすれば、かつて少年・足穂の鼻腔を満たし、そのイマジネーションを刺激した「バヴァリアの香り高い針葉樹の甘い匂い」が馥郁と漂うでしょう。そして御焼香よろしく、参加者の皆さんにも自由に鉛筆を削ってもらったら、その献香の功により、足穂その人がふと会場に姿を見せる可能性だって、なくはないでしょう。

そんなことを夢想しながら、鉛筆と鉛筆削りを筐底に忍ばせていきます。

東と西2023年06月23日 06時15分00秒

一昨日の続きめきますが、太陽が時計代わりになるのは、もちろん地球がくるくる回っているからで、この巨大な時計の心臓部は、太陽ではなく地球の方です。


地球がくるくる回っていることから活躍するのが、こういう「世界時計」
時計とはいっても、これ自体は時を刻まないので、「時刻早見盤」と言ったほうが正確かもしれません。本体は金ぴかで、真新しく見えますが、外箱の古び方と付属のタイプ打ちの説明書の感じから、1970~80年代、いわゆる東西冷戦期の品ではないかと想像します。


盤全体は、時刻を刻印した「蓋」と、各都市の名を記した「身」に別れていて、蓋をくるくる回せば、「東京が(パリが、ニューヨークが…)〇〇時のとき、モスクワは(シドニーは、リオは…)××時だ」と即座に分かる便利グッズです。

まあ、別に珍しくもなんともない品ですが、手元にあると何かと便利で、「さっきニュースで見た町は、今頃夕餉の頃合いか…」とか、いろいろな気づきがあります。


NYやLAやHK(香港)にまじって、一番上の「DL」というのは何だろう?…と思ってよく考えたら、これは地名ではなくて日付変更線(Date Line)の略でした。

ちなみに中央のロゴの文字が読めますか?
何となくフォルクスワーゲンっぽいですが、違います。
最初、私も首をひねりましたが、上下を逆にして眺めると、そこに浮かぶ文字は「AAA」で、これは「アメリカ自動車協会」の記念グッズなのでした(AAAはアメリカのJAFみたいな組織です)。

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上で「東西冷戦」を持ち出したのは、アンカレッジからの連想もあります。
アンカレッジの名を耳にしなくなって久しく、その名に思い入れがあるのは、或る世代まででしょう。

アラスカのアンカレッジ空港は、日本からヨーロッパに飛ぶ際の経由地としてお馴染みでした。冷戦期は、シベリア上空を「西側」の飛行機が飛ぶことができなかったため、遠回りせざるを得なかったからです(南アジア~西アジアを経由する「南回りルート」というのもありました)。

もちろん、子供時代の私が飛行機で世界中を飛び回ってたわけはありませんが、アンカレッジの名は、テレビやラジオを通じて身近でしたから、今でも懐かしく耳に響きます。(でも、アンカレッジは別に廃れたわけではなく、現在も重要な空港都市だそうです。)

金と銀2023年06月24日 06時28分23秒

昨日の金色の世界時計から、似たような姿かたちの星座早見を連想しました。


ただし、こちらはクロームメッキの銀の円盤です(以前の記事にLINK)。


厚みは違いますが(星座早見はガラスがドーム状に大きく盛り上がっています)、それ以外はほぼ同大。


外周の時刻表示を見ると、24時のところが三日月マークになっている点までそっくりです。ただし、金のほうは時計回りに「1、2、3…」、銀の方は反時計回りに「1、2、3…」と数字が振られています。

最初は「これって、実は同じ工場で作られたんじゃないか?」とも思いました。
でも、星座早見盤は2000年代の日本製であり、世界時計の方は、流通した国こそアメリカですが、実は台湾製です(この事実も、この品が東西冷戦期の、つまり中国が「世界の工場」になる前の時代の産物ではないか…と思った理由のひとつです)。
結局、生まれた国も時代も違うので、これはやっぱり他人の空似なのでしょう。

いずれもペーパーウェイトですから、自ずと適当な大きさというのは決まってくるでしょうし、24時間の回転盤を組み込んだ実用品でもあるので、互いにデザインを真似たり、真似されたりしているうちに、似たような姿になることもあるのでしょう。


これが日米台を超えて再会を果たした生き別れの兄弟だったら、もちろん感動的ですし、まったくの他人の空似だとすれば、それはそれで不思議です。プロダクトデザインにも、収斂進化や擬態がある例かもしれません。

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さあ、これから足穂の待つ京都に行ってきます。

六月の夜の都会の空の下で2023年06月25日 21時41分11秒

例の足穂イベントに参加するため、京都に行ってきました。
私は足穂の熱心なファンというわけではありませんが、その作品世界に感化された者として、一人のファンを名乗ってもバチは当たらないでしょう。そして、世間には他にも大勢の足穂ファンがいることを知っており、それらの人々が語る言葉や、足穂に影響された作品を、本や雑誌やネットを通じて、これまで繰り返し見聞きしてきました。

しかし、生身の足穂ファンを私はこれまで見たことがありませんでした。
つまり、眼前で「足穂が好きです」と公言し、足穂について語るような人には、ついぞ出会ったことがないのです。

でも今回京都に行って、生身の足穂ファンが大勢居並ぶ光景に接し、一種名状しがたい感銘を受けました。私にとって、それはすぐれて非現実的・非日常的な光景であり、そのことだけでも、京都に行った甲斐がありました。

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四条烏丸と四条河原町の中間点、富小路通りを少し南に折れたところにある徳正寺さんが、今回の会場です。


京都の古いお寺ですから、当然のごとく坪庭があったりします。
そんな風情ある建物の中で、まずは足穂ゆかりの品々を拝見しました。


左上に掛かっているのは、足穂のあまりにも有名なフレーズ「地上とは思い出ならずや」の短冊。そして右手のイーゼルには足穂の肉筆画、中央の白い棚には、足穂が手ずから作ったオブジェ「王と王妃」をはじめ、遺品の数々が並んでいました。

(白い棚に鎮座する鼻眼鏡)


さらに床の間の前には、戸田勝久氏や中川ユウヰチ氏をはじめ、足穂にインスパイアされた方々の作品が、月光百貨店主・星野時環さんのセレクトによって展示されていました。


隣の部屋には、足穂の初版本がずらり。


いずれも足穂研究家の古多仁昂志氏による多年の蒐集にかかるものです。

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大いなる眼福を得た後、いよいよ本堂でイベントが始まります。


第1部は「『一千一秒物語』100年の記憶」と題した座談会形式のトーク。
テーブルを囲むのは、左端から司会の溝渕眞一郎氏(喜多ギャラリー)、マスク姿の未谷おと氏(ダンセイニ研究家)、中野裕介氏(京都精華大学)、マイクを持つあがた森魚氏、季村敏夫氏(詩人)、そして古多仁昂志氏の面々。


人々が足穂を熱く語る本堂の天井では、蓮の花のシャンデリアが鈍い光を放ち、ここがあたかも浄土であるかのようです。


そして第2部は、あがた森魚さんのコンサート、「宇宙的郷愁を唄う」
これぞ音楽による足穂讃嘆の法会で、聴衆はそれに唱和する大衆(だいしゅ)です。

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今回の催しは、繰り返し述べるように、『一千一秒物語』刊行100周年を記念するものです。そして古多仁さんやあがた森魚さんは、その中間地点である50年前、まだ足穂その人が生きていた時代の鮮やかな記憶を、人々に語ってくださいました。

参加者の中には、ずいぶんと年若い方もいたのですが、たぶん昨夜の出来事は永く記憶にとどまり、足穂という存在をしっかり心に刻んだことでしょう。…こう言うとなんだか戦争体験の継承みたいですが、でも生きた体験を伝えるという意味では、両者の間には何の違いもありません。

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すべてのイベントが終わり、会場を後にしたとき、京都の町を見下ろすように月が電線に引っかかっているのが見え、私は「ああ、足穂だな…」と心からの満足を覚えたのでした。