ねこ元気?2023年06月18日 09時21分57秒

先日、Etsyでこんな品を見つけました。


この小さなダンボール箱に商品が入っているのですが、より正確にはこの箱を含む全体が商品で、私はまだ箱を開けかねています。何せ、この「世界一有名な思考実験。シュレディンガーの猫」と書かれた箱を開けた瞬間、この宇宙は二つに分裂してしまうというのですから。


商品写真をお借りすると、箱の中に入っているのは、下に写っている青か赤か、どちらかのピンバッジです。


どちらが入っているかは、注文主である私にも分かりません。
猫が生きているか死んでいるか、箱を開けてみるまで、2つの事象は重ね合わせの状態にあるのです。


この商品を注文する際、さらに興味深いオプションがありました。
2個同時に買うと、「1個は青、もう1個は赤」と、中身を指定できるのです。

もちろん、どちらに何が入っているかは、これまた不明です。
上記の通り、いずれの猫も生死不確定の重ね合わせの状態にあって、ただし一方の箱を開けて猫が生きていれば、もう片方の猫は死んでいることがただちに確定します。これは2つの箱が何光年隔たっていても同様で、その情報は瞬時に伝わります。

これがシュレディンガーの猫と並んで有名な「量子もつれ」の現象で…と、まあ、あまり真面目に受け取ってはいけませんが、一種の比喩としては秀逸で、商品考案者の機知に感心しました。

商品ページはこちら → 

コメント

_ nekomeshi312 ― 2023年06月18日 10時53分09秒

こんにちわ。
面白いですね。お店の人はちゃんと選んで発送できるということは、お店の人はどうやって区別しているのか気になるところではあります(^^;

_ 玉青 ― 2023年06月19日 06時29分09秒

ありがとうございます。おそらくシールを貼るのは発送直前の最後の工程で、それまでは自由に中身を確認できるんじゃないでしょうか。(先にシールを貼って、途中でごちゃごちゃになったらエライことですからね。)

_ S.U ― 2023年06月19日 16時48分51秒

>ただし一方の箱を開けて猫が生きていれば、もう片方の猫は死んでいることがただちに確定します。これは2つの箱が何光年隔たっていても同様で、その情報は瞬時に伝わります。

 面白い猫さんの箱の商品のご紹介を得て、 ここで問題提起をさせていただきます。

 一方の箱を開けたら、ただちに、もう片方の箱の内容が確定する、確かにこれは量子力学の教えることとして、正しいです。また、これが光速を越えた瞬時であるというのも実験から正しいです。

 しかし、言葉遣いに問題があります。 「ただちに」というのは、「(ほぼほぼ)同時」という意味でしょう。しかし、この言葉には疑問満載です。「同時」のアサインメントは相対性理論によって観測者によって変わるからです。相対的に運動しているどの観測者から見ても同じ「同時」のアサインメントは存在しません。だから、単純に「同時」という言葉を使うのは不適切です。実際には、「ただちに」「同時に」とは別の表現、あるいは同時を限定する注釈付きの表現がなされないといけないと思います。

 まあ、今回の猫の箱の場合は、結果的には、両方の箱を開ければ、常に、一方が生きていれば、もう一方は死んでいますので、どんな表現でもウソになることはありませんが、もう一方がいつ確定したか? と問われた時に、「同時に」と答えるのはまずいと思います。

 (私も答えはよく知りませんので、あまり深く考えないでください。ただ、世の中の量子力学の解説書は、相対論を知っている人には引っかかる書き方をしているのは事実と思います。)

_ 玉青 ― 2023年06月21日 06時05分15秒

いやあ、「あまり真面目に受け取ってはいけません」…というアリバイ的な一句を文中に忍ばせておいたのですが、S.Uさんのご本業に関わる点ですから、ここはお目こぼしいただけませんでしたね(笑)。ともあれ、相対性理論に拠る限り、「同時」の語を不用意に使ってはならぬことを、肝に銘じたいと思います。

   +

それにしても…。シュレディンガーの猫のことを考え出すと、中2病的な疑問が次々湧いてきます。たとえば、猫の箱のふたを開けても、目をつむっている限り、猫の生死が不確定な状態は続くわけですよね? でも、同じ部屋にもう一人Bさんがいたら?

目をつむっているAさんにとっては、目を開けるまで、「生きた猫を目にしたBさん」と「死んだ猫を目にしたBさん」が重ね合わされているんだ…と考えれば、一応話の辻褄は合います。でも、目をつむったAさんがこんなふうに↓考えたら、やっぱり不思議な気がします。

「あ、今、箱の蓋が開いたな。この瞬間、Bさんにとって宇宙は2つに分裂したわけだ。じゃあ、今部屋の中を歩き回っているBさんは、いったいどっちのBさんなんだ? 俺が目を開けるまで、本当に重ね合わせなのか? Bさんは大の猫好きだったから、猫が生きてれば喜ぶだろうし、死んでれば悲しむだろう。今、この部屋にいるBさんは、喜びと悲しみを同時に感じているのか? あの足音は喜びと悲しみの混ざった足音なのか?」

そして、Bさんも目をつむっているAさんを前に、似たようなことを考えるでしょう。

「現にこうして猫は生きている(死んでいる)。まあ、俺にとっちゃ箱の蓋を開ける直前の段階で、「生きた猫を目にするAさん」と、「死んだ猫を目にするAさん」が重ね合わされていたのが、蓋を開けた瞬間、猫の生死とともに、Aさんも分裂してしまったわけだ。でも、Aさんはそう思うまい。実際、Aさんにとっちゃ目を開けるまで世界は分裂してないわけだからな。…ということは、今のAさんの自意識は、こっちの宇宙と向こうの宇宙の両方に属しているのかな? 今のAさんを通じて、俺は向こうの宇宙ともコンタクトできるんだろうか? なんだかイタコみたいだな…。」

たぶん、上のようなことは、誰かがとっくに話題にしているんでしょうけれど、考えれば考えるほど不思議です。長屋のご隠居なら、なんておっしゃいますかね?

_ S.U ― 2023年06月21日 07時18分08秒

>ここはお目こぼしいただけませんでしたね(笑)
 いやあ、これは、申し訳ありません・・・。
 実際は、玉青さんの文章をお咎めしたつもりはまったくありませんでした。玉青さんの文章は、量子力学の説明としては100%正しいものと思います。専門書を見てもそのように書いてあるでしょうし、もともと量子力学の立場では間違いのない説明だと思います。私が、咎めたとするならば、従来の世間向けの量子力学の記述方法が、相対性理論が普及した現代においては、読者を納得させるにはもはや不適切になっているのではないかという指摘でありました。
 実際は、この同時性が結果的に問題になることはなく、単に波束の収縮の情報が伝わると考えるならば、多くの場合、どの観測系で見ても、(たとえ観測者によって情報の向きの時間(因果)関係が逆になっても)同じ確率が導き出されるでしょうし、同時性を計算に入れて波動の時間発展を計算する必要がある場合は、系全体の重心系で計算すればそれはいかなる観測者においても不変になります。ただし、このような説明が載っている文献は不勉強な私は見たことがありません。

 宇宙分裂の話は、私はなかなかついていけませんが、A,B二人がそれぞれ好きなように振る舞う場合は、Aが行動した時とBが行動した時のそれぞれで合計4通りに宇宙が分裂するのではないでしょうか。あるいは、Aが目を開けるか開けないか、Bが目を開けるか開けないかでも4通りに分裂して2人の見る猫の生死を含めれば16通りかもかもしれません。

 ヘタをすれば、この「分裂」の考えでは、観測と分裂に無限大の連鎖の自由度が出てきそうですし、また、どれが現実の世界なのかという問題も起こる(たぶん、物理学としては、この部分の解決は放置するしかないものと思います。差別的な選別をする理論がありませんので)ので、このような理論は、計算上のモデルとしては有効でも、自然の理解としてはあまり役に立たないのではないかと思います。ある答えを得るに等価な計算は世の中にたくさんあるなら、できるならば、わかりやすい考えに基づいていてほしいものと思います。長屋のご隠居もそのように考えられるかもしれません。

_ 玉青 ― 2023年06月22日 17時50分32秒

お言葉の向こうに現代物理学の秘奥の一端を見た気がします。
もちろん、これは気がするだけで、本当の秘奥は遠いのでしょうが、でもこういうのは良い導き手があればこそですから、改めてお礼を申し上げたいと思います。
引き続きお付き合い願えれば幸いです。

冷静に考えると、宇宙の分裂は、「そんな厄介なことがあるから、最初から分裂なぞ起こりはせんのだ。そもそも分裂するところを見た者は誰もおらんし、分裂せんでも誰も困らんだろうて。どうじゃ、ウワッハッハッ」と豪傑笑いしてれば済むような気もしてきました。まあ、その豪傑だって哄笑しながら盛んに分裂している可能性もなくはないですが、こういうのは見る角度によって答が変わる例かもしれませんね。

_ S.U ― 2023年06月23日 06時10分09秒

「宇宙の神秘」は、文字通りに「深遠」なのは間違いないでしょうが、量子力学にしても相対論的宇宙論にしても、そのへんで我々が触れられるのは、ホモ・サピエンスたる人間の、それも程度の差はあれ、いわば「凡人」が理解しうる記述でなされたものだと考えています。そうでなければ、大学で講義したり、出版物に載せて売ることは出来ないでしょうし、新たな研究者集団を集めることもできません。

 ここで、「凡人」と「神の摂理」がどの程度、整合しているかという問題は、主要な観点は違うとはいえ、我々がふだん楽しんでいる科学史や「自然科学民俗学」とか「認知心理学」の延長線上にあるものではないかと思い、同様の興味を持っています。このあたりで今後ともよろしくお願いいたします。

_ 玉青 ― 2023年06月23日 06時23分36秒

ええ、どうぞよしなに。。。

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