色あせた標本、台湾幻想2007年10月22日 19時31分13秒


昨日の写真の背後に写っていた標本です。

手工芸的な木製フレームを見ても分かるように、純然たるお土産用の標本です。中身の蝶や蛾も、すっかり色あせ、どれもみな白っぽくなっています。学術的な価値はもとよりなく、既に「商品」としての価値も失った品ですが、私はこれを見ると、ある種の連想というか、ぼんやりとしたストーリーが心に浮かびます。

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久しぶりに旅装を解いた叔父さんのつやつやした顔。台湾土産に目を輝かせる少年。少年の父と酒を酌み交わしながら、叔父さんが上機嫌で語って聞かせる、台湾の豊かな自然と暮らし。少年は、亜熱帯の叢林にふりそそぐ強い陽光と、極彩色の昆虫が群れ飛ぶ様を思い浮かべ、うっとりとします。台湾が人々に夢をかき立てた時代…。

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この台湾産の標本を見ていると、そんな戦前ののどかな情景が浮かんできます。

(この項つづく)

月冴える2007年10月23日 21時51分14秒

今日は(も)お酒が入ったために、記事は休みです。

帰り道は、月が冴え返ってまぶしいような空でした。

秋の深まりとともに、空気が澄んできたようです。

色あせた標本、台湾幻想(その2)2007年10月24日 19時47分32秒

(朽ち果てた台湾の蝶。出典は下記)

ところで、急いで付け加えますが、一昨日の標本は戦前のものではありません。Fujimotoさんがコメントで書いてらしたのと似たりよったりの、たぶん、3、40年ぐらい前のものでしょう。

中央で大きな羽を広げているのが蛇頭蛾、和名・ヨナクニサン(与那国蚕)です。本来の体色は濃い茶色なのですが、手元の標本はすっかり色がさめて、幽霊じみた姿になっています。「世界最大蛾」という傍らの説明書きが、いかにもお土産めいた感じですが、戦前の昆虫図鑑にも、「世界最大蛾トシテ著名ナリ」とあるので、これは一種の枕詞でしょう。

そして、その脇に控えているのは、キンモンウスキチョウ(銀紋淡黄蝶)、マダラシロチョウ(黄斑粉蝶)、アオスジアゲハ(青線鳳蝶)、オナシアゲハ(無尾鳳蝶)といった面々。

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さて、上の写真は、芹澤明子さんの『木造校舎の思い出・関東編』(情報センター出版局、1996)より、埼玉県の上中尾小学校の光景です。撮影当時、既に廃校でした。

廊下と職員室との境に、窓代わりに両面硝子の標本箱がはめ込まれています。非常に凝った細工ですが、標本はご覧の通りボロボロ。よく見ると、達筆な文字で、

 台湾産の蝶類 蝶寄贈者 井田恵美子氏 〔右〕
 郷土の蝶類 採集 当校理科研究部 〔左〕

と書かれています。

そう、この感じ。私が古ぼけた標本の向こうに幻視するのは、こうした風情なのです。この原型を留めぬほど朽ちた標本と、力強い筆文字を見ると、私は思わず胸が詰まります。

当時の台湾は「郷土」と対立する、はるかなる「異郷」であり、これら蝶のエトランジェたちは、秩父山中の小学生の目にキラキラと宝石のように映ったにちがいありません。落魄した姿が、その美しい思い出をいっそう輝かしいものにしています。あまりにも美しい思い出のかけら。

(この項つづく)

色あせた標本、台湾幻想(その3)2007年10月25日 21時39分17秒

(『虫の宇宙誌』、集英社文庫、1984)

私の台湾イメージには、大人になってから読んだ、奥本大三郎さんの昆虫エッセイがだいぶ影響しているのを認めないわけにはいきません。

特に、初期のエッセイを集めた『虫の宇宙誌』を読むと、それこそ5回も6回も、いやもっと数多く台湾への言及があって、奥本さんがいかに台湾に思い入れがあるかが分かります。

奥本さんは、「戦前の日本で夏休みの宿題として昆虫採集が広く行われ、昆虫採集の黄金時代を呈した頃、日本全国の少年達の黄金郷(エル・ドラド)は台湾であった。」と断言しています(文庫版108-109頁)。

そして、圧巻は何といっても「昆虫図鑑の文体について」という一文。
これは昆虫図鑑という特異な素材を用いて日本語の文体を論じたものですが、凡百の文体論・文章論を遥かにしのぐ優れた内容だと思います。この文章については、いずれまた別項で詳しくとりあげたいと思います。

今はとりあえず、氏の台湾への思いの丈を綴った部分を抜書きしてみます。

(ちょっと長いので、明日に回します)

色あせた標本、台湾幻想(その4)2007年10月26日 20時48分08秒

↑山中峯太郎(文)・椛島勝一(絵)、『亜細亜の曙』-昭和7年-に登場する新兵器 (別冊太陽 『子どもの昭和史 昭和10年~20年』 より)

(昨日のつづき)

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 私を魅了したものは、しかし何といっても南方の昆虫であった。『原色千種続昆虫図譜』の開巻第一図版には、ただ一頭、尾状突起の異様に幅広い大型のアゲハチョウが図示されていた。〔…〕説明文には次のように記されている。

 第一図版(鱗翅目)蝶之部
1 フトヲアゲハ(雄) アゲハテフ(鳳蝶)科
 Agehana (Papilio) maraho Siraki et Sanan
 雌雄ノ色彩紋ハ大差ナケレドモ雌ハ前後翅ニ形状共稍々外縁円味アリ。本種ハ他ノアゲハテフ類ト異ル処多ク、特ニ後翅ノ尾状突起ハ幅広クシテ然モ二本ノ翅脈アルコトニヨリテ有名ナリ。
 昭和七年(1932)七月初メテ台湾台北州羅東郡烏帽子河原ニテ発見セラレ、爾来採集セラレシ総数僅ニ六匹ニシテ既ニ種類ヲ保護スル為捕獲禁止トナリタル貴重ナ標本ナリ。而シテ現在世界蝶類中本種ト同様尾状部ニ二本ノ翅脈アリテ幅広キコトハ只一種支那ニ Agehana (Papilio) elwesi Leech ト称スルモノアレドコレ亦稀種ニ属ス。
 20-7-1936 台湾台北州烏帽子産 台湾ニ産ス

 難しい漢字とカタカナの簡潔な文体は私を魅了した。そしてその中でも特に私が心をおどらせたのは、「稀ナリ」という言葉、そして頻出する「台湾ニ産ス」と言う結末の句であった。はっと息を呑むような種の解説には大抵「台湾ニ産ス」と書かれている。いつかは台湾に行って、「台湾ニ産スル大型美麗種ナレドモ稀ナリ」と書かれているような奴を採りたい、少年の日の、それは夢となった。外へ遊びに行くとき、家人に行先きをきかれると私は必ず「タイワン」と答えるようになった。今でもどうかするとそう答えてしまいそうになる。(文庫版 63-65頁)

 ■  ■  ■

そして、奥本氏はこの戦前に出た、平山修次郎著『千種昆虫図譜』の文体を、以下のように特徴づけます。

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 一見素気ない文章でありながら、そうかと言ってただの古い学術論文の文体でもない、それとは実は本質的に違うもの、敢えていえば山中峯太郎の小説の中にでもありそうな軍令のように、颯爽としたリズムと、イメージを喚起する力をもった文である。様式的な短い文章の背後に、あたかも椛島勝一のペン画の中の、風をはらんだ白い帆のように、少年の夢があふれんばかりになって待機しているのである。 (文庫版 71頁)

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まさに卓見。文章の妙味を叙して遺憾がありません。

さて、こうして話は振り出しに戻り、戦前の少年の夢と台湾とが再びガッチリつながるのです。そしてまた、戦前の少年の夢に仮託して、21世紀の中年の夢もはるか南方へと放射されてゆくのです。

(ソレニシテモ、上ノ挿絵ハ「くうる」デ、格好良イデスネ。)

ファーブルと天文学2007年10月27日 20時04分17秒


さて、そろそろ昆虫から天文に話を戻そうと思いますが、そのためにちょうどいい本を見つけました。

■天体の驚異 (ファブル科学知識全集1)
 安成四郎(訳)、アルス(発行)、昭和4年(1929)
 四六版、425p.

装丁は恩地孝四郎。
表紙は、凝った唐草模様の空押しに、燃え盛る太陽プロミネンスのカラー図版を貼り込んであります。

原著の題名がどこにも書かれてないのではっきりしませんが、どうも Le Ciel. Lectures et lecons pour tous. 『宇宙-万人のための講義-』(1913、パリ)という本がそれらしいです。

ただ、当時ファーブルは既に90歳ですから、これは若い頃に書きためた文章を再編集したものだろうと思います。巧みな比喩を多用した、生き生きとした語り口は、1867年に出た『薪の話』(邦題『ファーブル植物記』)とよく似ています。日食の項を見ると、最新の日付が1865年になっていることも、その傍証になるでしょう。

(『薪の話』については、http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/03/08/1242170を参照)

それにしても、「あの」ファーブルが、天文学書を書いていたんですねえ。

内容については改めて見るとして、一つ疑問に思うのは、ファーブルは自ら望遠鏡をのぞいたことがあったのだろうか?という点です。もちろん彼は顕微鏡の扱いはお手の物でしたが、望遠鏡は果たしてどうだったのでしょうか?気になります。

タルホ2007年10月28日 20時00分25秒

土日に片付けるはずだった仕事がまだ終わりません。
そのため、明日から2,3日記事の方は休載にします。

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ところで、先週の木曜日(10月25日)はタルホ忌でした。
このブログでも記事をパスしてしまいましたが、世間でも没後30周年だというのに、今ひとつ盛り上がりに欠けましたね。出版界では、青土社が没後三十周年記念と銘打って、『足穂拾遺物語』を出したのが、やや目立ったぐらいでしょうか。

以前 ― はや4年にもなりますが ― 松岡正剛さんが、ネット書評「千夜千冊」で、

「最近はタルホを読まない世代というか、稲垣足穂の名前すら知らない連中ばかりがまわりに多くて、いちいち説明するのが面倒になってきた。ふん、もう教えてやらないぞ。自分で辿れ!」

と憤慨されていましたが(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0879.html)、今しばらくはタルホも世間から潜行した状態が続きそうです。まあ、松岡氏自身があおりにあおったタルホブームの反動も、少なからずあるのでしょうが…。

 ★★

写真は、足穂の名作 『一千一秒物語』(初版1923)を、たむらしげる氏が絵本化したもの。最初リブロポートから出て、後にブッキングから復刊されました。

復刊に際して、たむら氏は、

「原本の出版当時、画像はRGBでデータからの出力は難しく、カラープリントを原画にして絵本を作りました。原本の出版から10年近く経ってやっと本来のクリアーな画像をデータからそのまま絵本にすることができました。」

と述べています(http://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=4187)。復刊の方が原本よりも、更にオリジナルな存在という捩じれ具合がタルホっぽいですね。

「何の不思議もないこと。森羅万象は情報であり、これ即ち色即是空、空即是色…」と、タルホなら平然と言ってのけるかもしれませんが。

抱影翁のはがき2007年10月31日 22時20分19秒


今日はハロウィーン。
日本でいえばお盆に相当する、死者がこの世を訪れる日(らしい)です。

ちょうど昨日が命日だった、野尻抱影翁(1885-1977)の魂も、今宵は来訪されているのでしょうか。ただ、翁は生前からオリオン星雲を墓所と定めていたそうですから、地球まで来るのも一苦労でしょう。

  ★    ☆    ★

翁は一種の手紙魔で、生涯におびただしい量の手紙を書いたそうです。そして、その字体がまた独特で…と聞かされて以来、何とかその手蹟を手に入れたいと思っていました。「手紙魔」のわりに市場に出物がないのは、受け取った人がみな珍蔵しているケースが多いせいでしょう。

それでも、先日ようやく古書店で売りに出ているのを見つけました。

ロシア文学者の中村白葉(1890-1974)に宛てた葉書で、昭和41年7月25日の消印があります。文面は、白葉による何かの連載物が終了したのを惜しみつつ祝福する内容。

「ようこそ十回にもわたってお書きになりました。〔…〕一昨日は「これでおしまひか」と名残り惜しく、三回まで繰り返しました。静かな字句の底にこもる熱情、そして遂に到達された澄んだ御心境―それと謡曲との結びつきも成程と頷かれて、敬仰を新たにしました。」

見れば見るほど不思議というか、味わいのある字ですね。

当時、翁は80歳を越えていたわけですが、文面にも字配りにも全く乱れが見られません。年譜によると、翁はこの後も没するまで毎年本を上梓(再刊も含む)していますが、その旺盛な知力は驚くばかりです。

■参考
 ウィキペディア「中村白葉」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E7%99%BD%E8%91%89