「地球観測年に捧げる曲」が流れた時代2024年08月26日 19時35分09秒

前回書いたように、1964~65年の「太陽極小期国際観測年(IQSY)」は、「国際地球観測年(IGY)」の後継プロジェクトであり、IGYは前者の7年前、1957年7月1日から1958年12月31日を計画期間と定め、実施されました。

ついでといっては何ですが、そのIGY、国際地球観測年の記念切手も載せておきます。こちらも前回と同じハンガリーのものです。


切手では「1957年から59年まで」とあって、「あれ、1年長いぞ?」と思ったんですが、IGYは1958年でいったん終了したあと、おまけのプロジェクト、「国際地球観測協力年(International Geophysical Cooperation Year)」というのが1959年いっぱい続いたので、たぶんそれを勘定に入れているのでしょう。

IGYは東西のブロックを越えて、67の国が参加し、バンアレン帯の発見、プレートテクトニクス理論の確立につながる大西洋中央海嶺の全容解明、南極条約の締結など、多くの重要な成果をもたらしました。身近なところでは、日本の昭和基地が南極に設置(1957)されたのも、IGYの副産物です。

東西両陣営を仕切る「鉄のカーテン」を越えて、科学者がIGYに結集できたのは、スターリンが1953年に死亡し、融和ムードが生まれたことによるらしいのですが、しかしIGYによって新たな東西対決の火ぶたも切って落とされました。すなわち宇宙開発競争の始まりです。これこそ、ある意味でIGYの最大の「成果」でしょう。(それ以前から始まっていた「制宙権」争いを、IGYが強く後押しした…と言ったほうが、より正確かもしれませんが。)


上の横長の切手は、IGY記念切手とは別の宇宙切手シリーズに含まれるスプートニク1号(1957年10月打ち上げ)(※)で、その左下がスプートニク3号(同1958年5月)です。スプートニクに対抗して、アメリカが大急ぎで打ち上げたのが、エクスプローラー1号(同1958年2月)で、これがバンアレン帯の発見につながった…というのは、既に述べました。そしてNASAが設立されたのも、1958年7月のことです。

これら一連の出来事の背後にあったものこそIGYであり、その影響の大きさがうかがい知れます。

IGYについては、日本語版ウィキペディアにも当然項目がありますが、英語版Wikipediaを見たら、トリヴィアルなことも含めて、いっそう詳細な説明がありました。

中でも興味深いのは、IGYがポップカルチャーに及ぼした影響の項目です。
IGYはもちろん真面目なドキュメンタリー番組でも取り上げられましたが、それだけでなく、複数のマンガの題材にもなったし、「1957年の地球観測年に捧げる曲」というジャズナンバーが作られ、後の1982年には「IGY (What a Beautiful World) 」という曲がビルボードのヒットチャートで順位を伸ばし、グラミー賞の年間最優秀楽曲にノミネートされた…といったことが書かれていました。

IGYは科学の世界を越えて、物心両面で人々の生活に大きな影響を及ぼした、戦後の一大イベントだったと言えるんじゃないでしょうか。

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(※)【2024.8.28訂正】 上の切手の画題を「スプートニク1号」と書きましたが、これは「ルナ1号」(ソ連の月探査機、1959年1月2日打ち上げ)であろうと、S.Uさんからコメント欄を通じてご教示いただきました。ご指摘の通りですので訂正します。

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