1896年、アマースト大学日食観測隊の思い出(3)2025年07月06日 15時55分13秒

いつのまにか明日は七夕ですね。
例年なら七夕関連の話題をひとしきりするところですが、今年は1896年の北海道日食の話題にかかりきりなので、七夕の話題は旧暦の七夕の頃にでもできればと思います(今年は8月29日とだいぶ遅いです)。

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さて、メイベル・トッドの『コロナとコロネット』序文には、アマースト隊のメンバーは9人だと書いてあります。既出の人も含めて挙げておくと、

○コロネット号船長 アーサー・カーティス・ジェイムズ(Captain Arthur Curtiss James)
○同夫人〔ハリエット・パーソンズ・ジェイムズ Harriet Parsons James〕
●遠征隊長 アマースト大学教授 デイビッド・P・トッド(Prof. David P.〔Peck〕 Todd)
●同夫人〔メイベル・ルーミス・トッド Mabel Loomis Todd〕
●海軍機関長補 ジョン・ペンバートン(Passed Assistant Engineer John Pemberton)
●ハーバード大学天文台 ウィラード・P・ゲリッシュ(Mr. Willard P. Gerrish)
○コロンビア大学医科カレッジ ヴァンダーポール・エイドリアンス医師(Vanderpoel Adriance, M.D.)
○ニューヨーク在 アーサー・W・フランシス(Mr. Arthur W. Francis of New York)
●アマースト大学機械技師 E・A・トンプソン(Mr. E. A. Thompson)

このうち●印をつけたのが、実際に枝幸に赴いた人、○印は横浜で観測隊と別れて日本観光を楽しんだ人たちなので、言葉の真の意味で「アマースト隊」といえるのは、●印の5人だけです。もちろん、これ以外に助手や下働きとして随行した人もあるので、総勢はもっと多かったはずですが(各種の記事中に、「トンプソン氏の息子フランク」や、「二等航海士アンドリュー」といった名前がしばしば出てきます)、主だった顔ぶれは上記の5人ということになるのでしょう。

(アマースト隊の枝幸観測基地。『コロナとコロネット』より)

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ここで注目してほしいのが、ハーバード大学のウィラード・ゲリッシュ(1866-1951)という人物です。一般にあまり著名な人ではないと思いますが、「ウィラード・P・ゲリッシュ文書」を保管する、アメリカのブラウン大学図書館のサイト【LINK】には、彼の略歴が以下のように紹介されています。

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<略歴> 

 ウィラード・ピーボディ・ゲリッシュは1866年に生まれ、19世紀後半から20世紀初頭にかけてブルーヒル気象台、後にハーバード大学天文台で勤務した。1885年にブルーヒルが開設されると、アボット・ローレンス・ロッチに初代観測員として採用され、気象データを継続的に記録した。1887年にMITを卒業後、ゲリッシュはハーバード大学天文台の天文学助教授となり、エドワード・C・ピカリング、そして後にハーロー・シャプレーの下で働いた。1896年8月9日の皆既日食を見るために横浜を訪れた直後、メアリー・ワイリーと結婚し、マサチューセッツ州ケンブリッジに定住。二人は1911年にマサチューセッツ州アッシュランドにあるサー・ヘンリー・フランクランド・ガーデン・エステートを購入した。

 ハーバード大学天文台での彼の在職期間は、ピカリングが天体写真と分光学の分野を発展させていた時期と重なり、ゲリッシュは自身の機械工学の技術を活かし、天体の動きをより正確に追跡するための望遠鏡駆動装置や、その他の装置の開発に取り組んだ。彼はピカリングと共に、観測者が真北を容易に決定できる望遠鏡のアタッチメント「ピカリング・ポラリス・アタッチメント」を開発した。彼はまた、「ゲリッシュ極軸望遠鏡」として知られる望遠鏡や、天文情報の伝達に使用された「ゲリッシュ方式」と呼ばれる電信暗号も考案した。 

 ゲリッシュはスポーツマンであり、アウトドア愛好家だった。1893年、アウトドアスポーツと自然科学の振興を目的としたキャンプ・オシピー協会を立ち上げた共同設立者でもあった。彼は水先案内人の免許を持ち、遊覧船の所有者でもあった。

 ウィラード・P・ゲリッシュは1951年11月10日に没した。
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彼は19世紀と20世紀をつなぐ人であり、新時代の天文学の発展に寄与した人です。

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私がアマースト大学日食観測隊にこだわる理由は他でもありません。
ゲリッシュが残した日食遠征の一次資料が手元にあるからです。
…といっても、学術的な資料では全然なくて、彼が道中手にし、保管しておいたエフェメラ類(彼はよっぽど物持ちの良い人だったと見えます)が一括して売られているのを見て、天文古玩的興味がいたく刺激されたのです。

(日食後の記念撮影。遠征隊のメンバーと現地で協力した人々。この中にゲリッシュも当然写っているはずですが、どの人かは不明。『コロナとコロネット』より)

そこには名刺やら、切符やら、招待状やら、雑多な紙モノがごちゃまぜになっているのですが、これこそアマースト隊が見た明治の日本を封じ込めたタイムカプセルであり、見様によってはこの上なく貴重な資料に違いありません(果たして「明治の人力車の車夫の名刺」を見た人がどれだけいるでしょう?)。

この資料を紹介するのは、しっかり諸記録を調べた上で…と思っていましたが、それを待っていては、永久に紹介の機会が失われてしまいそうです。枝幸日食観測130周年を来年に控え、ちょうど良い折です。まだ分からないことだらけですが、推測も交えて思い切って紹介することにします。

(この項つづく)