荒俣氏の蔵書に思ったこと ― 2025年10月18日 15時09分11秒
ボンヤリしている間に世の中にはいろいろなことが起こり、何だかますますボンヤリしてしまいます。国内も国外も多事多難。そんな中、いいささか小市民的な話題ですが、先日、荒俣宏氏の件でネットの一部がざわつき、私もいろいろ考えさせられました。
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荒俣氏の件というのは、氏が最近蔵書2万冊を処分されたのですが、半分は引き取り手が見つかったものの、残りの半分は古本屋からも見放され、結局、産廃業者のトラックで運ばれていった…という話題です。
問題の記事は、現在ネットでも公開されていますが【LINK】、せっかくなので紙の雑誌を買ってきました(「週刊現代」を買ったのは、生まれて初めてだと思いますが、今は税込みで600円もするんですね。それと「週刊現代」は週刊ではなく、隔週刊だって知ってましたか?)
いかにも悄然とする話で、記事に接した人々の反応もさまざまでした。
あの荒俣氏でも老いは避けがたいという感慨。
もったいない、何か他に方法はなかったのか?という不審の念。
これは他人事ではないぞという焦慮。
もったいない、何か他に方法はなかったのか?という不審の念。
これは他人事ではないぞという焦慮。
そしてもう一つ、本というのはそんなに売れんものか、本邦の文化水準の凋落まことに恐るべし…という慨嘆を文字にされた方もいました。
いずれももっともな感想です。
最初の老いの問題はまたちょっと違うかもしれませんが、あとの3つは、結局「本は資産なのか?」という疑問に帰着するように思います。
不動産が「負動産」と呼ばれるようになり、都会地はともかく、地方の土地や建物は邪魔っけなもの、できれば相続したくないものになって久しいです。書物も今や「負の動産」の代表であり、かつては威信財でもあった大部で高価な書物も、遺族には迷惑千万なゴミの山と化している…というのが、時代の趨勢なのでしょう。
嘆けども、事実は事実として受け入れるほかありません。
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ただ、ここで一つ注意を喚起したいことがあります。
少し考えればわかるように、ここで最大の障壁は、遺族にとってそれが迷惑千万な存在だという点で、仮に遺族がそれを喜んで受け継いでくれるならば、ゴミの山はとたんに宝の山と化し、何の問題も生じないことです。
コレクター気質の人は、得てして家族の犠牲の上にコレクションを築くので、遺族にとっては迷惑なばかりでなく、自分を虐げた「仇」のように感じるのではないでしょうか。こうなると憎悪の対象にすらなってしまうわけです。そして持ち主自身も、内心そういう負い目があるので、いきおい「何とか自分が元気なうちに片づけないと…」と思いつめるのでしょう。
我が家の場合も、たしかにその気配があります。でも家人と共通の趣味の本に関しては、そんなに邪魔っけにされません。したがって、一家和合こそが問題解決のカギであり、身近な人々を趣味を同じうする同志たらしめること、そのための努力と工夫と真心を欠いてはならない…と、改めて思った次第です。
(以上のことは、単身の方にはそのまま当てはまりませんが、でも同様の視点はあってもよいのではないでしょうか。すなわち、ぜひ身近な理解者を…ということです。)


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