閑語…賛成!2025年07月21日 07時17分25秒

参院選は与党の大敗と、国民民主および参政党の躍進という結果に終わりました。

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このうち参政党に注目すると、同党がなぜあれほど支持を集めたのか、これからいろいろ分析もされるのでしょうが、何か後ろ暗い勢力が陰で糸を引いていた…という陰謀論よりは、もっとシンプルに、それだけマスな支持層が存在したということでしょう。

参政党の構成要素といえば、「排外」、「反ワクチン」、「オーガニック」、「スピリチュアリズム」あたりだと傍(はた)からは見えますが、いずれもこれまで一定数の人々を惹きつけてきた主張ですから、それが数の力となり、参政党の躍進につながった…ということではないでしょうか。(そこに「陰謀論」や、「夫婦別姓反対」「共同親権推進」といった人々も絡んで、かなりの大所帯になったわけです。)

特にSNS論壇では、反ワクチンの支持層は相当分厚いものと見受けられたので、「参政党躍進の陰の立役者はコロナ禍だ」というのが私見です。

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参政党については、「排外」ももちろん眉をひそめさせる要素ですし、メディアもそこに注目しがちでしたが、でもそれと同じぐらい、その「反科学(あるいは疑似科学)」的傾向は用心すべきだと思います。彼らが文部科学行政に影響力を行使し、ただでさえ弱体化している日本の研究体制に、さらにバックラッシュがかからないことを願います。

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とはいえ、勢いで議席は得たものの、同党は上記のように基本的に「寄り合い所帯」なので、今後党内をまとめ、支持者を引き付け続けるのは、なかなか難しい作業だろうなあとも、余所ながら感じています。

1896年、アマースト大学日食観測隊の思い出(11)…懐かしき故郷へ2025年07月21日 08時43分12秒

連載を終えるにあたり、アマースト隊の帰路についても、簡単に触れておきます。

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枝幸のアマースト隊のうち、トッド教授夫妻はフランスの軍艦アルジェ―号に招かれて、同艦で横浜に戻りました。フランス隊の隊長を務めたデランドルも一緒です。枝幸を出たのは8月16日で、そのまま太平洋岸を一路横浜へ。

彼らが横浜一番乗りで、西日本観光に出かけていた「非科学組」がそれに続きます。最後が枝幸に残った隊員たちですが、彼等は枝幸で荷造りを続け、ようやく8月21日に貫効丸で枝幸を出発し、小樽に8月23日着(小樽までは寺尾隊も一緒でした)。ここで天文器械を威海丸に移して、8月25日、函館に向けて出航。さらに函館で播磨丸に乗り換えて津軽海峡を渡り、8月27日の朝、青森に到着、列車で東京に向かいました(本項の日付は、トッド隊に同行した村上春太郎の記述(『枝幸町史・上巻』所収)によります)。

隊員たちが、ぼさぼさの髪でコロネット号の甲板に立ったのは、8月28日午後のことで、こうして懐かしい顔ぶれが全員再集結したのです。

コロネット号がサンフランシスコに向けて横浜を出航したのは9月2日です。帰路は最短距離の北太平洋航路を取り、主な荷物は別に汽船を頼んでアメリカに送ることにしたので、往路よりもだいぶ気楽な旅です。

サンフランシスコに到着したのは10月2日。ここにしばらく滞在し、再びニューヨークに向かう鉄道の客となったのは10月8日。復路はニューオーリンズ経由の南回りです。そして10月22日、一行はニューヨークの駅頭に立ち、この大遠征旅行は終わったのでした。4月6日にニューヨーク駅を出発してから、半年あまりが経過していました。

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…というわけで、我らがゲリッシュ氏も、当然コロネット号で帰ったのだと最初は思い込んでいましたが、ゲリッシュ資料を見直して、「あれ?違うかな?」と気づきました。

というのは、コロネット号が横浜を発った9月2日付で、ゲリッシュは汽船の出航予定を知らせるメッセージを受け取っているからです。彼はそのときまだ横浜のグランドホテルにいました。

(文中の「S.S.」は「Steam Ship」の略)

汽船の名は「ブリーマー(Braemar)号」で、横浜とアメリカ西岸のタコマ(ワシントン州)間に就航していました(※1)。今度横浜を出航するのは9月10日だと、メッセージは告げています。

上で、復路は荷物を(コロネット号ではなく)別の汽船でアメリカに送ることにした…と書きましたが、それがブリーマー号であり、ゲリッシュはそこに付き添ったのではないかと想像します。

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ゲリッシュはその後、9月4日に横浜から電報を打っています。


あて先は彼の故郷、ボストンです(その前にある“Zouave”は不明。南北戦争の義勇兵がこの名で呼ばれましたが、時代が合いません。あるいはボストンの電信局名か?)。

1896年の時点では、まだ太平洋横断ケーブル敷設前なので、電気信号は長崎からウラジオストックを経て、さらにロシア、ヨーロッパ、そして大西洋ケーブルを伝って、はるばるアメリカまで送られました(※2)

料金は、8ワードが23.2ドルで、もののサイトによれば、当時の23ドルは、購買力で比較すると、現在の880ドルに相当するそうです。日本円にして約13万円。「明治のインターネット」は、驚くほど利用料が高かったです。

(ゲリッシュ資料より。当時の電報送信依頼状)

そこまでしてゲリッシュがメッセージを届けたかった相手は誰か?
もちろん正解は分かりませんが、ゲリッシュには、この遠征後に結婚を約束していたメアリー・ワイリー嬢がいました(連載第3回参照)。あるいは…と思います。

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129年後の未来から、若き日のゲリッシュ氏に祝福の言葉を贈るとともに、貴重な資料を残してくれたことに感謝しつつ、連載を終えることにします。

(この項おわり)


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(※1)ネットで見かけた資料によると、ブリーマー号は、1896年6月22日に横浜で検疫を受け、6月25日にタコマに向けて出航しています。同じ船が9月10日に再び横浜から出航するというのですから、かなり頻回に太平洋を往復していたことが窺えます。
 また1901年7月8日付の「The Colorado Daily Chieftain」には、「7月7日ワシントン州タコマ。汽船ブリーマー号が横浜から本日到着。3,000トンの絹と新茶、及び27人の三等船客を運搬」の記事があり、同船が貨物主体の貨客船であることが分かります。


七夕の逢瀬2025年07月25日 17時18分58秒

少しまとまった記事を書き終わって、ボンヤリしています。
あれは例によって調べながら書いたので、連載開始の時点では、個々のゲリッシュ資料の素性や意味合いは、まだほとんど分かっていませんでした。しかし、考えながら書いていると徐々に分かってくるもので、泥縄式の未熟な内容ですが、やっぱり書けば書いただけのことはあります。

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時に、アマースト日食観測隊のことを書くために、この時期いつも話題にする七夕のことを書き洩らしました。そのため先日もちらっと書いたように、旧暦の七夕(今年は8月29日)前後に、今年は七夕の話題を出そうと思いますが、その前に小ネタをひとつ。

しばらく前に、七夕を描いた明治物の錦絵が目に付いて、購入しようかなあ…と思っているうちに買い漏らしました。その商品画像だけ保存しておいたので、ここでちょっとお借りします。


明治30年(1897)、「風俗通」と題して出版された、美人画のシリーズ物の一枚で、作者は宮川春汀(みやがわ しゅんてい、1873-1914)。「風俗通」は、明治の同時代風俗ではなく、江戸時代の風俗を懐古的に描いたもので、この七夕の図も近世の町家における七夕行事を描いたものになっています。

そんなわけで、七夕に関する資料として見た場合、本図はリアルな1次資料とは言い難く、七夕行事について何か目新しい事実が提示されているわけでもありませんから、それもこの絵を買いそびれた理由です。

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でも、右上に書かれている文字がふと気になりました。


調べて見ると、これは以下の漢詩の転句と結句を取り出したものです。

 「七夕」  朱文公
 織女牽牛双扇開   織女牽牛 双扇開く
 年年一度過河来   年年一度 河を過ぎ来る
 莫言天上稀相見   言うこと莫れ 天上稀れに相見ると
 猶勝人間去不回   猶ほ勝れり 人間の去りて回(かへ)らざるに

作者の朱文公とは、朱子学の開祖・朱熹(しゅき、1130-1200)のこと。

「1年に1回しか逢えないなんて、七夕様は可哀そうだな…」と、地上の人間はときに優越感まじりに呟いたりします。でも、そうやって可哀そうがっている人間こそ、実は一瞬でこの世を去り、ふたたび帰ってくることはない、小さく果敢ない存在です。「だから天上の星々の逢瀬こそ、人間のそれよりはるかにまさっているのだ」と、朱文公は言うわけです。

あざやかな視点の転換です。
そう言われてみれば、見慣れた星の光がただならぬものと目に映るし、自らの限られた生が途端に強く意識されもします。

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でも…と、ここでもういっぺん考えます。

現代を生きる我々は、星もまた有限の存在であることを知っています。
永劫の時に較べれば、星の逢瀬もやはりかりそめのものに過ぎません。そうした観点に立てば、星の逢瀬も人間の逢瀬も等質のものであり、そこに優劣はないし、ともにいとしいものだ…という新たな共感の心が生まれてきたりもします。

パサチョフ博士の夏休み2025年07月26日 09時46分45秒

ジェイ・パサチョフ(Jay Myron Pasachoff 、1943 –2022)という人がいます。

主に太陽と惑星大気の研究で知られた天文学者です。ハーバードで学んだ後、マサチューセッツのウィリアムズ・カレッジに籍を置きながら、サバティカルを利用して各地の大学や天文台で研究生活を送り、また天文教育にも情熱的で、多くの教科書を著した…というのは主にWikipediaの同氏の項目の受け売りですが、そこには彼がルネッサンス期以降の絵画における日食描写の分析といった、いわば「天文美術史」的研究にも手を染めていたことが書かれており、その関心の幅広さを知ることができます。

そのパサチョフ博士の書斎に置かれていたであろう、かわいい品を見つけました。

(台座の長辺は約18cm)

望遠鏡を操作する女性をかたどったオブジェで、その銘板に博士の名前があります。


アメリカで1959年以来続いている「サマー・サイエンス・プログラム(SSP)」という教育プログラムがありますが、その2004年の開講時に、博士がゲスト講師として招かれた際、記念品として博士に贈られたものです。


SSPは、アメリカ内外から集まった優秀な高校生が、5週間の共同生活を送りながら、第一線の研究者をはじめ、大学院生や学部生のサポートを受けつつ、専門的な研究を体験するプログラムです。研究や講義の合間には、各種のレクリエーションも用意されており、ここで共に学んだ仲間とは一生の友情がはぐくまれる…と聞くと、自分もそんな体験がしてみたかったなあと、羨ましい気がします。(プログラムについていく能力があれば、の話ですが。)

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ときに、この小像のテーマになっている望遠鏡は何だ?ということですが、これはWikipediaの「Summer Science Program」の項に掲載されているのと同じものです。


昔はこの画像がSSPのシンボルであり、ロゴでもあったようですが、現在のSSP Internationalの公式サイトからは消えています。

たぶん…ですが、最近になってプログラムの内容が天文学にとどまらず、生物学や化学分野にまで広がったこと、そして開催地も南カリフォルニアのハイスクールを間借りする形から、全米各地の大学キャンパスを使った大規模なものに変わったことから、SSPのシンボルとして、最早そぐわなくなったからだろうと想像します。

以前のSSPの様子が、「Sky & Telescope」の2001年3月号にリポートされており、この望遠鏡も写真に写り込んでいます。それによれば、この望遠鏡は最初カリフォルニア州オーハイのサッチャー・スクールに置かれ、その後近くのベサントヒル・スクール(旧称ハッピーバレー ・スクール)に移設された、口径7インチのツァイス製アストログラフ(=写真撮影専用望遠鏡)で、ガイド用の屈折望遠鏡を同架しています。SSPの参加者はこれで小惑星を撮影し、位置測定と軌道計算をするのが定番だったようです。



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アメリカも最近は貧乏くさい話が増えてきましたが、こういう物心伴う豊かさは、多様性を当然のものとして受け入れる度量の広さとともに、失ってほしくないものです。
(ちなみに、望遠鏡の操作者が女子学生として造形されているのは、1969年以来女性に門戸を開放してきたSSPの矜持でもあり、開明さの表明でもあるのでしょう。)

ソォダ色の少年世界、ふたたび2025年07月27日 07時58分14秒



平成の初め、1991年から92年にかけて出た、長野まゆみさんの「天球儀文庫」
「月の輪船」「夜のプロキオン」「銀星ロケット」「ドロップ水塔」から成る四連作です。


長野作品の定番である、二人の少年を主人公にした物語。
本作では、それぞれアビと宵里(しょうり)という名を与えられています。

二人が暮らすのは、波止場沿いの町。

(イラストは鳩山郁子さん)

物語は夏休み明けから始まり、再び夏休みが巡ってきたところで終わります。
例によって、筋というほどのものはなく、二人の会話と心理描写で物語は進みます。

その世界を彩るのは、ルネ文具店のガラスペンであり、スタアクラスタ・ドーナツであり、プロキオンの煙草であり、砂糖を溶かしたソーダ水です。


学校の中庭で開かれる野外映画会、流星群の夜、銀星(ルナ)ロケットの打ち上げ。
鳩と化す少年、地上に迷い込んだ天使、碧眼の理科教師、気のいい伯父さん…


永遠に続くかと思われた、そんな「非日常的日常」も、宵里が遠いラ・パルマ(カナリア諸島)への旅立ちを決意したことで、幕を閉じます。

宵里が去って数週間後、アビが宵里から受け取ったのは、「手紙のない便り」でした。
それは、どこかでまた「はじめて逢おう」と告げるメッセージであり、アビもあえて返事を書きません。その日が来ることを期待して、二人はそれぞれの人生を再び歩み始める…というラストは、なかなか良いと思いました。


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これはひたすら甘いお菓子のような作品です。
格別深遠な文学でもなく、そこに人生の真実が活写されているわけでもありません。
(いや、真実の断片は、やはりここにも顔を出していると言うべきでしょうか?)

とはいえ―。
お菓子は別に否定されるべきものではありませんし、どちらかといえば、私はお菓子が好きです。

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上の文章は、10年前に書いた記事の一部再掲です。
なぜそんなことをしたかといえば、10年前、私の心の中で別れを告げたアビと宵里が、今年の夏休み、ふたたび私の心の中で出会ったからです。


この澄んだソォダ色のガラス玉。
アメリカの売り手は、これをカナリア諸島の海岸で採取されたシーグラスと記載していました。それを知って、私はすぐカナリア諸島の宵里からの便りだと思いました。


この手紙には、やっぱり文字が書かれていません。


でも光にかざすと、カナリア諸島から見える光景が、青い空と海が、そして水平線上に浮かぶ雲がぼんやりと浮かび上がり、宵里がアビに何を伝えたかった分かるような気がしたのです。つまり「世界はこんなふうにつながっているんだよ」と。

この水色のガラス玉を通して、彼らの目と心が一瞬重なったと思うのは、もちろん一読者の勝手な思い入れに過ぎません。理屈も何も通ってないし、それこそお菓子のように甘ったるい妄想といわれればそのとおりです。それでも夏休みは、私にとってそんな空想をふとしてみたくなる時期なのです。

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今日も朝から降るような蝉時雨。