1896年、アマースト大学日食観測隊の思い出(8)…さらに北へ ― 2025年07月18日 14時34分47秒
7月3日の夜10時に青森を出た船は翌朝5時に函館着。いよいよ北海道です。
前回ちょっと触れたように、観測資機材は一行よりも1日早く、6月30日に汽船「さくら丸」で出発しており、そこにアマースト大学機械技師のトンプソンが付き添っていました。一行は函館でトンプソンと合流し、さくら丸に乗り換えて、さらに小樽まで行く計画です。
しかし、荒天でさくら丸の到着が遅れたため、一行はいったん荷物を陸揚げし、船着き場近くのホテルで一泊しました。ゲリッシュ資料によれば、その宿は「KITO HOTEL」です。
最初は「鬼頭旅館」かなと思いましたが、よく見ると日本語表記も「キト旅店」。このキト旅店(キト旅館とも)は、ネットで見るといろいろ情報が出てきますが、函館に本店、小樽に支店のある、当時有名な旅館で、著名人も多く泊まったところだそうです。
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翌7月4日の朝、さくら丸が函館に入港し、トンプソンと無事合流。
一行はその日のうちに早くも小樽に到着しています。
隊長のトッド教授とペンバートンは、他の隊員を小樽に残して、その足で札幌に向かい、北海道知事を訪問して、観測隊への協力を取り付け、枝幸村長への橋渡しやテント類の提供についても快諾が得られました。
ペンバートンが小樽に戻ったのは7月6日のことです。
「小樽に着くと、私たちの家財道具と他の探検隊員は駿河丸に移されていました。〔…〕テントが船に着くとすぐ、午後2時30分頃に出航しました。汽船は小さいながらも、なかなか快適です。食事もまずまずのヨーロッパ風料理ですし、船長と士官たちは親切で、私たちの快適さのためにあらゆる配慮をしてくれます。ベッドは板のように硬いので、「手堅い(solid)」安楽を与えてくれそうです。キャンプではハエや蚊に遭遇するだろうとよく言われます。少なくとも私たちの一人は、それがかなりの不安になっています。帽子の縁から垂らした網のベールに包まれ、ヒマシ油とタールの混合物で顔を塗られるというのは、決して魅力的なものではありません。」
この「ハエや蚊に不安になっている一人」こそ、横浜で蚊帳を買い込んだ(連載第6回参照)ゲリッシュではないか…と想像しますが、どんなものでしょうか。
こうして一行は7月6日に早々と小樽港を出航し、駿河丸で最終目的地、枝幸を目指します。駿河丸については、以下のページに解説がありました。
■北の海の航跡をたどる〜『稚泊航路』 #1 稚泊航路開業前
そこに書かれたデータを引用させていただくと、駿河丸はイギリス生まれの貨客船で、進水は1884年、1885年に共同運輸から日本郵船に転籍。全長54.39m、総トン数 721トンで、船室は2等が8名、3等が359名…とあります。後のことになりますが、1906年からは小樽~大泊(現コルサコフ)の冬季航路に就航しています。
この駿河丸で供されたらしいメニューカードが、ゲリッシュ資料にあります。
「まずまずのヨーロッパ風料理」を出していただけあって、こういうカードも備えていたのでしょうが、日付けも献立内容も書かれていないので、実際の食事の際に使われたものかは不明です(普段は使ってないカードを、ゲリッシュが記念に貰っただけかもしれません)。
メニュー以上に興味をそそるのは、裏面に印刷された日本郵船の定期航路図です。
北海道付近拡大。当時は小樽からだと定期運行便は宗谷までで、宗谷岬を廻ってその先に行く便はありませんでした。もちろん今回の駿河丸は、特別に仕立てた船です。
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途中の海は荒れ模様で、ゲリッシュとトッド隊長は船酔いに苦しめられ、せっかくの食事も喉を通らない状態でした(この2人はコロネット号でもひどい船酔いに襲われました。そういう体質なのでしょう)。
再びペンバートンの書簡より(佐藤利男氏の訳文をお借りします)。
「7月9日〔宗谷岬〕 日食まであとちょうど1か月となった。昨夜は誰も外に出なかった。風はいくらか強くなったようだが、朝10時ごろ枝幸に向けて出発した。日本のホーン岬(宗谷岬)を回る荒れた航海だった。
「トッドさん」は船室にこもって姿を見せない。ゲーリッシュも朝食をとらなかったようだ。日本の学生(後出のノザワ?)はベッドに倒れ込んでいる。とても寒く、雨が降っている。私はほとんどベッドの中で寒さを避けていた。
この2日間は朝食は日本食をとってきた。おそらく船内に洋食のストックが乏しくなってきたからであろう。悪天候で今日は何の作業もすることができなかった。」
「トッドさん」は船室にこもって姿を見せない。ゲーリッシュも朝食をとらなかったようだ。日本の学生(後出のノザワ?)はベッドに倒れ込んでいる。とても寒く、雨が降っている。私はほとんどベッドの中で寒さを避けていた。
この2日間は朝食は日本食をとってきた。おそらく船内に洋食のストックが乏しくなってきたからであろう。悪天候で今日は何の作業もすることができなかった。」
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こういう苦労を乗り越えて、一行は7月10日に枝幸港に無事到着。
荷物を陸揚げして、観測基地の設営に入ります。
(この項つづく)




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