キトラの星宿早見箱2025年09月24日 19時33分48秒

奈良といえば、キトラ古墳に描かれた天文図を元にした星座早見盤、その名も「星宿早見箱」という素敵な品があります。

(表紙サイズは縦横13cm)

(「箱」というだけあって、本体はかなり厚みがあります)

本体にはコピーライト表示がありませんが、ニュースリリースは2年前、令和5年2月なので、発行されたのも同時期でしょう。

■キトラ古墳壁画発見40年/『天文図』星宿早見箱が完成しました!

(表紙を開けたところ)

使い方はふつうの星座早見盤と同じです。ただし、そこでクルクル回る盤は、キトラ古墳の天井壁画の撮影画像(壁画円盤)と、それをトレースして復元した天文図盤(壁画トレース円盤)の2枚です(早見箱にはこの2枚の盤が付属し、交互に取り換えて操作することができます)。


(壁画円盤の一部拡大)

箱の説明書きを読むと、


☆星宿早見箱の日時について
 石室の天井に天文図が描かれた西暦700年頃の日時で早見盤を作成しましたが、現在のカレンダー(グレゴリオ暦)と時刻で表記しております。

☆星空のズレについて
 地球の歳差運動(コマの首振りと同じ現象)のため、当時の星空の星の位置は、現在の星空とズレています。現在の星座早見盤と、星の位置を比較してみましょう!

…とあるので、さっそく星の位置を比較してみます。
ここでは後述の理由により、2月21日の21時の星空を眺めることにします。


目印として、鬼宿の中央にある積尸気(せきしき)、すなわちかに座のプレセペ星団と、参宿(オリオン座)の位置に注目してください。
続いて、現代の早見盤(1986年発行の三省堂「新星座早見」)も、同月同日同時刻に合わせてみます。

(画面中央「+」マークが縦に連なっているのが子午線)

両者を比較すると、西暦700年の空では、積尸気(プレセペ星団)は、南中時刻をやや過ぎたあたり。対する現代の空では、まだ子午線の手前にあって、南中までは間があります。参宿(オリオン座)も、現代の空ではまだ中天高くかかっているのに、1300年前の空ではずいぶん西に傾いて、間もなく地平線に沈みそうです。

要するに、この1300年間で「星時計」の針は、顕著に巻き戻されているわけです。

   ★

ここで、より正確な比較のために、プラネタリウムソフト「ステラナビゲーターLite」で、当時と今の空を再現してみます。

(明日香村から見た西暦700年2月21日21時の空)

(同じく2025年2月21日21時の空)

2月21日21時を選んだのは、西暦700年の空では、ちょうどこのときプレセペ星団が南中するからです。しかしキトラの星宿早見箱では、上記のとおりピタリ南中とはいかず、その表示は正確さを欠きます。

キトラ天文図は、星の概略位置をフリーハンドで示しただけのものですから、それもやむを得ません。それでも、1300年間で「星時計」の針が、これぐらい巻き戻っているという結論は動かず、「世界で最も古い科学的星図」(※)の名に恥じません。

   ★

以下、書かでものことではありますが、それにしても…と思います。

大陸や半島と活発に交流し、異国の文化を摂取することに殊のほか熱心だった飛鳥・天平の人々のことを思うと、「奈良の女」を名乗り「大和で育った」ことを誇りつつ、排外主義を唱えることが、いかに矛盾に満ちた振る舞いであることか。

それもこれも、本朝が「日出ずる国」から「日没する国」へと転じた証かもしれず、まこと紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき…の感が深いです。

(※)李亮(著)・望月暢子(訳)『中国古星図』、科学出版社東京(2024)、p.186 )