木の葉石と木の葉化石園のはなし(5) ― 2011年03月10日 21時55分56秒
(↑明治時代に出た古生物学の啓蒙書、横山又二郎著 『前世界』 (金港堂、明治41年第5版‐初版は明治31年‐)、表紙絵より)
さて、勇んで木の葉化石園に電話をかけ、待つことしばし。
お忙しい中、しかも突然の電話にも関わらず、館長さん(ここは博物館なので、園長ではなく館長という肩書きになるそうです)から、貴重なお話を伺うことができました。どうもありがとうございました。
以下は館長さんよりお聞きした話。
「化石園の歴史ですか…。当園の沿革をこれまでまとめたことはありませんね。ホームページに書いてあること以外、公の記録は特にないはずです。
まあ、これは申し上げても差し支えないと思いますが、当園は代々家業として継いでおりまして、私で四代目になります。
初代は加藤安次郎といって、元は旗本の三男坊だったんですが、造り酒屋に養子に入った後、そこを飛び出して、塩原で製材所を始めたんですね。化石について、当時はまだ科学的な理解が進んでない頃ですから、安次郎がどこまで木の葉石のことを理解していたかは分かりません。ともあれ、商売向きのこともあり、一帯の地所を買い上げて木の葉化石園として開園したわけです。」
なるほど。
化石園を開いたのは、旗本の三男坊という経歴の人物だったと。
江戸から明治へと移りゆく世相を反映し、いかにも時代を感じさせる話ですね。
(この項つづく)
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