1896年、アマースト大学日食観測隊の思い出(2)2025年07月04日 05時09分16秒

1936年の日食と同様、このときの皆既帯もオホーツク海沿いに延びていました。

(原図NASA、Wikimediaより)

北海道には2つの「えさし町」があります。すなわち江差町枝幸町です(ちなみに「江刺」は岩手県の地名で、現・奥州市)。

(函館の脇にある江差町とオホーツク海に臨む枝幸町(バルーンの位置)。距離にして500km余り)

アマースト隊が布陣したのは、もちろん北の枝幸町です。
余所の土地の人間には紛らわしいですが、現に明治の頃も枝幸のアマースト隊に宛てた手紙が江差に届けられて、配達が遅れに遅れ…なんていうトラブルがありました(欧文なら両方“Esashi”ですから、区別がつかなくて当然です)。

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アマースト隊の日食観測は雲にたたられて、結局失敗に終わったのですが、彼らの事績はわりとよく知られています。アメリカ人の学者一行が、明治の北海道奥地を尋ねたというだけでも一種の冒険譚として興味をそそりますし、彼らと現地の人々との温かい交流が、そこに良いフレバーを添えています。

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アマースト隊の行動を伝えるソースは、主に以下の2冊の本です。

(とりあえず安価なリプリント版を買いましたが、下記のとおりオンラインでも全文読めます)

■P. Tennyson Neely、『Coronet Memories: Log of Schooner-Yacht Coronet on her Off-Shore Cruises from 1893 to 1899』、P. Tennyson Neely, 1899.

まず一冊目は、アマースト隊をのせて太平洋を横断したスクーナー船(大型ヨット)「コロネット号」の航海録集です。便宜的に著者とされるNeelyは正確には編者・発行者であり、実際に文章を綴ったのはコロネット号に乗り組んだ乗員で、航海ごとに別の人が筆を執っています。

(コロネット号。上掲書より。驚くべきことにコロネット号は現存しており、保存修復作業中とのこと【LINK】

コロネット号は、西インド諸島へ、カナダ北部へ、そしてアメリカ大陸最南端のケープホーンを廻ってニューヨークからサンフランシスコへと、文字通り北へ南へ、東に西に、長距離航海を続けましたが、中でも長大な旅が、<ニューヨーク ― サンフランシスコ ― ホノルル ― 横浜>に至る太平洋横断の旅で、これぞ日食観測隊を運んだ航海に他なりません。この航海は本書の白眉として、372頁の本書中、約150頁の紙幅が割かれています。

(太平洋を横断したコロネット号の航路。南回りが往路、北回りが復路。スエズ運河がまだなかったので(1914年完成)、いずれもさらに南米の南端を廻ってニューヨークと往復する行程が加わります)

この太平洋航海を記録したのは「H.P.J.」こと、コロネット号の船長夫人であるハリエット・パーソンズ・ジェイムズ(Harriet Parsons James)で、夫のアーサー・ジェイムズ(Arthur Curtiss James、1867-1941)は、船長といっても職業船員ではなく、鉄道事業と鉱山投資で財を成した大富豪なので、ヨット操船はいわば趣味です。

ハリエットは日本到着後、日食観測隊とは別行動をとり、西日本を観光していたので、観測隊の動向を直接見聞きしたわけではありませんが、それを補うものとして、本書には「付録:蝦夷・枝幸のアマースト日食観測基地からの書簡」という一文が併載されています。これは「J.P.」こと、観測隊の一員であるジョン・ペンバートン(John Pemberton)がハリエットに宛てた手紙で、いわば非公式な遠征日誌です。

その抄訳を以下で読むことができます。

▼佐藤利男、「ペンバートンによる枝幸日食記」、枝幸研究 4(2013)、pp.11-19.

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■Mabel Loomis Todd、『Corona and Coronet』、Houghton, Mifflin and Co.(Boston)/ Riverside Press(Cambridge [Mass.] )、1898

アマースト隊の行動を伝える2冊目は、「1896年8月9日の太陽の完全掩蔽を観測するため、ジェームズ氏のスクーナーヨット・コロネット号に乗って日本へ向かったアマースト日食遠征隊の物語」という長い副題を持った上記の本です。

著者のメイベル・トッドは、前回の記事でもちらっと触れたように、遠征隊の隊長であるアマースト大学のトッド教授(David Peck Todd、1855-1939)の妻です。メイベルは、詩人のエミリー・ディキンスン(Emily Elizabeth Dickinson、1830- 1886)を世に紹介した編集者であり、自身もエッセイストとして知られた人ですから、遠征記の筆録にはうってつけです。

(Mabel Loomis Todd(1856-1932)。1897年刊『American Women』掲載。出典:wikidata

ただし、メイベルもずっと遠征隊に同行していたわけではなく、最初は上記のハリエットたちと共に西日本観光を楽しみ、途中から観光組と別れて、ひとり(といっても日本人通訳が一緒でしたが)海路北海道にわたり、途中難渋しながら、日食の4日前にかろうじて観測隊と合流…という旅路を経験しています。

なお、メイベルの事績と(失敗に終わった)日食観測の旅については、梅本順子氏の一連の論考の中で詳しく述べられています。

▼梅本順子、「メイベル・L.・トッドの見た日本―「明治三陸大津波」の記事を中心に―」、国際関係研究(日本大学)第37巻2号(平成29年2月)、pp.17-24.

▼梅本順子、「メイベル・L.・トッドの見た「アイヌ」― Corona and Coronet の作品を中心に ―」、日大国際関係学部研究年報 第38集(平成29年2月)、pp.29-37.

▼梅本順子、「メイベル・L.・トッドの日本体験」
成城・経済研究 第235号(2022年2月)、pp.31-47.

(この項つづく)