冬の月 ― 2025年12月06日 16時40分41秒
今週は「大忙し」というほどでもないですが、「小忙し」ぐらいではあって、あまり記事が書けませんでした。これも師走ならではですが、もうちょっと余裕が欲しいです。
ときに、昨日は満月。
仕事からの帰り途、東の空に20ワット電球のような月が浮かんでいました。
その暖かい色合いを眺めながら、「ああ冬の月もいいものだなあ」と思いました。
その月を目に焼き付けたまま、新聞を開いて、ハッとさせられました。
中日新聞の夕刊には、「星の物語」という小コラムが連載されていて(姉妹紙の東京新聞にも載っているかもしれません)、その昨日の回に、思わず「なるほど」と思ったのです。
地球が太陽にもっとも近づく、すなわち近日点通過は1月の初めだ…ということは、私も知識として知っていました。しかしそのことは同時に、地球の周りを回る月も、その前後に太陽にもっとも近づくことを意味している…という点まで私の知恵は回っていませんでした。純粋に地球と月の位置関係で決まる「スーパームーン」とは別に、太陽と月の距離を考えれば、冬の月はそれだけ多くの太陽光を受けて、明るく光っているわけです。
冬の月は明るい―。
還暦を過ぎてから、そのことに初めて気が付きました。
ちょうど去年の今頃、「冬は夏より短い」と書きましたが【LINK】、それに匹敵する気付きです。両者は密接に関係しているので、本当だったら去年、「冬の月は明るい」と気づいても良かったのですが、才気煥発ならざる身としてはやむを得ません。
続・冬の月 ― 2025年12月07日 08時43分15秒
一昨日の月は暖かみがありましたが、冬の月といえば、皓々と冴え返る銀月がまず念頭に浮かびます。確かに、あれはいかにも光が強いです。
ふき晴(れ)て 月ひとりゆく 寒さかな
木枯らしが鳴り、耳が切れそうなほど凍てつく晩。
澄み切った漆黒の空に、月だけがまばゆい光を放っている…。
この場合、「ひとりゆく」のは月であり、同時に作者でもあります。
いかにも寒々とした句ですが、こういう凛とした風情を愛する人もいるでしょう。
冷気を肺に取り入れるたびに、身体の中が純化していくような感覚。
★
短冊には「是空」の名がありますが、この句を詠んだのは彼ではありません。
これは一茶の有名な句で、是空はそれに敬意を表しつつ筆意を凝らしたのでしょう。
是空については、短冊を包む「たとう」に以前の持ち主によるメモがありました。
ふきはれて月ひとりゆく寒さかな 下絵短冊
「是空 葛飾北斎四世画師 曇華」
是空 森崎氏 明治十二年没七十四才。通称幸左ヱ門。尾藩広敷詰。書を教へ、小沢さゝをに俳諧を学ぶ。熱田の衰へた俳風を興す。
「是空 葛飾北斎四世画師 曇華」
是空 森崎氏 明治十二年没七十四才。通称幸左ヱ門。尾藩広敷詰。書を教へ、小沢さゝをに俳諧を学ぶ。熱田の衰へた俳風を興す。
森崎是空(1806?-1879)は、『名古屋市史 人物編 第2』にやや詳しい記述があり、上のメモもそれに基づいているようです。元は尾張藩に仕える小身の武士でしたが、中年以降職を辞して熱田に隠棲し、子供たちに書を教えるかたわら俳諧を学び、後にひとかどの宗匠となって門人多数…という経歴の人で、要は名古屋で活躍した地方文人のひとりです。
ただし是空が曇華という画号で絵師としても活躍したという記述は諸書に見えないので、これは更なる考究を要します。
ちなみに「葛飾北斎四世」とは、北斎を代々襲名したその4代目という意味ではなく、北斎の「曾孫弟子」という意味だと思います。北斎は文化9年(1812)と文化14年(1817)の2度にわたって名古屋に長期滞在し、牧墨遷、葛飾北雲、葛飾北鷹、葛飾戴懆、沼田月斎らの弟子をとっているので(吉田俊英『尾張の絵画史研究』)、彼らの孫弟子となれば、まあ「葛飾北斎四世」を名乗っても辛うじて許されるだろう…というわけです。
なお、短冊のツタ模様は肉筆ではなく木版ですが、ひょっとしてその下絵を描いたのが是空(曇華)なのかな?とも思いましたが、これまた確かなことは分かりません。
原色版の雄、田中松太郎 ― 2025年12月10日 06時03分38秒
この前の休日、余裕成分を補うべく、ことさら風流を気取って展覧会に行ってきました。名古屋の徳川美術館で開催されていた「開館90周年記念特別展/国宝 源氏物語絵巻」です(会期は12月7日まででした)。
まあ風流はいいとして、「源氏物語絵巻」自体は、このブログと特に関係ないわけですが、現代の出版文化史に関連して、私はこの絵巻物にある種の興味を抱いていました。ここにそのことをメモ書きしておきます。
それは原色版の印刷技術に関する興味で、それならば図鑑史などとも関係してくる話題ですから、まんざらこのブログと無縁とも言い切れません。
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源氏物語絵巻は名だたる国宝として、これまで繰り返し複製図版が作られてきましたが、その最初のものは、おそらく昭和11年(1936)に徳川美術館が自ら出版したものと思います(違っていたらごめんなさい)。
当然、これは前年(1935)の徳川美術館の開館を記念する出版物でしょう。
と同時に、尾張徳川家に伝来したこの絵巻物(巻子形式の3巻本)を経年劣化から守るため、昭和7年(1932)、すべて継ぎ目から分離し、台紙貼りの額装形式に改装したのを記念する意味合いもあったと思います(本の序文に改装の理由や経緯が詳しく書かれていることから、そんな気がします)。
結果的に、この改装はさらなる劣化を招くことになり、平成の後半に再改装が施され、全15巻の巻子本に姿を改めました。皮肉といえば皮肉な結果ですが、その時々で最善手と思う手を打っても、結果が伴なわないことはままあります。
★
この昭和11年の複製版は、その制作経緯からして、潤沢な資金と当時最高の技術を使って作られたもののはずで、昭和戦前の日本の原色版印刷の水準を知るには恰好の一冊です。その中身は国会図書館のデジタルコレクションで手軽に眺めることができますが【LINK】、印刷精度を知ろうと思えば、やはり原本を見るにしくはなく、古書店で出物を見つけて購入しました。
(全体を包む帙のサイズは27.5×40.2cm)
国会図書館本は赤い布表紙を付けて製本されていますが、手元の一冊は各図版が未製本のバラの状態で帙(ちつ、ポートフォリオ)に収納されています。おそらくこれがオリジナルの出版形態と思います。
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戦前のカラー印刷(3色分解の網目製版)は、どんなに頑張っても、どうしても寝ぼけた色合いになりがちでした。もちろん例外もあって、過去記事だと『鳥類写生図譜』も素晴らしい出来でしたが【LINK】、この源氏物語絵巻はそれに匹敵するものです。
その仕上がりは驚くほど鮮麗で、精彩に富んでいます。
拡大すると、網点の粗さがやはり目に付くものの、その鮮やかな色合いは、とても戦前の出版物とは思えません。
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これほどの印刷物を生み出したのは、田中松太郎(1863-1949)が率いた「半七写真製版印刷所」です。
(「編集者代表者」として名前の挙がっている鈴木信吉は、尾張藩旧臣の家に生まれ、銀行家として世に出た後、尾張徳川家の家令を務めた人。「家令」というのがいかにも時代がかっています)
同社は大正4年(1915)の創業で、今も「半七写真印刷工業株式会社」として存続しています。今回、同社のサイト【LINK】の「沿革」欄を読んで、少なからず心を打たれたので、その一部引用させていただきつつ、あらましを述べておきます。
田中松太郎が生まれたのは、和暦でいうと文久3年で、まだ江戸時代のことです。
富山県の下級武士の家に生まれた彼は、20歳で東京に出て、写真術を学びます。そして師の店を継ぎ、明治33年(1900)にパリ万博の日本事務所員として渡欧。洋画家の浅井忠に勧められ、写真製版術を学ぶべく、そのままウィーン王立写真学校に入学し、そこで三色版印刷の技を学びました。明治42年(1909)に帰国した後、いくつかの印刷会社勤務を経て、大正4年(1915)年、ついに自らの会社「田中半七製版所」を創業しました。
田中松太郎は、日本に三色分解印刷を導入した草分けであり、それを先導した人です。「沿革」の記述によれば、「カラー印刷技術については日本一と、自他ともに認めていたため、高名な画家が自ら作品を半七に持ち込み、松太郎の仕事部屋には何枚もの絵画があったといいます。自身も芸術家と自負していた松太郎の仕事は徹底していました。当時松太郎は社員から先生と呼ばれており、半七は、企業というよりも私塾のような雰囲気がありました。」といった塩梅で、彼は自ら芸術家を以て任じていました。松太郎にとってカラー印刷は芸術的営為であり、この絵巻複製もそれ自体が「芸術作品」と呼びうるもの…ということになります。
★
「なーんだ、ただの印刷じゃないか」という言い方に象徴されますが、手仕事の作品と比べて、印刷作品は一段低く評価されることが多いです。実際「ただの印刷」としか言いようのない場合も多いわけですが、その一方には冴えた職人技による芸術的な印刷作品があるのも確かです。あるいは、すぐれた印刷はそれ自体「手工芸品」であり、今もそれは続いていると言った方が正確かもしれません。
ひょっとしたら、将来的に印刷本は版画作品と同一カテゴリーでくくられ、デジタルデータと対比される存在になるのかもしれません。実際、紙にインクが載った人工物として、両者の距離はそれほど隔たっているわけではありません。
トルーヴェロ天体画集 ― 2025年12月13日 08時27分22秒
最近の買い物から。
天体画の名手、エティエンヌ・トルーヴェロ(Étienne Léopold Trouvelot、1827-1895)による天体画を、絵葉書サイズでプリントした15枚セット。
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その名前から分かるように、トルーヴェロはもともとフランスの人で、20代でアメリカに渡り、最初は昆虫学者として世に出ようとしましたが、途中で天文学に転身し、天体画家として名を成した人です。
彼は昆虫学も天文学もアマチュアの立場でしたが、並外れた画力の持ち主だったので、最初はハーバード大学天文台に、次いでアメリカ海軍天文台にスタッフとして招かれ、あまたの天体スケッチを描きました(その後フランスに戻り、晩年はムードン天文台で働きました)。
(Étienne Léopold Trouvelot。出典:Wikipedia同人の項)
その作品の中でも最高レベルのものを15枚精選して、石版で再現したのが、『トルーヴェロ天体画集(Trouvelot’s Astronomical Drawings)』です(Charles Scribner's Sons〔NY〕、1881/ 82。各図版のサイズは約41×51cm)。
ニューヨーク・パブリックライブラリーの解説によれば【LINK】、当時おそらく300部程度が刷られ、現存する完品は4セットが知られるのみとのことです。
トルーヴェロの作品は“美術作品”ではなく、あくまでも“科学資料”でしたから、天体写真の進歩とともに、その資料的価値が失われた(と考えられた)ことで、各地の図書館もずんずん廃棄するし、マーケットに流れた分も速やかに散逸した…という事情があるようです(ニューヨーク・パブリックライブラリーと並んで、その完品を所有するカリフォルニアのハンティントン・ライブラリーの解説が、その点に触れています【LINK】)。
このスケッチ集が厳密な科学資料である証拠として、そこに詳細な解説書(『The Trouvelot astronomical drawings manual』)が付属し、観測データが明記されていることが挙げられます。このマニュアルは現在オンラインで読むことができます【LINK】。
まあ何にせよ、この石版画は今では非常な稀品で、入手困難と思います。
以前、海外の古書店で1枚だけバラで売っているのを見ましたが、それにはウン十万円もの値がついていました。したがって私にはとても手の届かない「夢の逸品」ですが、いつか実物を拝めるなら拝みたいものです。
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このカードは、トルーヴェロの名品を手にとって眺めるためにEtsyで買いました。(眺めるだけならネット上でも簡単にできますが、それだと手に取ることができません)。
まあ、公開されている画像データをインクジェットでプリントしただけの品ですから、通常の意味での「印刷」ですらないんですが、しかし発色の良い紙を使っているおかげで、見る分にはなかなか美しい仕上がりになっています。
(同じものを買われる方への注意喚起ですが、このカードは決して個袋(アクリルポケット)から出してはいけません。指ずれしてインクが剥落します。私もそれで失敗して、1枚作り直してもらいました。)
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今ではこういうプリント作品を、もったいぶって「ジクレー版画」と呼んだりする向きもあるようですが、少なくともこれは版画ではないですね(何しろ「版」がありませんから)。こういうのを「版画」とネーミングすること自体、「印刷よりも版画の方がえらい」という思い込みが、売り手にも買い手にもあることの証しでしょう。
夢の女性、幻の小部屋 ― 2025年12月14日 16時44分01秒
名古屋に住んでいても、近場で生活が完結していると、意外と名古屋駅に出向くことは少ないです。先週の金曜日、仕事の関係で、しばらくぶりに名古屋駅前に行き、昔の東急ハンズ――今はカインズに身売りして、ただの「ハンズ」――を覗きました。こだわりの理系・博物系アイテムを並べた「地球研究室」は健在で、ちょっとホッとしました。
そこで博物趣味の品をいくつか手にして、私のヴンダーごころもまた健在であることを確認する一方、時計荘の島津さんの作品が出品されているのを拝見し、先日いただいたご案内の葉書を思い出しました。
■フロイライン・シュプレンゲルの秘密の小部屋。
2025.12.5(金)〜12.28(日) 16~22時(月火水休)
THE STUDY ROOM分室 マーチエキュート店(JR秋葉原駅隣接)
(千代田区神田須田町1-25-4 1階S2区画)
出展作家(敬称略): 時計荘(島津さゆり)、cocoon、dubhe
2025.12.5(金)〜12.28(日) 16~22時(月火水休)
THE STUDY ROOM分室 マーチエキュート店(JR秋葉原駅隣接)
(千代田区神田須田町1-25-4 1階S2区画)
出展作家(敬称略): 時計荘(島津さゆり)、cocoon、dubhe
頂戴した案内状には、以下のように本展の趣旨が書かれていました。
「知と美、神秘と理性が交差する、静謐なる聖域への招待状
フロイライン・シュプレンゲル(Fraulein Anna Sprengel)は、19世紀末の伝説的な女性魔術師であり、黄金の夜明け団の創設神話に登場する人物です。本展では実在が定かでない彼女の書斎の奥に隠された小さな部屋を、文化財指定の古いレンガ壁に囲まれたTHE STUDY ROOM分室を会場とし、時計荘、cocoon、dubheが再構築します」
フロイライン・シュプレンゲル(Fraulein Anna Sprengel)は、19世紀末の伝説的な女性魔術師であり、黄金の夜明け団の創設神話に登場する人物です。本展では実在が定かでない彼女の書斎の奥に隠された小さな部屋を、文化財指定の古いレンガ壁に囲まれたTHE STUDY ROOM分室を会場とし、時計荘、cocoon、dubheが再構築します」
★
フロイライン・シュプレンゲルとは何者か?
そして、黄金の夜明け団とは?
私はいずれも無知だったので、とりあえずウィキペディアを見に行き、そのおぼろげなイメージをつかみました。
それによれば、「黄金の夜明け団」とは、19世紀末のイギリスで生まれた秘教的オカルト運動グループの1つであり、同時代のドイツ人女性、アンナ・シュプレンゲルは、薔薇十字団の教義を受け継ぐ女性として、黄金の夜明け団の正統性にお墨付きを与えた人物とのことです。アンナには、バイエルン王・ルードヴィヒ1世の落とし種という貴種譚もつきまといますが、そもそもアンナという女性は実在せず、黄金の夜明け団の「箔付け」のために仮構された人物だ…というのが、どうやら定説のようです。いわば、彼女は霧の向こうの世界、虚実の間に生きる女性です。
でもそれを言い出せば、本家の薔薇十字団だって、その創設者とされるクリスチャン・ローゼンクロイツは、やっぱり虚実の間を生きた人で、これまた薔薇十字団の「箔付け」のために生み出された人物というのが、大方の見方らしいです。
まさに逃げ水。どこまで行っても霧は晴れず、その霧は近代からルネサンス、そして中世から古代、さらには神話時代にまで切れ目なく続き、いよいよ濃く、我々の想像力を刺激します。
★
今回の展示会はその幻のアンナ・シュプレンゲルの書斎の、そのまた隠し小部屋を覗き込もうという、夢の世界で夢を見るような企画です。
その会場には、おそらく素敵な、美しい、そして不思議な品々が並んでいることでしょう。でも、その幾重にも入れ子構造になった迷宮こそが、実は今回最大の見どころであり、主催者の意図するところかもしれません。
★
人間は常に夢と幻を必要とする存在であり、社会の正統が夢と幻を排除すればするほど、反動で夢幻世界への関心も高まるのが常です。理性の勝利を謳った啓蒙主義の時代も、石炭と蒸気ハンマーが世界を席巻した産業革命後の時代も、その一方でオカルティズムが非常な隆盛を見せました。
では、情報の渦と電脳が世界を覆っている今の時代はどうか?
必然的に思いはそこに至ります。
たぶん、今は「情報の渦と電脳」それ自体に人間が眩惑されているので、あまり夢幻を必要としていないようにも見えますが、でもこの先、「そこに夢幻は無い!」とはっきりすれば、当然のごとくオカルトの波が再来するのではないでしょうか。
オキナエビス ― 2025年12月20日 15時10分53秒
いよいよ年も押し詰まってきました。
何だかんだ仕事が重なり、慌ただしい年の瀬です。
“心を亡くす”と書いて「忙」、“心が荒れる”と書いて「慌」。
まあ何にせよ、繁忙は心によくありません。
★
さて、先週末にハンズの地球研究室で、自分へのクリスマス・プレゼントとして3点、あるいは数え方によっては、2点の品を購入しました。
その1点目は巻貝の化石です。
貝の化石は、新生代のものが各地に産するので、木の葉石とともに化石採取の入門編として親しまれた方も多いでしょう。
でも、今回手にした化石は古いです。
約1億5千万年ないし2億年の昔、ジュラ紀の海に生きたオキナエビス類(オキナエビスは「オキナエビス科」に属する貝の総称)の化石です。
(Bathrotomaria 属の一種。マダガスカル産)
付属のラベルにあるとおり、オキナエビス類は、殻口から巻きの方向に沿って切れ込みのあるのが特徴で、英語では「スリット・シェル」と呼ぶそうです。
この化石も口縁部に大きな「欠け」がありますが、スリットに沿って破損が生じたためでしょう。
★
オキナエビスが名高いのは、何といってもそれが「生きた化石」だからです。
それまで化石種しか知られていなかったのが、1856年に生体がカリブ海で発見されたという、その後のシーラカンス発見騒動(1938年)のようなエピソードとともに、その存在は広く知られるようになりました。
でも、それは学術的に記載されたのがその年ということで、「オキナエビス」という和名自体は、江戸時代の武蔵石壽(むさしせきじゅ、1766-1861)が著した貝類図譜『目八譜』(1844)に、エビスガイ(オキナエビスとはまったく別のグループ)の老成したものとして、「翁戎(おきなえびす)」の名とともに図示されているのが最初だそうです。
またさらに古く、木村蒹葭堂(きむらけんかどう、1736-1802)は、1755年に著書『奇貝図譜』において、紀伊産のベニオキナエビスを「無名介」〔介は貝に同じ〕として図示していることを、荒俣宏さんの『水生無脊椎動物(世界動物博物図鑑 別巻2)』で知りました。もちろん「生きた化石」とは知る由もなかったでしょうが、日本では古くから採取され、その存在が認知されていたようです。
地球研究室で買った2点目は、そのベニオキナエビスの標本です。
(このスリットは呼吸に用いた水や排せつ物の排出用)
(種小名のhiraseiは、明治の貝類学研究者・平瀬與一郎に献名されたもの)
これを手にする気になったのは、たまたま化石種と現生種の両方がショーケースにあったため、特に興味をそそられたからです。したがって、私の中でこれは2点で1点です。
2つのオキナエビスを見比べて、何を思うか。
地球の歴史、生物の歴史、その末端に位置するヒトの歴史。
思うことは多々あります。でも、2つの貝殻がものを言えたら、お互いの姿を見て、さらに多くのことを語り合うかもしれませんね。
ウミグモ ― 2025年12月21日 09時38分00秒
地球研究室で購入した第3の品。
その正体はラベルに明記されているように、ウミグモの一種である「ヤマトトックリウミグモ」です。
それにしても、何と奇怪な姿でしょうか。
ウミグモ類(ウミグモ綱)は、節足動物の仲間で、系統的には昆虫よりもクモに近いのですが、クモ類とも進化の過程で、遠い昔に袂を分かった全く別のグループです。とはいえ、その進化や系統関係は、まだまだ不明の点が多い謎の生物群。
ウミグモ類は、化石種も含めると複数のサブグループに分けられますが、現生種はすべて「皆脚目(Pantopoda)」に分類されます。
「皆脚目」とはよくぞ名づけたものです。クモにしろ、カニにしろ、同じく足長のザトウムシにしろ、いずれも「胴体」と称する部位ははっきりしているのに、ウミグモは本当に足ばかりの姿です。
(裏面は樹脂の表面が少しざらついていて、透明度が低いです)
上は裏面から撮影した姿ですが。こうして較べても、どちらが背でどちらが腹かよく分りません。ウィキペディアの記述を引けば、「外骨格は他の節足動物で一般に見られる明確な上下区別(背板 tergite と腹板 sternite)はない」とのことなので、これもウミグモ類の大きな特徴でしょう。
その姿はいかにも原始的であり、ヒトの姿からは遠く、だからこそ感情移入もしにくいし、不気味な印象を受けます。幽霊や妖怪とは別種の、いわばエイリアン的な不気味さですね。でも逆説的に、だからこそ興味を覚えるし、私の心を捉えたのも、その不気味さと深海ロマンがまじりあった不思議な魅力です。
この樹脂封入標本はラベルの記載がきわめて詳細で、その点も理科室趣味に強く訴えかけるものがあります。採集日は2025年1月6日、静岡県戸田(へだ)港沖の駿河湾、水深380メートルの深海域で採取された個体です。
標本を製作したのは、田崎義勝氏が設立した深海調査研究会社、田崎物産「深海倶楽部」【LINK】です。同社は営利活動とは距離を置いており、その標本をオンラインで販売することも一切なく、唯一ハンズ名古屋店の地球研究室でだけ展示販売を行っている由(地球研究室のバイヤーさんが相当頑張ったのでしょう)。
その意味で、これは非常に貴重な標本であり、同社の姿勢にも少なからずロマンを感じます。
ロケットサンタ ― 2025年12月24日 13時12分12秒
今年の冬至は、一昨日の12月22日でした。
冬至はもちろん昼間の長さがいちばん短い日で、同時に太陽高度がいちばん低い日でもあります。この日を境に、太陽の南中高度は徐々に高くなり、日脚も伸びていきます。
したがって冬至の日に太陽の復活を祝い、冬至を以て新たな1年の始まりとした観念や古俗は、おそらく世界中に遍在するでしょう。クリスマスの諸行事も、その古俗の上に成り立っているというのが定説かと思います。
「Merry Christmas and Happy New Year!」と、クリスマスも新年もいっぺんに祝う挨拶は、そんな気分を引きずっているのかもしれません。
★
上は1960~70年代、旧ソ連で発行されたクリスマス絵葉書。
この時代は本当に何でもロケット尽くしですね。
こちらのサンタはスプートニク1号、2号、3号とおぼしい人工衛星にそりを引かせて、子供たちのところに急いでいます。
こちらは、ご自慢のそりすらも打ち捨てて、ロケットでひとっ飛び。
上の2枚は、旧ソ連邦を構成するエストニアで発行されたものらしく、言葉はエストニア語です。
旧ソ連は(今のロシアも)相当いかつい国でしたが、こういう素朴な童心画をよくする一面もありました。
★
葉書に書かれた文字は、ロシア語の方は、「C Новым годом」(ラテン文字にすれば「S Novym godom」、Googleの発音だと「ス・ノーヴム・グオダム」に聞こえます)、エストニア語の方は「Head uut aastat」(同じく「ネアデー・ウータースタ」)で、意味はどちらも「Happy New Year」。
クリスマス・カードなのに新年のことしか言ってないのは、冒頭に書いたような理由か、非宗教国家だったせいかな…と最初思いましたが、そもそも東方正教会はユリウス暦を使っているので、クリスマスが1月7日になるというのが、最大の理由のようです。かの国のクリスマスは、年末ではなく、正月行事ですね。
★
日本の年末はひたすら慌ただしいですが、ホッとするひと時も必要です。
皆さま、どうぞよいクリスマスを。
クリスマスに寄せて…もう一人のアリス(前編) ― 2025年12月25日 18時52分49秒
1862年の夏、筆名「ルイス・キャロル」で知られる、オックスフォードの数学講師、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(1832-1898)は、先輩上司の娘であるリデル家の三姉妹とピクニックに出かけ、そこで彼が子どもたちに語って聞かせたたお話しが元になって、あの『不思議の国のアリス』(1865)が生まれたことはよく知られます。
『不思議の国のアリス』が商業出版される前年に当たる1864年、ドジソンはリデル家の次女、アリス・リデルの求めに応じて、手書きの物語『地下の国のアリス』を完成させ、これをアリスへのクリスマス・プレゼントとしました。言うまでもなく、これが『不思議の国のアリス』の原型であり、挿絵も文字もドジソンの肉筆という、世界でたった一冊の珍本です。これは後に富豪たちの手から手へと渡り、最終的に大英図書館の蔵書となりました。
(『不思議の国のアリス・オリジナル』と題して、1987年に刊行された『地下の国のアリス』の原本複製)
★
同時代のイギリスには、ドジソンと似たようなマインドの人が他にもいたのでしょう、先日…といっても、ずいぶん前ですが、不思議な本を目にしました。
(判型は新書版よりわずかに大きいサイズ)
ごく薄手の本ですが、総革装で、天地と小口に金箔を押した、いわゆる「三方金」の立派な造本です。表紙に光る金文字は、「A. A. L. R. とその姉妹たちに(許しを得ることなく)捧ぐ」。
見返しも至極上質の模様紙で、この本に込められた愛情のほどが察せられます。全体の感じは、この本がヴィクトリア朝中期、まさに『アリス』と同時代の作であることを窺わせます。
これがタイトルページ。
題して、『Septentriones. A Christmas Vision(北斗七星。あるクリスマスの夢)』。
ご覧のとおり、本書は挿絵も文字もすべて手描きで、まさに『地下の国のアリス』と同工の作品です。そして本を捧げられた「A. A. L. R.」とは、「Alice, Ann, Louie, Rosa」の4人の頭文字で、これまたアリスつながり。3番目のルーイは男女両用の名前ですが、その内容からやっぱり女の子らしく、こちらのアリスは、「その姉妹たち」も含めて、女の子ばかりのきょうだい――タイトルの「北斗七星」から察するに7人姉妹――の長女なのでしょう。
ちなみに、ドジソンの小さな友人・アリスの方は、長女ロリーナ (Lorina)、次女アリス(Alice)、三女イーディス (Edith) の有名な三姉妹以外に、2人の兄、2人の妹、3人の弟がおり、早世した兄と弟を除くと8人兄弟姉妹の3番目でした。当時の人は実に多産です。
★
これがドジソンの作品だったらすごいのですが、まあそんなことはなくて、無名の人物の筆のすさびに過ぎませんが、そこに漂うフレーバーは、ドジソンの『アリス』の世界を彷彿とさせ、興味は尽きません(それとも当時は、お手製の本をクリスマスにプレゼントするのが流行ってたんでしょうか)。
そして、私がこの本に興味を覚えたのは、そればかりではなく、これが姉妹を星になぞらえた、一種の「夜想詩集」だったからです。
(次回、本の中身を見てみます。この項つづく)
クリスマスに寄せて…もう一人のアリス(中編) ― 2025年12月26日 17時03分36秒
今日は仕事納め。早々に仕事を切り上げて、日の高いうちに家路につきました。
昨日の雨で空は青く澄み、光がキラキラした粒のようです。
しかし風はとても冷たく、時々ごうごうと樹をゆらしました。
この時期の「明るく冷たい日」が私は好きで、しみじみ一年の終わりを感じました。
★
さて、昨日のつづき。
この本は本文わずか7頁ですが、冒頭に立派な「序文」があります(序文は1頁半にわたります)。以下、試訳(適宜太字)。
<序>
日は沈み、薄暗き夜が 空にそのマントを広げた。
月もなく、星もまた、人の目には見えぬ。
日は沈み、薄暗き夜が 空にそのマントを広げた。
月もなく、星もまた、人の目には見えぬ。
人々が眠りにつき、一日の過酷な労苦に 疲れ果てた体を休めている間、
学生はただ独り、本を読み、「真夜中の灯火(ともしび)」を燃やし続ける。
やがて本は閉じられた。―― 彼は表へ歩み出し、 天の穹窿を仰ぎ見る。
星は見えず、その夜は月さえも 光を授けてはくれなかった。
歩みを進めるにつれ、彼の心には悲しみが満ち、 魂には重苦しい影が差す。
「この果てしない営みは、いつ終わるのだろうか」
「いつになったら、目的地へ辿り着くのか」
そう沈思に耽っているとき、一つの星が顔を覗かせた。
そして、次から次へと星々が現れる。
新たな勇気が湧き上がり、思考は流れ、
次のような言葉となって溢れ出した。
末尾の一句、「次のような言葉となって溢れ出した」というのは、すなわちこの後に続く一連の詩を指します。
ご覧の通り、本書は元祖『アリス』のようなナンセンス・ストーリーとは違って、結構まじめな調子で書かれています。でも、表紙の「Dedicated (without permission) to」のフレーズに漂う調子を考えると。著者はやはりユーモアを解する人だったでしょう。
全体の主語は「学生(the student)」で、著者は7人姉妹のお父さんではなく(最初はその可能性も考えました)、一人の青年であることを物語っています。そもそもお父さんだったら、上の4人の名前だけ出して、下の3人は「その他大勢」みたいな書き方はしないでしょう。ある人に言わせれば、著者は一家と親しい年上の従兄、あるいは姉妹の家庭教師ではないか…というのですが、その辺が正解のように思います。
★
まず最初は長女・アリスに献じられた詩です。
<アリス>
そよ風に運ばれ、 私の心の奥底にまで届くあの音は何だろう。
またしても聞こえてきた。
そして私は その場を立ち去りがたく、足を止める。
そよ風に運ばれ、 私の心の奥底にまで届くあの音は何だろう。
またしても聞こえてきた。
そして私は その場を立ち去りがたく、足を止める。
ああ! それは君の甘い歌声が奏でる調べ。
夢を見るまで私たちを癒やしてくれる鳥のさえずりのようだ。
目覚めて、その響きが止んでしまったとき、
この世がいかに悲しく見えてしまうことか。
君こそが、その声を放つ星なのだ。
君の穏やかな光は、私の不安をすべて消し去ってくれる。
「天球の音楽」を絶えず導いているのは、
君の穏やかな光は、私の不安をすべて消し去ってくれる。
「天球の音楽」を絶えず導いているのは、
私には君であるように思えるのだ。
アリスは「天球の音楽」を甘美に歌う星だというのです。
序文では姉妹が「暗夜に現れ、青年を勇気づけた星たち」にたとえられましたが、詩の中でも、姉妹はそれぞれ星になぞらえて称賛されています。
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続いて、次女・アンに贈る詩。
<アン>
その昔、澄み渡る青き湖のほとりに、 一人の佳人が住んでいたという。
その湖面は、彼女の穏やかで美しい瞳のように、
その昔、澄み渡る青き湖のほとりに、 一人の佳人が住んでいたという。
その湖面は、彼女の穏やかで美しい瞳のように、
天空の弧からその色を写し取っていた。
そして彼女の肩には、混じりけのない黄金の波が、
太陽の光に染まった泉のように溢れていた。
幼き頃から、その最期の日まで、彼女は麗しかった。
幼き頃から、その最期の日まで、彼女は麗しかった。
この二番目の星が、私にその面影を思い出させる。
だが、その星は、かつての彼女の顔よりもなお明るい。
黄金の髪をなびかせたあの佳人も、確かに愛らしかった。
けれど、私にとっては、君の面差しの方がはるかに愛おしい。
文中、「二番目の星」とあるのは、言うまでもなくアンのことです。
星の7人姉妹といえば、プレアデスを連想しますが、この詩集は7人姉妹を北斗七星にたとえていて、次女のアンを「二番目の星」と呼んだのでしょう。
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この続きは、「後編」にゆずりますが、こうしたロマン主義全開の情調にはピンとくるものがあります。すなわち「星空浪漫、明治から大正へ」と題して、(1)(2)(3)の3回にわたって書いたことと、これは地続きだと思います。
佳人の面影に星の美を重ねる。
あるいは、星の光の向こうに麗しい人を思い浮かべる。
こうした文学的趣向が日本に移植されて、明治浪漫派の星菫趣味を生み、そこから野尻抱影や山本一清も育っていきました。それを考えると、この無名子の詩心は、まんざら現代の我々と無縁ではありません。
(この項つづく。次回完結予定)








































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