賢治、銀河より帰省す ― 2017年08月05日 18時23分12秒
今から25年前、宮沢賢治だけをテーマにした雑誌『アルビレオ』というのが、賢治の故郷岩手で産声を上げました。ビジュアル面を重視した、なかなか洒落た感じの雑誌でしたが、俗に言う「3号雑誌」の例に漏れず、『アルビレオ』もわずか3号で休刊を余儀なくされたのでした。
以前の記事でも触れましたが、日の目を見ることのなかった、その幻の第4号では、「長野まゆみ――私の賢治」というインタビュー記事が載るはずでした。
■「アルビレオ」 という雑誌があった
上の記事を書いた時、貴重な機会が失われたことを知って、とても残念に思いました。
その後も、長野氏が賢治作品を常に手元に置き、繰り返し読まれていたことを知り(http://mononoke.asablo.jp/blog/2013/09/18/)、長野氏が賢治に向けた思いに、いっそう興味を覚えましたが、氏が実際のところ、賢治をどう評価しているのか、その肉声はちょっと遠い感じがしていました。
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しかし、この度ついに長野氏が正面から賢治に取り組んだ「評伝」が世に出ました。
(装幀:名久井直子、装画:山下陽子)
長野まゆみ(著)、『銀河の通信所』、河出書房新社、2017
この本は今日届きました。
奥付の発行日は「8月30日」となっているので、本当に出たばかりの本です。
この本は、上述のとおり、長野氏による賢治の「評伝」と言っていいと思うのですが、その結構が変わっていて、関係者へのインタビュー集の体裁をとっています。
インタビューを受けるのは、賢治本人、賢治の同時代人、そして賢治の作中人物に仮託した純粋な空想的存在。そして、インタビューするのは、「銀河通信速記取材班」に所属する児手川精治氏ら。
児手川氏は、河出書房の前身「成美堂」に勤務されていた方です。
当時の成美堂は、農事関係の出版物に力を入れており、児手川氏は、賢治の師匠に当る恒藤規隆博士の講義録の編纂なども手掛けた関係で、賢治の科学的知識の背景をよく知り、また速記術にも長けた、今回のインタビューにはうってつけの人です。
…といって、児手川氏が本当に実在の人なのか、そこが何となくボンヤリしています。仮に実在の人としても、児手川氏は昭和16年に病没したと書かれているので、結局、このインタビューは「非在の人物による、非在の存在への聞き書き」であり、死者とも自在に交信できる銀河通信所以外には、なし得ない仕事です。
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こう書くと、何だかフワフワした、大川ナントカ氏による駄法螺的書物を想起されるかもしれませんが、それは全く当りません。むしろ、これはファンタジックな設定とは裏腹に、相当手堅い作品です。その記述はすべて賢治作品からの引用、歴史的事実、状況証拠を踏まえた推論に基づくもので、ここであえて「評伝」と呼ぶ所以です。
賢治の同時代人として、稲垣ATUROH、北原百秋、内田白閒といった人物が、語り手として登場しますが、これは作者のちょっとした韜晦(とうかい)で、文中に引用されているのは、全て足穂、白秋、百閒その人の文章です。
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結局のところ、ここに書かれているのは、全て彼らの口を借りた、長野まゆみ氏の賢治評です。長野氏の描く賢治像は、歴史的にも、人間的にも実にリアルです。また作品と作者の関係をめぐる考察も、深く頷けるものがあります。こうしたことは、長野氏の賢治像が一朝一夕にできたものではないことを、はっきりと示しています。
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長野氏ほどの文才がないせいで、いかにも抽象的な評言に終始しましたが、この本は新たな賢治論として、また長野まゆみという作家を評価する上で、見落とせない一書だと思います。
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