父蜂、母蜂 ― 2025年10月01日 19時47分17秒
(今日は2連投です)
今朝、メダカに餌をやるため庭に出ました。
視線は自ずと例のハチの巣に向きましたが、今朝はなんだか様子が違いました。
いつもより羽音が激しいので、目をこらしたら、巣の周りに15匹あるいはそれ以上のハチがぶんぶん飛び回っていました。中には2匹がもつれあうように、飛んでいるものもいます。
あっと思いました。まぎれもなくハチの結婚飛行です。
10月に入ると、新世代の女王バチと雄バチの巣立ちがあるだろうと、先日書いたばかりですが、まさか10月の第一日にそれが起きるとは思いもよりませんでした。
家族にそれを告げ、15分後に再び見に行ったら、ハチたちの姿はすでに消えていました。結婚飛行は、本当にごく短時間で終結するもののようです。偶然それを見られたのは幸運でした。こうして雄バチはじきにその短い生涯を終え、女王バチは越冬体制に入り、来春新たな巣作りにチャレンジすることになります。
ハチの結婚飛行を目にしたのは、生まれて初めてのことです。
少なからず感動もしたし、これはハチの巣の駆除を思いとどまったことに対する、ハチからの贈り物だと思いました。
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ところで、これは後から気が付いたことですが、今日の明け方、私は亡き父母の夢を見ていました。随分と込み入ったストーリーの夢です。両親の夢を見ることはめったにないので、そのことが強く印象に残ったのですが、改めて考えると、何やら不思議な暗合のようでもあります。

庭の倫理と法理 ― 2025年09月27日 14時06分14秒
庭にスズメバチが巣を作りました。
数日前まで気付きませんでしたが、いつのまにか大きな巣ができていました。
スズメバチの姿は前から目にしていましたが、どこか他所から飛んできたんだろう…ぐらいに思って、あまり気に懸けずにいました。しかし、このあいだ庭木を切ろうとしたら、2匹のハチが同じ場所から飛び立ったので、ようやく巣の存在に気付いたわけです。
(巣の直径は約20cm 。1匹が巣の入口を守っています)
この時期、ハイキング中の人が襲われたりしてニュースになるのは、攻撃性の強いオオスズメバチで、庭にいるのはコガタスズメバチですが、コガタと言っても、それはオオスズメバチと比べての話で、普通に考えれば十分大型です。しかも見た目がオオスズメバチそっくりなので、端的に言って怖いです。
(オオスズメバチ)
これでは枕を高くして眠れんぞ…と思って、ハチ用防護服と専用の殺虫剤をアマゾンで注文しました。
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しかし、その到着を待つ間に、「待てよ…」と思いました。
私とハチはこの夏の間、ずっと平和裏に共存してきました。コロニーの拡大期も、先日不用意に巣に近づいた時も、彼らがこちらに積極的に害をなすことはありませんでした。
これはコガタスズメバチならではの事情が大きいようです。
「本来は攻撃性の低い種で、巣がある木を揺らすなどしない限り、知らずに巣に近づいても警告すらしてきません。〔…〕蜂の活動が盛んになる頃の巣でも、バレーボールより小さめくらいの大きさから、せいぜいバスケットボールくらいの大きさまでで、オオスズメバチやキイロスズメバチの巣に比べてはるかに小型です。
事前に巣の存在に気がついたなら、巣のある木に震動を与えないとか、数メートル以内に近づくことを避けるようにしておけば、本種に刺されることはほぼないと思われます。
〔…〕女王蜂1匹による単独営巣期や、まだ働き蜂の数が少ない時期であれば、駆除は容易です。特に近づくこともない場所であれば、無理をして駆除を行う必要はありません。」
事前に巣の存在に気がついたなら、巣のある木に震動を与えないとか、数メートル以内に近づくことを避けるようにしておけば、本種に刺されることはほぼないと思われます。
〔…〕女王蜂1匹による単独営巣期や、まだ働き蜂の数が少ない時期であれば、駆除は容易です。特に近づくこともない場所であれば、無理をして駆除を行う必要はありません。」
見かけは怖いですが、ずいぶんおとなしい種類のようです。
さらにその生活史をひも解けば、10月に新たな女王バチと雄バチが巣を離れたあと、残った働きバチも順次寿命が尽きて、11月後半には空っぽの巣だけが残る…ということのようです。
★
話は変わりますが、私は広島・長崎への原爆投下は倫理的に間違った行為であり、それを決定したトルーマン大統領とその周辺は、人道に対する罪を免れないと思います。
しかし、もちろんアメリカにも言い分はあるでしょう。
「原爆投下は、何も『平和に暮らしている無辜の民』を狙って落としたわけじゃない。あのとき日本とアメリカは戦争をしていたんだ。真珠湾以降、一体どれだけ多くのアメリカ人の血が流れたと思っているのか。戦争は遊びじゃない。強力な武器で戦争を早く終えることができるなら、むしろ積極的に使うべきじゃないか」
…とかなんとか。
だからといって非戦闘員を、ましてや小さな子供やお年寄りを、一瞬の業火で焼き殺していいはずがないし、原爆を落とさなくたって、あの時点で日本が既に継戦不能であったことは、日米双方の目に明らかだったので、原爆投下は不必要な殺戮行為以外の何物でもありません。
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そのことを思うと、私がスズメバチに行おうとしていることは、倫理的に到底容認できないでしょう。何しろその行動理由は、単なる「漠然とした不安」のみで、アメリカの「屁理屈」にすら及ばないのですから。
スズメバチにはスズメバチの生活があり、その生活史の環はまもなく閉じられようとしています。それまで待っていけない理由はないので、殺虫剤の使用は当面見合わせることにしました。
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仮に今後、スズメバチと私の間に新たな軋轢が生じたら?
そのときこそ、私は手元にある強力な矛と盾をふるうことになるでしょう。
私の行為に、アメリカの“蛮行”と違う点があるとすれば、この庭は私のテリトリーであり、私には相手を合法的に排除する権利がある…という点ですが、動物法廷が開かれたとして、その主張がどこまで認められるかはわかりません。(スズメバチ側も同様の論陣を張ってくる可能性があります。)
虫を捕る少年へ ― 2024年07月09日 05時47分02秒
(昨日のつづき)
地球研究室で購入したのは、吸虫管(きゅうちゅうかん)です。
昆虫採集用具のひとつで、ごく小さな虫を手でつぶさないよう、ガラス管で虫体を吸い込んで捕らえるというものです。
単純な構造ですから、身近な品で簡単に自作することもできるんですが、それでもお金を出して買ったのは、私にとって吸虫管は多分にシンボリックな品であり、実用品ではないからです。
(虫を誤って吸い込まないよう、吸い口側には目の細かい金網が付いています)
★
吸虫管にロマンを感じる人が世間にどれぐらいいるでしょうか?
でも、私がそこに見るのは紛れもなくロマンであり、子ども時代の憧れです。
昆虫採集に夢中だった私は、ごま塩の瓶と金魚のエアポンプ用のビニール管で吸虫管を自作し、インスタントコーヒー瓶を毒つぼ代わりに、あり合わせの発泡スチロールで展足した標本を、お菓子の平たい缶に並べて悦に入っていました。
その一方で、私はそれ専用の道具がこの世に存在し、専門店で売られていることも、本を通じて知っていました。子供でも行けるところにそうした店があれば…、そしてそれを買うお金さえあれば…。でも、私にはそうした店にアクセスする手段もお金もなかったし、親もあえてそれを買ってやろうとは言わなかったのです。
そんなことを恨めしく思うのは馬鹿らしいと思いますが、でも裕福な友達が市販の立派な道具や標本箱を持ち、夏休みに家族で採集旅行に出かけるのを横眼で見ていた、当時の自分の気持ちを考えると、何となくいじらしい気がします。
要するに、この吸虫管は、子ども時代の自分へのプレゼントなのです。
そして自分が吸虫管を買う気になったことがうれしかったのは、そればかりでなく、自分の中の昆虫少年がまだ健在だったことを確認できたからです。インナーチャイルドは吸虫管を買ってもらって喜んでいるし、インナーチャイルドが今でも元気でいることを知って、それを買い与えた大人の私もまたうれしかったのです。
アメシストの蜘蛛 ― 2023年07月16日 09時29分21秒
昨日の流れで、もうひとつ虫のアクセサリーを載せます。
これも1930年代、アールデコ期の蜘蛛のブローチです。
こちらは英国ノリッジから届きました。
素材は銀、そこに紫水晶の胴、月長石の胸、ガーネットの両眼が光っています。
この蜘蛛はペンダントトップにしてもいいと思うんですが、現状は素朴なc形クラスプの留め具がついたブローチです。途中でブローチに改変されたのかもしれません。仮にそうだとしても、その加工が施されたのはずいぶん昔のことでしょう。
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蜘蛛のアクセサリーは、今でもゴシック・ファッションや、ハロウィンのコスチュームでは人気があるのかもしれません。でも、昔はそういう特殊な色合い(=不気味さゆえの選好)とは別に、もっと日常使いのアイテムだったのではないか?という疑念もあります。
ものの本によれば、もともと蜜蜂はラッキーアイテムとして、西洋世界で親しまれていたそうですが、19世紀のジュエリー界に「昆虫ブーム」が訪れると、蜂はもちろん、甲虫やら、蜻蛉やら、いろんな昆虫が女性の身を飾り立てることになったのだとか。
(別冊太陽『骨董をたのしむ62・永遠のアンティークジュエリー』(平凡社、2004))
昨日のクワガタや、今日の蜘蛛のブローチは20世紀前半の品ですが、いずれもその末流ではないかと思います。
★
そうした昆虫アイテムの流行には、アールヌーヴォーを染め上げていたジャポニズムの影響もあったでしょうが、それ以上に、19世紀後半に大衆化した博物学の一大ブームの影響を見落とすことはできないと思います。
当時は女性だって磯に出かけて貝を拾い、イソギンチャクをつかまえ、森の小道で苔やシダを採集し…という具合でしたから、野の虫たちもまた「追い求められる存在」であり、「憧れを誘う存在」だったわけです。
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それがいつしか、昆虫は嫌われる存在、不気味な存在になり、農業害虫や衛生害虫以外に、単に不快という理由で忌避される「不快害虫」という言葉が生まれ、「不快害虫」を駆除する殺虫剤が、スーパーやホームセンターの棚にズラッと並ぶ状況になりました。
その理由のすべてを説明するものではないにしても、その一端を解き明かしたのが以下の論文です(ただし、リンク先は原論文ではなく、その解説ページです)。
■深野祐也・曽我昌史
「なぜ現代人には虫嫌いが多いのか?
―進化心理学に基づいた新仮説の提案と検証―」
「なぜ現代人には虫嫌いが多いのか?
―進化心理学に基づいた新仮説の提案と検証―」
もともと毒のある虫のように、「避けるべき虫」というのはいたわけですが、身近に虫がいなくなると、避けるべき虫とそうでない虫を区別することができなくなり、虫といえば一様にみな避けるようになったのだ…という説です。(それと、屋外より屋内で虫を目にする機会が増えると。感染症リスク回避のため、虫に対する嫌悪感がより強まることも要因のひとつに挙げられています。)
まあ、身の回りに虫がやたらめったらいたら、いちいち嫌悪や回避もしていられないわけで、虫と出会う機会が減って、生活空間で虫の存在が「有徴化」することが、虫嫌いの発生の前提であることは確かだと思います。
琥珀色のクワガタ ― 2023年07月15日 09時33分21秒
しばらく前に今年初めての蝉を聞き、「あ、鳴いているな」と思ったら、昨日は急に蝉時雨状態になりました。先駆けに続いて、いよいよ本隊のお出ましです。
それにしても、地面の下で互いに相談していたわけでもなかろうに、よくこれほどタイミングが揃うものだと感心します。
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さて、何か涼し気なものはないかな…と思って、まあ涼しいかどうかは分かりませんが、季節柄、昆虫のブローチです。
つる草に昆虫のモチーフは、いかにも19世紀のアール・ヌーヴォーっぽいですが、購入したカリフォルニアの業者によれば、1930年代の品とのことでした。アール・デコ期に入ってからも、ちょっとレトロなデザインとして、こういうものが受け入れられる素地があったのでしょう。
そう思って見ると、そもそも素材は真鍮だし、このクワガタにはめ込まれているのはガラスの模造宝石だし、全体に気取りのないお手軽感があります。これこそが時代の気分だったのかもしれません。
葡萄の葉にたまった露もファセットのガラス玉。この辺はたしかに涼し気かも。
(裏面)
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改めて暑中お見舞申し上げます。
今日も当然30度超えで、さらに明日・明後日は35度だ、39度だ…と天気予報は脅しています。
どうぞご自愛のほど願います。
虫さまざま…江戸から明治へ ― 2023年04月15日 11時42分06秒
日本画家による、日本画の絵手本としての昆虫図譜。
一昨日の森本東閣作『虫類画譜』が、まさにそうでした。もちろんそうした本も美しく魅力的であることは間違いないのですが、今一度このブログの趣旨に立ち返って、本来の博物画の文脈に沿った作品も見てみます。
『百虫画』、一名「蠕蠕集(ぜんぜんしゅう)」。
作者は、山本渓愚(やまもとけいぐ、1827-1903)。
渓愚の父は京都の本草学者、山本亡羊(やまもとぼうよう、1778-1859)で、亡羊は小野蘭山に学び、シーボルトとも交流があったといいますから、その時代の雰囲気が知れます。
渓愚も父親の跡を継いで、本草学を修めました。年号でいえば、生まれたのが文政10年、亡くなったのが明治36年ですから、ほぼ江戸と明治を半々に生きた人です。明治になると新政府に仕え、明治5年(1872)には博覧会事務局に入り、明治8年(1875)には京都博物館御用掛となって…云々とウィキペディアには書かれていますが、要は江戸から明治へ、そして本草学から博物学へという過度期を生きた人です。
そうした人の手になる虫類図譜が、この明治39年(1906)に出た『百虫図』です(発行者は京都下京区の山田茂助)。刊行されたのは渓愚の没後になりますが、その辺の事情は後記に記されています(筆者は博物学者の田中芳男(1838-1916))。
(冒頭の「虫豸(ちゅうち)」は、虫類一般を指す語)
そこには、「渓愚は幼時より博物学を修め、画技を学び、動植物の写生に努め、その数は数千点に及んだ。本書はその一部を竹川友廣(日本画家)が模写したもので、絵画を志す人にとって大いに有益であろう」…という趣旨のことが書かれています。これを読むと、本書はやっぱり絵手本的な使われ方を想定していたようで、制作側の思いはともかく、受容層のニーズとしては、当時、そうした本が強く求められたことが分かります。
★
本書の中身を見てみます。
ご覧のとおり先日の「花虫画」とはまったく違った画面構成です。そこに植物が描き込まれている場合も、単なる景物ではなしに、その昆虫の生活史と不可分のものとして描かれています。
(クツワムシ)
(イラガの幼虫。その上に描かれた、木の枝に付着した小さな楕円体が繭。通称「雀の担桶(スズメノタゴ)」)
虫たちの描写も真に迫っていて、博物画の名に恥じません。
カミキリムシも、ちゃんとシロスジカミキリと同定できます(一昨日の森本東閣のカミキリムシは、いささか正体不明でした)。
巻末にはラテン語の学名まで載せていますが、トカゲも蛇もミミズもすべて「百虫」のうちに数えているあたりが、博物学指向といいながら、いかにも江戸時代の<虫類観>で、ちょっと不思議な感じがします(他のページには、蛙もカタツムリも、さらに冬虫夏草まで載っています)。
本の構成も、近代の生物学的分類とは無縁の配列で、この辺も江戸時代の本草書そのままですが、まあすべては過渡期の産物であり、その過渡期らしさこそが、本書の魅力なのでしょう。
余談ですが、本書の装丁は一昨日の芸艸堂の本と比べて素っ気ないですが、よく見ると一般的な「四つ目綴じ」ではなくて、「康熙綴じ(+唐本綴じ)」になっていて、この辺がさりげなく凝っています。
日本的昆虫画の展開 ― 2023年04月13日 19時31分05秒
昨日はなんだかぼんやりした文章を書いてしまいましたが、改めて確認すると、例の古書目録は確かに存在し、欲しかった本も確かに手元にありました。もちろん市さんのところに行ったことも本当です(たぶん)。
本棚から期せずして出てきたのは、明治時代の古い昆虫画譜です。
■森本東閣(画・編)『虫類画譜』
芸艸堂(うんそうどう)、明治43(1910)
芸艸堂(うんそうどう)、明治43(1910)
先日、やっぱり明治に刊行された『蝶百種』というのを採りあげましたが【LINK】、そのことが意識にあったので、目録を見ていてパッと目についたのだと思います。でも、そうでなくとも、私の中にある昆虫趣味、博物趣味、古物趣味の重複する本ですから、これは目に飛び込んで当然です。
冒頭には題字と緒言が3丁、それに続いて図版が23丁綴じられています。
和本というのは、原則1枚の紙を二つ折りにしたものが糸で綴じられていて、この1枚の紙を「丁」と数えます。今風にいえば1丁は2ページに相当します。したがって本書は、都合46ページ分の図版を含むわけですが、多くが見開きの図なので、図版数でいえば、24図版、そして図示された蟲類(昆虫以外に蜘蛛も載っています)は全部で47種です。
内容はこんな感じです。
ご覧のように、虫たちはそれぞれ植物と取り合わせて描かれており、花鳥画ならぬ「花虫画」の様相を呈しています。伝統的な日本画の文法にのっとって描くと、必然的にこうなるのでしょう。
本書の作者は、日本画家の森本東閣(もりもととうかく)。
東閣は昭和22年(1947)に70歳で没したそうなので、これが数え年なら、明治11年(1878)の生まれです。東閣は他家を継いで森本姓となりましたが、元は日本画家・幸野楳嶺(こうのばいれい、1844-1895)の長男で、父楳嶺の門人・菊池芳文に師事しました。
緒言によれば、本書は実父・楳嶺の遺志を継いで、楳嶺がかつて編んだ虫類画譜の続編として上梓した旨が書かれています。したがって、本書は博物学的関心から編まれたのではなくて、あくまでも日本画の絵手本として作られたものであり、その描写が日本画風であるのも当然です。
本書で面白いのは、虫名の記載が「スジクロカバマダラ」とか「ウラナミアカシジミ」のように妙に細かいのもあれば、「カミキリムシ」とか「蟻」のように、至極大雑把なのもあって、その精粗の差が激しいことです。緒言には「本図附記する所の名称多くは世俗の称を用ゆ 科名学名に至りては誤なきを保せずと雖ども 是れ蓋し絵画資料に供する目的なれば 観者之を恕せよ」とありますが、画題として細かく描き分ける必要があった蝶類と、日本画の世界では脇役に過ぎない虫たちとの格差にも、日本画家の目線を感じます。
★
それにしても、この木版の味わいというのは何なんですかね。
和紙に摺られた多色木版による昆虫たちの優しさ、美しさは言うまでもありませんが、そこにさらに言葉を加えるならば、「懐かしさ」でしょうか。
もちろん私にしたって、明治時代を実際に生きていたわけではないんですが、明治の小説や祖父の昔語りから刷り込まれた往時のイメージが私の中には明瞭にあって、こういう刷り物を見ると、それが強く賦活されて「嗚呼…」とため息がもれます。
★
さっき写真を撮って気づきましたが、本書の表紙は版元「芸艸堂」の名を捺した、非常に凝ったものです。まさに美術専門書店の面目躍如。
でも、本書は格別の稀書というわけでもなくて、現時点でも複数の古書店で普通に売られているので、同好の方はぜひ手に取っていただければと思います。
【付記】 上記の幸野楳嶺の弟子にあたる竹内栖鳳が、画家として一本立ちする前、まだ十代の修業時代に描いた昆虫スケッチを、MOA美術館のツイートで拝見しました。https://twitter.com/moa_museum/status/1408004675484278784
肉筆画になると、その精細なること木版画よりもさらにすごいですね。こうなると下手な博物画よりもよっぽど真に迫っています。
蝶百種 ― 2023年04月02日 17時49分56秒
昨日の速水御舟の絵から、日本画による昆虫表現について考えていました。
(表紙サイズは約18×24.5cm)
そこからさらに、『蝶百種』と題した画帖形式の図譜が手元にあるのを思い出しました。本来は上・下巻、あるいは上・中・下巻から成るもののようですが、手元にあるのは上巻だけです。
収録図版(Plate)数は全部で12。各図版が2~4点の図(Fig.)を載せており、収録図数は、上の目次にあるとおり全41図。ただし同じ種類で複数の図にまたがるものがある関係で、掲載種数は33種です(…ということは、全体で上・中・下の3巻構成だった可能性が高そうです)。
この上巻には、奥付や序言のようなものがどこにもないので、刊行年や版元、出版事情等は一切不明。ただ、描かれた蝶の一覧に台湾産のものが含まれていることから、おそらく台湾が日本に割譲された1895年(明治28年)以降に制作されたと思われ、もろもろ考え合わせると、明治の末から大正初めごろ、すなわち1900~1910年代に出版されたものだと想像します。
作者は春木南渓(生没不詳。活動期(※)1876-1916)。
南渓は、花鳥山水を能くした南画家の春木南溟(1795-1878)を祖父に、同じく春木南華(1818-1866)を父に持つ、画人一家に生まれた人。その人が、実弟の春木南峰(生没不詳)や、さらに後続世代に当たるらしい春木南汀や弟子筋とおぼしい南涛、南山、南湘(いずれも伝未詳)らとともに絵筆をとり、それを木版で起こしたのが、この図譜です。
(※)東京文化財研究所の「書画家人名データベース(明治大正期書画家番付による)」の掲載年代【LINK】。
★
ヒオドシチョウ(右)、コノハチョウ(左)を描いた第1図版。
この図だけからも、すでに並々ならぬものを感じます。
絵師も頑張りましたが、この彫りと摺りは見事だと思います。
ヨーロッパで刊行された極美の蝶類図譜(それを手に取ったことはありませんが)に劣らず、日本の木版技術の粋を尽くしたこの図譜も、また素晴らしい仕上がりと言ってよいのではないでしょうか。
ジャコウアゲハ(右)とクロアゲハ(左)。
そのクロアゲハの後翅の付け根のリアルな色合いに、思わず目を見張ります。
顔料の進歩で、青い蝶たちの発色も冴えています。左はオオムラサキ(♂)、右下はコシジミ、上の見慣れない蝶は台湾産のツマムラサキマダラ。
アオスジアゲハ。
朱の斑紋が美しいワタナベアゲハ(台湾産)。蝶の描写は、静的なものばかりでなく、こんなふうに飛翔の姿を捉えたものもあります。
ちなみに「ワタナベアゲハ」という和名は、台湾に駐在していた渡辺亀作(警部補)の名前に由来し、虫好きの彼が、日本昆虫学の開祖、松村松年(1872-1960)に標本を提供した関係で、この名が付いたんだそうですが【LINK】、渡辺警部補は1907年に台湾で起きた「北埔事件(ほくふじけん/台湾住民による抗日騒乱事件)」の際に命を落としており、なかなか穏やかならぬ歴史がそこにはあります。
なお、この『蝶百種』には蝶ばかりでなく、蛾も載っています。
たとえば上図。中央上はシロスジトモエ、右下はシンジュサン。
下図はホタルガです。
この点が、この図譜の「博物学的相貌」をさらに強めているように感じます。
★
ところで、この図譜を見て気づくのは、和名が現行のものとほぼ一致することです。
昆虫の標準和名は、上に出てきた松村松年によるところが大きく(この辺は小西正泰氏の受け売りです)、その名称や虫体の表現に、松村の『日本昆虫学』(1898)、『日本千虫図解』(1904~1907)、『続日本千虫図解』(1909~1912)あたりの影響があるのではないか…とぼんやり想像しますが、まだ調べたわけではないので、確証はありません。
そもそも、南画系の絵師がなぜ蝶の図譜づくりに駆り出されたのか?
絵師は画業修練として、実物の写生や模本づくりを盛んに行いましたが、この図譜はそうしたレベルを超えているようにも思います。
かつて、自分は日本的博物画について、以下のような一文を書いたことがあります。
(画像再掲。元記事はこちら)
「日本画の筆法による絵図に博物学的解説を付した、この種の図譜が、大正から昭和にかけて流行った時期があり、〔…〕かつて荒俣宏さんが激賞した、大野麥風(おおのばくふう、1888~1976)の『大日本魚類画集』(昭和12~19年=1937~44)はその代表で、それ以外にも、動物・植物を問わず、いろいろなジャンルで優美な作品が作られたのでした。
そこには、花鳥画の長い伝統、江戸期以来の「画帖」という出版ジャンルの存在、錦絵の衰退と前後して興った新版画運動のうねり、明治の消費拡大(さらに輸出の増大)に伴う染色工芸図案集へのニーズ、そして美しいものを欲する都市受容層の拡大…etc.、純然たる博物趣味とは別の要因もいろいろあったと思います。
それだけにこうした作品群は、いわば「博物図譜の日本的展開」として、大いに注目されるところです。」
そこには、花鳥画の長い伝統、江戸期以来の「画帖」という出版ジャンルの存在、錦絵の衰退と前後して興った新版画運動のうねり、明治の消費拡大(さらに輸出の増大)に伴う染色工芸図案集へのニーズ、そして美しいものを欲する都市受容層の拡大…etc.、純然たる博物趣味とは別の要因もいろいろあったと思います。
それだけにこうした作品群は、いわば「博物図譜の日本的展開」として、大いに注目されるところです。」
この本が生まれたのも、たぶん上のような文脈においてなのでしょう。
本書は国会図書館でも、さらに大学図書館の横断検索CiNii Booksでもヒットしないので、かなり稀な本だと思いますが、日本の昆虫図譜、ひいては博物図譜の歴史において決して無視できぬ作品だと思います。
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冒頭にもどって「日本画による昆虫表現」ということについて述べれば、日本画は甲虫類のような硬質な対象を表現するのは苦手だと思いますが、鱗翅類のようなソフトな対象にはまことに好適で、これは花鳥画の筆法がそのまま使えるからではないか…と思いました。
春の闇 ― 2023年04月01日 21時48分27秒
桜がはらはら散る一方で、樹々はにわかに芽吹き、ピンクとグリーンのコントラストが美しい季節となりました。まこと「柳桜をこきまぜて」と謳われた都の春もかくや…と思わせる四囲の景色です。
だから心が浮き立つかというと、意外にそうでもありません。
秋の心と書いて「愁」。そして「春愁」という言葉もあって、今の季節はのどかな中にも、一抹の淋しさを感じます。命の営みは、どこか悲しさを感じさせるものですが、それがより強く感じられるからかもしれません。
★
今日は故・安倍氏の事績を振り返る映画、『妖怪の孫』を見に行ってきました。
そして、家に帰ってからも、何となく索漠とした思いで、従軍慰安婦と歴史修正主義の問題に取材した映画『主戦場』(2019)をアマゾンプライムで見直していました。安倍氏は後者にも登場して、いろいろ「活躍」しているのですが、この間に横たわる4年という歳月が、そこにある種の陰影を添えて、話に奥行きを感じました。
「桜を見る会」でタレントに取り巻かれ、我が世の春を謳歌した安倍氏。両親にねじれた愛憎を抱き、祖父・岸信介を超えることで、彼らに心理的復讐を果たそうとした安倍氏。そのための権謀術数に明け暮れ、果ては凶弾に斃れた安倍氏。
まあ、すぐれて人間的なエピソードではあります。
でも、だからといって、仁も義も乏しい人間が宰相の地位に付くことは正当化できないし、国民の側からすれば、それは悲劇以外のなにものでもありません。
★
灯取虫 死しての後の名なりけり 松宇
「灯取虫」は灯火に慕い寄る蛾のことで、夏の季語です。自ら灯火に飛び込むからこそ、その名があるわけで、これはたしかに「死しての後の名」です。そう考えると、いくぶん理に勝ちすぎている気もしますが、私にとっては不思議と鮮明な印象をもたらす句で、折にふれて口をついて出てきます。
安倍氏と灯取虫がどう結びつくかは、自分でもよく分かりませんが、今また口をついて出た以上、そこには何か連想が働いているのでしょう。でも、安倍氏の姿を仮に灯取虫に重ねたとして、彼が身を焦がした「灯火」とはいったい何だったのか?

(速水御舟 「炎舞」、1925)
ちなみに、作者の伊藤松宇(1859-1943)は古俳書収集で知られた人。齢は正岡子規よりも年長ですが、子規とも交流があり、明治~大正の俳壇で一家を成しました。
Iron Insects ― 2022年09月02日 09時00分58秒
机辺に置かれた鋳鉄製の虫。
手元の買物帳には、「1996 11/25 インド鉄工芸品 虫3種 800×3 LOFT」とあるので、もう26年もの付き合いになります。
もっとも、彼らは26年間ずっと机辺に棲んでいたわけではありません。
ご覧の通り至極他愛ない品なので、長いこと引き出しにしまいっぱなしでした。でも、このあいだ久しぶりに見つけて、手にしたときの重みがいいなと思って、こうして復活させました。
こちらはバッタの類で、
こっちはタマムシ類のイメージでしょうか。いずれも、ごく素朴な造形です。
こういう品を買った個人的動機としては、当時何となく自然を感じさせるものが欲しかった…というのがあります。この点は以前の記事でも省察しました。ちょうど下の記事に出てくる魚やクワガタの工芸品と同じ時期、同じ動機に基づいて、この鉄の虫たちも買ったのだと思います。(当時のエスニックブームも影響していたかもしれません。)
■虫と魚
ちなみに、買物帳には「3種」とあるのに、2種類しかないのは、もう1種がヘビトンボ【LINK】のような姿をしていたからです。最初はそうでもなかったんですが、だんだんヘビトンボそっくりに見えてきて、私はヘビトンボがひどく苦手なので(咬まれたことがあります)、結局処分してしまいました。かわいそうな気もしますが、見るたびにネガティブな連想が働くものを、手元に置くことは忍び難かったです。















































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