星空浪漫、明治から大正へ(3) ― 2025年08月05日 05時52分32秒
前回書いたことは、別に早稲田の英文科に学んだ抱影だから…というわけではありません。
京大の物理学科に学んだ、プロの天文学者である山本一清(1889-1959)にしても、その第一主著『星座の親しみ』(初版・大正10/1921、引用は大正11/1922・第13版)の「まへおき」の中で、カーライルを引き、テニスンを引き、ホメロスを引き、タゴールを引き、要するに文学的色眼鏡をもって星空を眺めることの趣深きことを熱弁して止みません。
(『星座の親しみ』口絵)
「純潔と崇高とは、星の光の持つ魂である。見る人の心を、之によって浄化せずには止まない。こゝに真の美が生れる。――美とは客観のみでない。又、主観のみでない。主と客と、(心と星と、)相結んでこそ、美の精を産むものと言はねばならぬ。エマソンの言に
若し星が、千年に一夜だけ現はれるものならば、
こゝに表はされた神の都の記憶(おもひで)を如何に人々は信じ、
あこがれ、又、後の世の代々まで伝へることであろ〔ママ〕う
とある。毎夜、見得るが故に美を感じないとしたならば、そは人の心のゆるみである。文人は之れを「神を瀆(けが)すもの」と言ふのであろう。」(pp.6-7)
若し星が、千年に一夜だけ現はれるものならば、
こゝに表はされた神の都の記憶(おもひで)を如何に人々は信じ、
あこがれ、又、後の世の代々まで伝へることであろ〔ママ〕う
とある。毎夜、見得るが故に美を感じないとしたならば、そは人の心のゆるみである。文人は之れを「神を瀆(けが)すもの」と言ふのであろう。」(pp.6-7)
その力みっぷりが可笑しくもありますが、御大・山本博士にしても、まだ30歳を超えたばかりの少壮期ですから、これは純情一途な思いの発露に他ならないでしょう。そしてまた、明治の後半に青春期を送った世代に、浪漫派の思潮がいかに広汎な影響を及ぼしたかの証左でもあると思います。
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「星菫趣味」というのがあります。
文学史の用語でいうならば「星菫派」。これは雑誌『明星』に拠って、ロマンチックな恋愛をうたった詩人たちのことです。もっとも彼らが自ら星菫派と称したわけではなく、「星やら菫やら、甘ったるい言葉で色恋を語る連中」というュアンスで、周りの人間が蔑んで使った言葉のようです。
私のいう「星菫趣味」は、もうちょっと広い意味で、いわば「星菫派」が固有名詞なのに対して、「星菫趣味」の方は一般名詞です。すなわち菫の花を抱きしめて「お星さま」をうっとりと見上げる…まあ現実にそんな人はいないでしょうけれど、要はいくぶんステロタイプなロマンチシズムの色眼鏡をかけて、星空を眺める人たちや態度のことです。
改めて明治期の出版物から。
左は明治43年(1910)に日本天文学会が出した『恒星解説』、右は明治34年(1901)に出た与謝野晶子の『みだれ髪』です。
多くの人は、そのデザイン感覚に共通するものを感じると思いますが、こうした浪漫の情調は、すでに明治末年、オフィシャルな天文界にもにじみ出ていたことが分かります。
そして、それがはっきり文字になったものこそ、かつて若年の頃、星菫趣味にそまった(or かぶれた)人々の手になる大正期の天文書であり、それが昭和の「乙女文化」にも影響したし、戦後も長く「日本的天文趣味」の根幹にあり続けた…というのが、私の中の大まかな見取り図です。(さらに、「日本的天文趣味」に及ぼした賢治や足穂の影響については、別のところで述べた記憶があります。)
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以上のことは、こんな資料のつまみ食いではなく、もっと系統立ててしっかり論じるべき事柄だと思いますが、浅学の身には荷が重いので、ざっくりしたメモ書きだけで筆をおきます(一種の作業仮説とお考えください)。
(この項おわり)
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