デジタル・エフェメラ2025年10月27日 05時54分40秒

つらつら思うに、昨日書いたこと(サーバーがとんで、ブログが全消滅するんじゃないか…という不安)は、先日の荒俣宏氏の蔵書問題とも深く関係します。

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すなわち、デジタル・コンテンツの危うさと、紙の本の底力…みたいな論点です。
この件は、すでに多くの人が繰り返し論じているはずですが、やっぱり常に警鐘を鳴らし続ける必要があると思います。

もちろん技術は今後もどんどん進歩して、デジタル・データはより安全に、より永続的なものになっていくとは思います。しかし、それ以前にネットの海に放出されたデータは、すでに膨大な量になっているし、そのすべてがより堅固なストレージに移行できるかといえば、これは相当の難事でしょう。少なくとも今あるデジタル・コンテンツは、拙ブログも含めて、まさにうたかたの如きものであり、エフェメラルなものだと言わざるを得ません。

もし、これが紙の本だったら?…というところに思いは自ずと向かいます。
世界中の人が簡単に共有することはできないかわり、それが堅固なことは確かです(酸性紙の劣化問題はまた別に考えることにしましょう)。紙の本を大事にしようという主張には、紙の手触りやインクの匂いを愛でるといった情緒的な要素以外に、物理的堅牢性を貴ぶという趣意もこもっています。そこは正当に評価されてしかるべきでしょう。

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花は散るから美しい。
人生は終わりがあるから尊い。

そこから敷衍すると、デジタル・コンテンツも消えるから愛しい…と思いたいところですが、なかなかそうは思えそうにありません。永く残ることを期待して記録したのに、あっさり消滅したら、信用して虎の子を預けた銀行が破綻したような気分というか、呆然として「裏切られた!」という気分になることでしょう。(「そんなもん自己責任で対策をしとかなきゃ…」という非難の声が飛ぶところまでがセットですかね。)

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誰かが虎の子を失っても、世間は何の痛痒も感じませんが、本人にとっては大打撃です。同様に、「天文古玩」が消えても、世間は何も困りませんが、私にとってはかなり深刻な問題です。