日食に何を見るか ― 2026年03月28日 14時57分23秒
さて、ブログも半ば放置状態ですが、ぼつぼつ記事を書くことにします。
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先日、こんな絵葉書を買いました。
時代は1900年代初頭、版元は裏面に「K.F. Editeurs, Paris」とあって、ここはチューリッヒの美術出版社 Künzli Frères(キュンツリ兄弟社)がパリに出した支店の由。まあ絵葉書の素性はそれとして、これが何を表しているのか、徹頭徹尾分かりません。
角を生やした悪魔が、悪魔らしからぬ表情でスヤスヤ眠っています。
隣には手紙を持った意地悪そうなウサギ。
他の男と車で出かけようとする奥方(?)が、悪魔男にむかって手を振り、そこに「皆既日食」の文字。(この語があったから私の探索に引っかかったのです。)
その上にいるのは、これまた皮肉な笑みを浮かべた、蝶だか蛾だかの妖精。
フランス流のコキュ(寝取られ男)をテーマにした、シニカルなユーモア絵葉書だと思うんですが、その“絵解き”がまったくできません。いったい何なんでしょう?
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ときに今日の紙面で、つげ義春さんの訃を知りました。
まこと皆既日食に際会した気分です。
起き臥しによって瞼を開閉するねじ式の目を手に
瞑目して合掌―。
この日食は永遠に終わることはありませんが、その分、壮麗なコロナがいつまでも神秘の光を放ち続けるはずです。
1910 ― 2026年03月16日 22時15分54秒
ひどく分りやすい絵葉書です。
一見して、1910年を記念するニューイヤーカードとすぐ分かります。
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1910年はハレー彗星の年でした。
その近日点通過は4月20日で、さらに1か月後には地球に最接近し、その壮麗な、あるいは畏怖すべき姿を人々の目に焼き付たのです。(最接近時の距離は0.15AUといいますから、月までの距離の約60倍、火星最接近時の距離の半分弱です。遠いといえば遠いですが、この広い宇宙の中では、たしかにかなりの接近です。)
この年のハレー彗星は、「彗星騒動」の面が強調して伝えられがちですが、パニックになったのはごく一部の人で、大多数の人は「ふーん、彗星ねえ…」ぐらいの感じだったんじゃないでしょうか。当時の新聞では、彗星よりも国際紛争や景気の話題の方が大きな扱いだったことはもちろんです。
この絵葉書はハレー彗星がくる前年、1909年に作られたもので、例によってドイツ製。その繊細なクロモリトグラフと、金のエンボス加工に、ドイツ製絵葉書の黄金時代が偲ばれますが、ここでもハレー彗星は「怖いもの」というより、ひたすら「愛すべきもの」とイメージされていることが分かります。
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この絵葉書は以前、1910年のハレー彗星グッズのコレクター氏(ひどくニッチなコレクターですね)の本で見た記憶がありました。
著者の Roberta Etter と Stuart Shneider の両氏は、表紙ばかりでなくタイトルページにもこの絵葉書を登場させているので、かなり思い入れがあったのでしょう。
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絵葉書の裏面を見ると、消印は1909年12月30日付けで、あて先はシカゴに住む「Master Victor Herman」です。「マスター・ヴィクター・ハーマン」と聞いて、私は最初立派な髯の紳士を想像しましたが、AIによれば、「Master」というのは、「Mr.」未満の子どもに使う尊称で、「ヴィクター・ハーマン坊ちゃんへ」といった意味合いだそうです。髯を生やすのはもうちょっと先のようですね。
いよいよ大晦日 ― 2025年12月31日 12時17分07秒
それがいつか来ることは分かっていました。
でも、来るまではどこか遠いことのように思っていました。
しかし、それはあやまたずやって来ました。
臨終もきっと同じような感じで迎えるのでしょうね。
昔から「正月は冥途の旅の一里塚」と言いますけれど、ものごとの終わりという意味では、大晦日こそ冥土の旅の予行演習にふさわしい気がします。
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さて、今年最後の記事です。
深夜12時を指し示す時計の絵は、ゆく年くる年をシンボライズするものとして、絵葉書では非常にポピュラーな画題になっていますが、下もその例。
黄道十二星座が周囲を囲む天文時計の針が、ピタリ12時を指したタイミングで、煙突掃除人が姿を現しました。古い年の煤をきれいに落とし、気持ちよく新年を迎えようというわけでしょう。これを見ると、すす払いの行事は日本の専売特許でもなさそうですね。
改めて調べてみると、煙突掃除人は家内の邪気を払い、幸運と繁栄をもたらす存在として、ヨーロッパの多くの国でラッキーシンボルになっているそうです。特に結婚式と新年には付きものだとか。煙突掃除人をめぐる民俗が、ヨーロッパの広い範囲に分布しているのは、そのルーツが非常に古い(おそらくはキリスト教以前に遡る)ことを示しているものと思います。絵葉書に描かれた煙突掃除人の服に、太陽の模様が縫い付けてあるのも、何かのおまじないかもしれません。これはそういう背景を持った縁起物の絵葉書です。
この絵葉書は例によってドイツ製で(ドイツは第1次世界大戦までは絵葉書大国でした)、1912年の大晦日に、マサチューセッツ州ローレンスの町から投函されています。そして文面はフランス語という、なかなか国際色豊かな一枚。
ところで、右肩に書かれた「A Happy New Year !」。
現在では「良いお年を!」のあいさつは「Happy New Year」が正しく、冠詞の「A」を付けるのは間違いだと、多くのサイトに書かれています、でも昔は案外そうでもなかったんですかね。
真実は不明ながら、何はともあれ、皆さま良いお年を!
ロケットサンタ ― 2025年12月24日 13時12分12秒
今年の冬至は、一昨日の12月22日でした。
冬至はもちろん昼間の長さがいちばん短い日で、同時に太陽高度がいちばん低い日でもあります。この日を境に、太陽の南中高度は徐々に高くなり、日脚も伸びていきます。
したがって冬至の日に太陽の復活を祝い、冬至を以て新たな1年の始まりとした観念や古俗は、おそらく世界中に遍在するでしょう。クリスマスの諸行事も、その古俗の上に成り立っているというのが定説かと思います。
「Merry Christmas and Happy New Year!」と、クリスマスも新年もいっぺんに祝う挨拶は、そんな気分を引きずっているのかもしれません。
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上は1960~70年代、旧ソ連で発行されたクリスマス絵葉書。
この時代は本当に何でもロケット尽くしですね。
こちらのサンタはスプートニク1号、2号、3号とおぼしい人工衛星にそりを引かせて、子供たちのところに急いでいます。
こちらは、ご自慢のそりすらも打ち捨てて、ロケットでひとっ飛び。
上の2枚は、旧ソ連邦を構成するエストニアで発行されたものらしく、言葉はエストニア語です。
旧ソ連は(今のロシアも)相当いかつい国でしたが、こういう素朴な童心画をよくする一面もありました。
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葉書に書かれた文字は、ロシア語の方は、「C Новым годом」(ラテン文字にすれば「S Novym godom」、Googleの発音だと「ス・ノーヴム・グオダム」に聞こえます)、エストニア語の方は「Head uut aastat」(同じく「ネアデー・ウータースタ」)で、意味はどちらも「Happy New Year」。
クリスマス・カードなのに新年のことしか言ってないのは、冒頭に書いたような理由か、非宗教国家だったせいかな…と最初思いましたが、そもそも東方正教会はユリウス暦を使っているので、クリスマスが1月7日になるというのが、最大の理由のようです。かの国のクリスマスは、年末ではなく、正月行事ですね。
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日本の年末はひたすら慌ただしいですが、ホッとするひと時も必要です。
皆さま、どうぞよいクリスマスを。
Katzen und der Mond ― 2025年10月31日 19時31分14秒
この「天文古玩」も、今やリアルな天文現象のごとく、条件によって見えたり見えなかったりで、「うーん“504 Gateway Time-out”か…今日は雲量が多いなあ」といった具合に、のんびり観望していただければありがたく思います(本当にすみません)。
サーバーの心配は尽きませんが、いざさらば雪見にころぶところまで、とりあえず行けるところまで行くことにします。
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ときにこの10月はあっという間でした。
この分だと11月と12月もこんな調子で、すぐに新年のご挨拶をしないといけないことになりそうです。まあ、残りふた月ですから、それもむべなる哉。
そんなわけで、ハロウィンと年末を合せた雰囲気の一枚。
黒猫と三日月。
エンボス加工に金彩の美しい仕上がりです。
消印は1914年12月30日付で、アメリカ東部のメイン州で差し出されたもの。
欄外の表示によれば、印刷はドイツ、販売はイギリスの会社が行っていますが、この年の7月に第一次世界大戦が勃発して、独英間の交易は途絶したので、それ以前に輸入した在庫処分品というわけでしょう。印刷の質の高さで知られた、ドイツ製絵葉書の黄金時代がまさに終焉を迎える間際の作品です。
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一枚の絵葉書にも時代は自ずと表れるものですが、何はともあれ
To Wish You all Good Luck !
瞳の中の天の川 ― 2025年08月27日 05時40分35秒
今日も七夕の絵葉書の話題です。
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天の川を描かずに天の川を表現する。
…果たしてそんなことが可能でしょうか?
石渡風古(いしわた・ふうこ、1891-1961)作、「天の川」。
現在の日展の前身、「帝展」の第11回(1929/昭和4)出品作です。
この絵葉書を見たとき、「ああ、やられたなあ」と思いました。
ご覧のとおり、七夕飾りをした商家の前に立つ2人の若い女性を描いた絵で、ここには天の川はもちろん、一片の空すら描かれていませんが、それでもこの二人の視線の先に、我々はたしかに銀の砂をまいた天の川の姿を「見る」ことができます。
絵画作品としての評価は、また自ずとあると思います。
しかし、この絵を「天の川」と題した作者の機知は大いに評価したいところです。
なお、ネット情報によると、作者の石渡風古は川合玉堂に師事し、大正~昭和初期に文展・帝展で活躍した日本画家で、人物画を得意とした由。
梶の葉に託す ― 2025年08月25日 21時44分22秒
昨日と同じ「滑稽新聞」の付録絵葉書。
梶の葉、短冊、ほおずきに、七夕の季節感を盛り込んだ絵です。
ただそれだけだと、単に風流な絵ということで、風刺や滑稽の意図はないことになってしまいますが、相手は何せ滑稽新聞ですから、当然そんなはずはありません。
では、この絵のどこに風刺と滑稽があるのでしょう?
昨日の絵葉書と同様、これも雑誌に綴じ込まれていた時は、きっと欄外に余白があって、そこに説明の文句が書かれていたはずですが、今は推測するほかありません。
しばし腕組みして思いついたのは、梶の葉に書かれた一文字が「恋」とも「忘」とも読める点が皮肉なんじゃないか…ということです。そう、「恋とは忘れ、忘らるるものなり」。
まあ、ことの当否は分かりませんが、そこが天上世界と人間世界の大きな違いであるのは確かでしょう(たぶん)。
(裏面・部分)
人界の牽牛織女たちへ ― 2025年08月24日 10時50分12秒
旧暦の7月に入ったので、七夕の話題で少し話を続けようと思います。
下は先日見つけた明治物の絵葉書。
欄外に「人界の牽牛織女」とあります。
川のほとりで、牛飼いの男が、機織り女にそっと付け文をしている場面。
女は辺りを気にしながら、それを素早く受け取っています。あるいは文を渡しているのは、女の方かもしれません。まあ見たまま、読んだままの内容です。
絵面の中には「新七夕」ともあって、こちらが正式なタイトルのようです。
「新」とあるからには、これは絵葉書の作られた当時の農村風景に、牽牛織女を重ねたものでしょう。
発行元は滑稽新聞社。「滑稽新聞」は、反骨のジャーナリスト・宮武外骨(みやたけがいこつ、1867-1955)が、明治34年(1901)から同41年(1908)にかけて発行した風刺雑誌です。
同誌は、いわば明治版『噂の眞相』のような雑誌で(このたとえも既に伝わりにくいかも)、徹底した反権力の姿勢を貫きました。この絵葉書も、天上の星々の涼やかな逢瀬を、卑俗な地上の男女のそれに置き換えたところに、滑稽と風刺を利かせたものと思います。
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まあ、上のように考えれば、ちょっと皮肉な印象の絵になりますが、反対に地上の逢引を天上の逢瀬に重ねれば、そこに優雅な趣も出てくるわけで、そのほうが何となく心優しい感じがします。
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ちなみに、この絵葉書は単独で発行されたものではなく、同誌の付録として綴じ込まれていたもので、絵葉書として使うときは赤枠のところで切り取って使いました(赤枠で切るとちょうどはがきサイズになります)。
(裏面)
1896年、アマースト大学日食観測隊の思い出(1) ― 2025年06月29日 14時29分10秒
先に1936年の北海道日食の話題を取り上げ、その40年前、1896年にも北海道で日食があったことに触れました。
1896年というと、来年でちょうど130年。日本はまだ明治の半ばで、「ゴールデンカムイ」の舞台よりも、さらに10年余り先行する時代です。西暦でいっても何せ19世紀のことですから、思えばずいぶん昔の話です。
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そんな昔、手つかずの大自然が広がる北海道を、アメリカの日食観測隊が訪れました。天文学者のデイヴィッド・トッド(David Peck Todd、1855-1939)率いるアマースト大学(マサチューセッツ州)の一行です。
(日食遠征後の1903年に建設されたアマースト大学天文台内部とアルヴァン・クラーク製18インチ(46cm)屈折望遠鏡。1908年、同地で投函された絵葉書)
(葉書の文面によれば、望遠鏡と一緒に写っているのがトッド教授で、隣はおそらく夫人のメイベル(Mabel Loomis Todd、1856-1932))
(同天文台の外観。同じく1900年代初頭の絵葉書)
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このアマースト隊を偲ぶ品が手元にあるので、それを紹介しようと思うのですが、まずはアマースト隊来日の背景と概要を述べておきます。
(この項、ゆっくりと続きます)
憎らしい月 ― 2025年01月25日 10時15分11秒
記事の間が空きましたが、前回の続きです。
「月下の男女」の画題は、考えてみるとなかなか興味深いものがあって、男女の方はさておくとして、ここに登場するいわゆる「月の男(The man in the moon)」の描かれ方が、大いに気になります。
もう少し類例を見てみます。
(エンボス加工を施した多色石版。ニューヨークのA. S. Meeker社製)
こちらは月下の接吻。
1908年9月、バージニア州ノーフォークの James 君が Miss May に当てたもの。「O Glee! Be Sweet to me Kid.(おお、愛しの君よ!どうぞ僕に優しくしておくれ)」と、James 君はだいぶ気持ちが高ぶっているようですが、しかしこの月の表情はなかなかどうして、一筋縄ではいきそうにありません。
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(1898年、ウィーンで創業したKohn 兄弟社(Brüder Kohn Wien I;BKWI)製の石版絵葉書。ちなみに「Wien I」は、創業地の「ウィーン一番区」の意味【LINK】)
こちらはペーパームーンの趣向によるコミック絵葉書で、ベルギーのリールの消印(1904年付け)が押されています。あて先は「Mademoiselle Elise」で、差出し人は表面に書かれた Peeraer 氏でしょう(見慣れぬ姓ですが、ベルギー由来の名前だそうです)。
ペーパームーンとは「張りぼての月」のことで、当時、夜空の書き割りの前でペーパームーンに坐って記念写真を撮ることが欧米で大層流行ったと聞きます。
絵葉書の画面では、せっかくいいムードなのに、突如“破局”が訪れて男女はびっくり、お月様もポロポロ泣いています。でもこれは、その身を傷つけられて痛がってるだけのようでもあり、そうなるとこのお月様にしても、カップルに対して同情的というよりも、単に迷惑千万と思っているに過ぎないことになります。
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20世紀初頭とおぼしいアメリカ製の多色石版絵葉書。
このお月様が、地上のカップルを見守る表情もちょっと微妙です。
この絵葉書は仕掛け絵葉書になっていて、「夢が叶うかどうか、月にきいてごらん」という、その答は…
これはおめでたい画題といえますが、反面、甘いロマンスの時期はすぐに終わり、やがて現実に立ち向かうことになるぞ…という戒めのようでもあります。月の微妙な表情も、それを言わんとしているんじゃないでしょうか。
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無論、西洋の人だって、月は美しいもの、ロマンチックなものと感じるからこそ、「月下の男女」という画題が成立するのでしょうけれど、絵葉書に登場する月は、妙に訳知り顔だったり、皮肉屋だったり、酷薄だったり、それ自体が一つの「型」になっている気配があります。
東洋情緒の月は、ひたすら皓々(こうこう)として、いろいろな思いを託す存在ではあっても、月そのものが何かよこしまな性格を持っているとは、思いもよらぬことでしょう。西行法師が詠んだ「嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな」という歌にしても、月を見て嘆いているのは自分自身であって、月そのものが嘆かわしい存在であるとは、一言も言っていないわけです
まあ、平安歌人と20世紀初頭のコミック絵葉書を比べて何か言うのも無理がありますが、でもこういう「憎らしい月」、「くせ者めいた月」は、日本の文芸の伝統には絶えて無い気がします。江戸の古川柳には、何かそんな“うがち”の句があるかと思いきや、『古川柳名句選』を見ても、見つかりませんでした、
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日本における唯一の…とまでは言いませんが、顕著な例外が(そして西洋のお月様以上にくせ者感の強いのが)、稲垣足穂の『一千一秒物語』に出てくるお月様で、足穂が幼少期に見た「ステッドラー鉛筆の三日月」【LINK】から、独力でああいうイメージを構築したのだとしたら、彼の鋭い直感とイマジネーションは、大いに称揚されるべきです。









































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